お昼を終えた時間に、友人から急にLINEが届きました。14時くらいにそっちに寄ってもいい? とのこと。もうその日の予定を終わらせていたから、「大丈夫だよ〜」と返信。
そうしてやってきた友達から、わたしは、思いがけない手紙を受け取ったのです。
小学三年生の男の子からの手紙
思いがけない手紙とは、その友達のお孫さんからの手紙でした。お礼の手紙です。
心当たりがないと考えていたわたしだったのですが、この半年ほど、その友人に手作りパンをプレゼントしていたことを思い出しました。
うん、昨年の一時期、糖質制限をしていたから、パンが食べられない時期があって、それでも料理教室で教わって作っていたパンを、友人におすそ分けしていたのですよ。先日作ったオレンジカスタードブレッドやお好み焼きパンも一人では食べきれないからおすそ分けしたのでした。
そういうとき、わたし側には常に、申し訳ないなあという気持ちがありました。や、作ったパンはとても美味しくできたし、友達からも「美味しいとみんなでいただいたよ〜お店で出せるレベルだと絶賛しながら食べた」という感謝の言葉をいただいていたのです。だから確かに安心していたのですけど、あくまでも、そのときの自分には食べられないものをお渡しした、という意識があったから。
ですからね、これまでおすそ分けしてきたパンが、そのお孫さんを動かすほど感動を与えていたなんて、思いつきもしなかったのですよ。
「汚い字でごめんね」と友達は添えてきましたが、とても、とても嬉しくてね。シンプルな内容の、でも、せいいっぱいの感謝と励ましが書かれた手紙に、母にレシピを教えてあげてください、とねだってくる内容に、わたしはとても温かい気持ちになったのですよ。
嬉しいから、いつも持ち歩いてる手帳のポケットに保管しました。ええ、永久保存です。
むかし、ファンレターを送っていた。
こんなふうに人を喜ばせること、わたしにはあったかしら。
友人が帰宅した後、ふっとそんなことを考えました。そもそもお手紙を書く機会が減ったから最近は覚えがないなあ、と考えながら、過去を思い出しました。
むかし、とっても大好きな小説があったんです。
その作家先生にね、ファンレターを書いて送ったことがあるなあと思い出しました。ムダに凝っていて、クイズまで練り込んだというのに、解答を送らなかった記憶も出てきて、「あああ」と頭を抱えました。や、作家さんには気にならなかった内容だと思うけれど、半端な状態にしてたなあ、という気持ちが出てきました。
他にもね、大好きな声優さんとか、よく聞いていたラジオ番組にお手紙を書いていたことも思い出しました。そういうお手紙は、声優さんやパーソナリティーさんだけではなく、番組構成スタッフの皆さんが読むと知っていたから、「拝啓」から始まる畏まった内容で書いていたよ! とも思い出して、再び頭を抱えたり。どう考えてもラジオに出す手紙じゃない。
うーん。わたしの場合、相手を喜ばせようと空回りしていたみたい。
そんな事実に気づいてしまい、格好づけの自分を恥ずかしく感じました。間違いだとは思わないけれど、書いた当人としては頑張りすぎた内容だったな、と感じました。
や、ファンレター自体を出したことを間違いと言ってるわけじゃないですよ。ただ、ムダに凝るのではなくて、シンプルに「感動しました、ありがとうございます」だけでよかったんだな、と感じたのです。
今回、わたしがとてもとても感動したようにね。
シンプルでいい。身構えなくていい。ファンレターを受け取った多くの人は、ただ、あなたを動かしたことを嬉しく感じます、こちらこそ感動しましたよ、とお考えになるんじゃないかしら。だってわたしがそうだもの。ううん、手紙だけじゃない。これまでメールやメッセージでいただいた言葉は、シンプルな内容がとても心を打ってきた。力を与えてくれた。
だからわかるじゃない。それでよかったんだ、って。
これからファンレターを送ろう。
いま、わたしにはとても好きなものが、たくさんあります。
漫画や小説、アニメや映画、ラジオなど、いろいろね。本当にたくさんあるから、それらに「ありがとう」と伝えたい気持ちもたくさんあるのですよ。
でも尻込みしていたのです。相手を喜ばせる内容でファンレターを送れないから。
とんだ格好づけね。ただ、好きって言えばいいの。書いてくれてありがとう、で伝わるんだ、と今回の経験を通じて感じました。
だからもっと伝えよう。書いていこうと感じました。
ブログやSNSで好きというだけではなく、確実にご本人に届く形で「ありがとう」と「好き」それから「これからも応援してる」ーーーーそういう言葉を伝えたいなあと感じました。それはとっても相手を喜ばされることだって教えてもらったから。
教えてくれた男の子に、心から感謝です。
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