MENU
「24時間、料理の注文を承ります。」

公開している創作を大幅に書き直して、2022年11月、文芸社より発行していただきました。

現在、発売中です。

試し読み

宝箱集配人は忙しい。

目次

34

 さて、どんな一日だったとしても、お腹は空く。

 というわけだから、今日も今日とて、僕はいつもの酒場に向かったんだ。なにしろ盛りだくさんの一日だったにもかかわらず、お昼ごはんは携帯食で済ませてしまったからね。秘書どのと別れる頃には、空腹は最高潮だった。だからいそいそと僕は酒場に向かった。

 んだけど、予感が走った。

 足早に歩いて酒場が見えてきた、そんな場所にたどり着いたときだよ。なにやら、呼ばれたような気がしたんだ。声が聞こえたわけじゃない。ただ、通い慣れた道に、奇妙な違和感を覚えた。だから僕は足を止めた。ちょっと迷って、寄り道したんだ。

 脇道をいくつも曲がって、たどり着く先に。

「……そなたか」

 地面にうずくまる貴公子が、いた。

 僕は驚いた。なぜならいつも飄然とした印象が強い貴公子が、地面にうずくまるなんて想像の範囲外だからだ。おまけにかすかな血臭が漂っている。間違いなく、貴公子から。

 あんなに強い人が、怪我をしているのだ。

 何事なんだ。僕は表情を引き締めて、貴公子に駆け寄ろうとした。でも寸前に、「よせ!」という貴公子の叫びを聞いた。同時に、プシッ、という奇妙な音を聞いたんだ。

 遅れて、痛みが走った。

 首だ。「うぁ」と微かな悲鳴をあげて、僕は痛みの走った首筋を抑えて、膝を折った。訳がわからない。ただ、わかっていたこともあった。この傷は、唐突に現れた彼女が負わせたもの。まるで貴公子を守るかのように、僕と貴公子の間に唐突に現れた、

(魔族)

 黒い肌に尖った耳を持つ魔族、ダークエルフの特徴を備えた彼女が、僕に攻撃を仕掛けてきたという事実だ。深い闇色の瞳を持つ彼女は、剣呑な眼差しで僕を見据えて言う。

「陛下に近づくな。人間如きが」
(なんだって?)

 首筋を抑えた右手が、溢れる血で濡れていく。治癒の術式を使わなければ、と、頭では考えているのに、痛みが強くて、意識を集中させることができない。

 まずいな。僕は深い傷を負って、あからさまな敵意を放つ魔族の前にいる。冷や汗が額に滲む。震える唇を動かして、なんとか術式を使おうとしている僕の耳に、貴公子と魔族の彼女との会話が聞こえてくる。

「よせと言ったはずだ、サフィール」
「ですが、陛下。陛下の結界を抜けてやってくる存在など、」
「ひけ。彼はわたしの友人だ。手を出すことは許さん」
「陛下」
「ひけといっているのだ」

 その言葉を告げた貴公子に、魔族の彼女が気圧されるところが見えた。そのまま頭を下げて、魔族の彼女は姿を消した。ため息ひとつついた貴公子が、ゆっくりと立ち上がり、僕に近づくさまが見える。陛下。魔族にそう呼ばれる存在の呼称を、僕は知っている。

「……まさか、あなたが、魔王だったなんて、思いもしませんでした、よ」

 唇に微笑みを浮かべて、僕がそういうと、貴公子はぴくりと眉を動かした。

 貴公子がこれまでに見せたことのない、冷然とした表情は、僕にとどめをさそうとしているからだろうか。魔王がなぜ、この国の、この街に潜んでいるのか、それは知らない。けれど、目的があるに違いないのだ。だからこそ、貴公子の秘められた正体を知った僕をそのままにしておくことなんて、あり得ないだろう。

 僕の心に、失望のような、哀しみのような感情がよぎった。唇がゆがむ。ゆるゆると近づいていく指に、瞼を閉じた。僕の指の間から、諾々と血が流れていく。首筋の太い血管を切られていたから、もう、あえて手を下さなくても時間の問題だろう。

 それでも、心に込み上げてくる言葉を言ってやろうと、口を開いた。

「残念です」

 まだ、あの酒場の魅力を伝えきれていないのに、と最後まで言うことができないまま、僕は意識を失った。

目次