いつも通りは当たり前じゃない。

    わたしは毎日、地域猫にごはんをあげています。

    かつてはたくさんいた猫も、数が減って二匹になりました。野良猫は長く生きられない。知っていた事実ではあるんですが、事故で亡くなったり病気で亡くなる猫を火葬場に連れて行く時、悲しい気持ちになります。もっとも生きている地域猫たちは、こちらの感傷など吹き飛ばす勢いで「お腹すいたー」「ご飯くれー」と鳴きます。そういうところに救われもするんですが。

    残った二匹の猫のうち、一匹が今日、元気がありませんでした。

    ごはんをあげてるのに、食べようとしないのです。声をかけてみたところ、「にゃあ」と鳴くから食べたいんだろうなあと思うのですが、どうも食欲がないよう。いやでも予感が走りました。とっておきのウェットフードをあげてみたところ、少し食べたから安心したのですけれども、いつものカリカリを食べられない(?)猫を見て、不安に駆られたのです。

    とりあえず、本猫は満足するだけ食べたよう。のそのそとその場から立ち去って行く猫を見送って、わたしは安心するやら、不安になるやら、とても複雑な気持ちになりました。

    もしかしたら、この猫ちゃんとさよならの時期が来ているのかなあ、と考えてしまったからです。

    今日もいつも通りの朝だと思っていました。でも時間は確実に過ぎていて、猫ちゃんも同じなんだなあと感じました。ましてやその猫ちゃんは、お年寄り猫なんです。我が家の愛猫よりちょっと年下くらいだから、野良猫にしては長生きなほうですよ。多くの子猫を産み、そして子猫たちを見送ってきた雌猫なんです。野良猫らしくとても賢く、捕獲器になかなか捕まってくれない猫でもありました。

    長く接してきたからね、それなりに情があります。

    だから、今日はちょっと苦しいです。切ないような、悲しいような。ううん、今はまだ猫ちゃんは生きている。悲しみを先取りにしちゃいけない、と考えているんですけれど、どうしても沈みます。

    地域猫とさよならする。その時は必ずきます。

    その時はできれば遠く、まだ先であってほしいと感じました。でもその時が来るのならば、わたしはしっかり向き合わなければならないな、と感じています。最後まで面倒を見る。それは絶対に固めておかなければならない、覚悟だと思うのです。

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