詐欺に資格は必要ありません。 (9)

(ああ)

 朝の澄んだ空気が、心地よく肌に触れる。両手に桶を持って、共有の井戸に向かう。朝も早い時間だが、すでに井戸に人は並んでいた。にこにこと最後尾に並ぶと、見慣れ始めた顔がキーラに気づいて、挨拶をしてくる。

「あ、おはよ」
「……はよ」
「おはよう!」

 たいてい、この時刻に井戸に並んでいるのは、炊事の手伝いをさせられている子供たちだ。ゆっくり眠りたいが、親に桶を渡されて水桶の補充にやってきた、という風情である。文句を云う子供はいない。眠たそうではあるが、おとなしく水を汲んでいく。

(ああ)

 ほけーっと列を待っていると、比較的早くにキーラの番がやってきた。桶に水を汲み、すぐ近くにある建物の裏庭に向かう。でっぷりと大きな水甕に注ぎいれて、再び井戸に向かう。水甕がいっぱいになるまで井戸を往復する。それがキーラの朝の仕事だ。結構な重労働ではあるが、キーラが雇われるまで、これは視力の弱い老婦人の仕事だったのだ。あなたが来てくれて、本当に助かっているわ、と云われてキーラはますます早起きになった。

(労働って、いい……!)

 じーんと胸を熱くさせる感情がある。あたりまえに働いて、ありがとうと云われる。そんな事実ほど、人を喜ばせるものがあるだろうか。いいや、ないに違いない。

 キーラはいま、ルークス王国、都の西はずれにある食堂で働いている。足を棒にしてようやく見つけた勤務先だ。ローザと云う名前の優美な老婦人が一人で経営していた飲食店で、キーラが魔道士だと知っても、住み込みで雇ってくれた。

 スキターリェツが身元保証人となってくれたおかげでもある。だから最初は警戒心が働いていたが、いまはすっかり労働の喜びに目覚めている。

 水甕がいっぱいになるころには、ローザがすでに下ごしらえを進めている。野菜を洗い、果物を切る。食材に触ることは許されていないから、キーラは次に店内の掃除を進める。窓を開けて、床を箒で掃いて、テーブルを布巾で拭く。野草の花を摘んできて、ところどころに飾る。居心地の良い空間になった、と感じるころに、ローザに呼ばれる。

「おつかれさま。そろそろ朝食にしましょう」

 飲食店の開店は、朝食を終えた後の時間だ。朝食を食べさせる屋台があちこちにあるため、あえて朝食の時間帯には開けないのだとローザは笑っていた。ここはお茶とお菓子と軽食を楽しむ店なのだと。初めて聞いた時、キーラの胸がどくんと高鳴った。それはまさしく、キーラが将来開きたいと思っている理想のカフェなのだ。

 布巾を裏庭に干して、ローザがにこにこと待つテーブルに向かう。近所のパン屋から届けられる焼きたてのパンに、野菜サラダ、卵料理、と云った朝食がキーラを待っている。手を組み合わせると、ローザも同様に、食前の祈りを唱えた。ふわりと紅茶の匂いが漂う。はぐ、と、ちぎったパンを口に入れて、じーんと感動した。外がさくさく、内はふわふわのパン生地に、溶けたバターが豊かにからむ。くすくす、とローザが笑う。

「本当に美味しそうに食べるわねえ、あなた」
「本当に美味しいからそうなるんですよう」

 食事の間、二人の間に、ほとんど会話はない。
 だからと云って気づまりということはなかった。会話を続けなければならない、と脅迫めいた空気はなく、ただ、好きなように過ごせばいい、と云う空気がある。それはローザから漂っているもので、だからこそ、この店にお客は来るのだろうとキーラは感じた。

「今日のお菓子はなんですか?」
「ペルシックをたくさん持ってきていただいたから。この時期のペルシックはそのままいただくほうがよいのだけど、やっぱりヴァレーニエにしたのよ。面白がっていただけるかと思って。ああ、ヴァレーニエというのはね、果物を砂糖で煮たものよ」
「へえ、果物なんてそのまま食べるのがおいしいのに」
「あらいやだ。ルークスの人間を泣かせるようなことを云うものじゃなくてよ。あなただって果物を乗せたタルトを食べるでしょう。それと同じようなものよ?」
「そうですかねえ。やっぱり微妙に違う気がする」
「じゃあ、食べてごらんなさい。ルークスの人間が、紅茶を飲むたびに必要とする、その理由がよくわかるから」

 はあ、とキーラはあいまいに笑った。こういうとき、対応にすごく困る。

 スキターリェツはローザに対し、キーラがルークスの外から来た人間だとは云わなかった。だが侮れない老婦人は、それとなく察しているようで、ことあるごとにルークスの常識を教えてくれる。お客に対応しているときも、さりげなく手助けしてくれる。

「さ、朝食を食べ終わったらお仕事よ。今日も一日、がんばりましょう?」
「はい」

 だがキーラの困惑など、ローザは受け付けない。さらりと手助けした後は、さらりと自分の生活を守る。だからキーラは今日も、ちゃんと働くことができるのだ。

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