詐欺に資格は必要ありません。 (10)

 自分が置かれている現状に対して、どう考えているのかと問われたら、キーラは少し考えて応えるだろう。とてもうれしくてありがたい状況だ、と。

 ここならキーラは本当に、ただの娘でいられる。魔道士であることは隠していないが、キーラを魔道士として、ましてや紫衣の魔道士として見る者はいない。将来カフェを開きたいと願っている、ちょっと奇妙な娘だと苦笑交じりに見てもらえる。

 欠点があるとしたら、ここがマーネではないことか。ここが太陽の光と海の匂いに彩られた、あの陽気な都市ではない事実が、不満と云えば不満だ。だが気になるほどではない。このまま働き続けてもいいかなあと思う程度には、ルークスでの生活を気に入っていた。

 だが、そのままではいていいはずがない、と、よくわかっていた。

「おやすみなさい、ローザ」
「はい、おやすみなさい。ゆっくり眠るのよ」

 一日の仕事を終え、就眠のあいさつをローザと交わし、とたとたとキーラは屋根裏の部屋に向かっていた。入浴させてもらったから、髪がまだ濡れている。与えられた部屋の扉を開いて、ちいさな室内に入れば、窓から月の光が差し込んでいた。おかげでずいぶん、明るい。

(ろうそくなんて、いらなかったかしら)

 でも雲に隠れてしまったら、たちまち暗くなるのだし。キーラはちょっと迷って、ろうそくを床に置いた。

 この部屋はローザの子供が幼いころに過ごしていた部屋だ。おかげで家具がそろっている。ちょっと小さめの寝台に、学習するための机、さまざまなジャンルの本が並んだ本棚、衣装箱。ローザの子供は勉強家だったらしく、本棚にはなんと世界地図もあった。

 窓を開ければ、冷たい夜風が入り込んできた。アダマンテーウス大陸の北方に位置するルークスは、マーネと違って昼でもそんなに暑くない。だから夜は、本当に気温が下がる。とはいえ、風呂上がりには冷たい空気は気持ちいいものだ。

 そうしてキーラは、今日も世界地図を、学習机に広げた。

 注目するのは、ルークスを描いている付近だ。ルークスはきれいな楕円状の国で、北、東、西、の三方を海に囲まれている。南に他国との国境がある。だがいずれもいまは出入りできない。

(つまりルークスにはりめぐらされている結界とやらは、海と陸、両方に効果があるのね)

 もう一度、キーラは断言する。魔道的に考えるなら、そのような結界は存在しない。
 あわせてスキターリェツが告げた言葉が、キーラに閃きを与えた。

『便宜上、結界と呼びかけているけれど、実際はちがうものだからね』

 あのときはさらりと聞き流してしまったが、よく考えるべき言葉だった。そのとき、キーラが下した判断が間違いだと教えてくれる言葉だったのだから。

 つまり魔道による結界はルークスのまわりには「存在しない」。噂は真実ではなかった。

 だから魔道を封じられたままでも、キーラはルークスから出て行ける。ただしどのような方法で、ルークスが他国人の入国を拒んでいるのか、わかりさえすれば、だ。

(問題は、どんな方法で拒んでいるか、よね)

 キーラは地図を見つめたまま、腕を組んで、むむむ、と唇をとがらせる。

 普通に考えるならば、兵士を国境に配置する方法だ。人件費はかかるが、それなりに有効だ。だが徹底できないし、なにより魔道による結界を張り巡らしている、と云う噂が出てくるはずがない。魔道を用いているとしか思えない要素があるからこそ、そのような噂が生まれたに違いなかった。

 ――――そのような要素に、心当たりが、ある。

 魔道士よりもっと自然に近い、不思議の力を行使できる存在に、助力を求めれば良いのだ。土地の条件を考慮したら、彼らが住んでいる可能性はあるとキーラは気づいた。

 精霊、と一般的に呼ばれている存在である。

 普通の人々は「精霊」と呼ばれる存在に対し、勘違いをしている。自然の力が凝り集まって意志を持った存在を精霊だと考えているのだ。だが魔道士たちは、精霊と呼ばれる存在が、人間とは異なる進化を遂げた「生き物」であると知っている。けれど知識としてまだ広がっていない。精霊たちが人間と隔てて暮らすことを望んでいるからだ。

 だが精霊たちが、その要望を違えて、スキターリェツたちに力を貸しているのならば?

(どうするの、あたし)

 自分に問いかけて、同時に、キーラは金髪の優美な青年を思い出している。

 精霊たちを動かす方法など、キーラは知らない。スキターリェツたちは知っているようだが、キーラには見当もつかない。つまりキーラはルークスを出ていくこともできなければ、傭兵集団『灰虎』の皆をこの地に潜入させることもできないということだ。

 ――――傭兵集団『灰虎』の傭兵たちは、きっと、ルークスにやってくるだろう。

 キーラが理由だとは思わない。思うはずがない。そもそも彼らには王子アレクセイを騙る理由があるのだ。だからキーラが逃亡し潜入できる可能性が減ったとみなしても、ルークスにやってくるに違いない。
 そうしてキーラには、まだ依頼を遂行する義務がある。『灰虎』から逃げ出したため、依頼を放棄したとみなされているだろう(あるいは裏切ったと思われているかもしれない)が、互いの話し合いの結果、正式に依頼を廃棄したわけではない。少なくとも『灰虎』は了承していなかった。だからキーラは、依頼を遂行する方法を考え続けなければならないと感じていた。

(でも、)

 窓から見ることができる、静かで平和な夜を眺めて、キーラはつぶやいた。

「ここはこんなにも、穏やかで豊かな、国なのよね」

 ルークスで働き始めてから、胸の中で響いている感想だ。いまのところ鎖国を行っているルークス国内は、とても穏やかで豊かだと感じる。こんな国に最強の傭兵集団『灰虎』が潜入する意味はないのではないか。ローザやほかの人々の笑顔を見るたびに、強くそう感じている。あるいはキーラの知らない事実があるのだろうか。

 くしゅん、とくしゃみが出る。夜風にあたり過ぎた。小さく自嘲の息を吐いて、キーラは窓を閉めた。

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