間章(1)

    物云わぬ友人を抱き上げ、甲板に出たとき、仲間たちが息を呑む気配を感じた。だが口に出してなにかを云う者はいない。

    だからミハイルは、あえて意識をそちらに向けずに、まっすぐに小舟に向かう。金に染めたばかりの髪が、海風に乱される。見慣れぬ前髪が少しわずらわしい。

    だが表情には出さずに、布にくるんだ友人を小舟に降ろした。頭部に手を乗せ、まぶたをとじる。短く祈りをささげて、はなれると、いつもより粛然とした仲間たちが歩み寄り、小舟を海に降ろした。同時に火がつけられ、小舟はゆっくりと彼方に流されていく。

    ――――こうして仲間を弔うのは、これが初めてじゃない。

    なんといってもミハイルは傭兵なのだ。命を戦場でやり取りする稼業なのだから、仲間の喪失は日常の一部である。感情が麻痺するように、葬送にも慣れていく。

    ただ、本日弔ったのは、幼いころより共に育った友人だった。

    ゆっくりと小舟から煙が立ち上っていく。もしも魂と云うものがあるなら。それぞれ黙祷している仲間たちの中で、一人、ミハイルはまっすぐに煙を見つめて心の中でつぶやく。

    (もしも魂と云うものがあるなら、いま、あいつはどこに向かおうとしているんだろうな)

    ルークス王国では、故人は死んでもこの世に留まると考えるらしい。
    ならば肉体と云う枷から解き放たれた友人は、まっすぐに故郷に向かうのだろうか。亡くなる直前まで王子として案じ、一人の青年として愛し続けた故郷へ。

    「ミハイル」

    物思いにふけっていると、黒髪黒瞳のセルゲイが険しい眼差しで見据えてきた。表情だけで何を云い出そうとしているのか、よくわかる。ふ、と微笑してミハイルは口を開いた。

    「悪いがセルゲイ。今後、おれのことはアレクセイと呼んでくれ」
    「あいつは死んだ!」

    叩きつけるような怒号を放ったセルゲイは、ぐいと乱暴に襟元をつかんできた。揺らがない眼差しで見つめ返し、ぽんとその手に片手を乗せる。

    「あいつが云い残した言葉を覚えているだろ」
    「馬鹿げたことだ。いくら本人の頼みでも、王族を騙るなど許されるはずもない」
    「ミハイル」

    さらに口を挟んできたのは、傭兵集団『灰虎』の団長であるアーヴィングだ。いつも朗らかに笑っている顔に厳しい表情を浮かべている。

    「セルゲイの云う通りだ。おれたちはルークス王国国王からの依頼を果たせなかった。ルークス王子を護ることはできなかったんだ。粛々とその事実を受け止めるしかないだろう」
    「あいにくですが、団長。おれはすでに依頼を受けました」
    「なに?」

    いつまでも襟元をつかんでいるセルゲイの手を放して、アーヴィングに向かい合う。

    「死にゆくルークス王子より。自らに擬態して、故国を解放せよ、と」
    「馬鹿野郎!」

    びりびりとあたりの空気が震える大音声だった。反射的に身をすくむ仲間の姿が見えたが、ミハイルはピクリとも動揺せずに、アーヴィングを見据えた。この反応は予測していた。『灰虎』から放り出されることも覚悟している。それでもミハイルは、王子アレクセイの依頼を最後まで遂行するつもりだった。もう、決めたことなのだ。

    「ミハイル」

    誰もが息を呑んで見守るなか、ずっと沈黙していたチーグルが口を開く。老いたとはいえ、いまだ多くの戦士から畏敬を受ける存在の呼びかけに、ゆっくりと視線を移す。

    「もう、決めてしまったのかの?」
    「はい」
    「わしらとは袂を分かつつもりか?」

    淡々となされた問いかけにも、はっきりとうなずく。仲間たちがざわめいていたが、ミハイルはチーグルから視線を外さなかった。まっすぐに注ぎ込まれる、虎のような猛々しい眼差しが、ふっとゆるんだのは、どのくらいの時間が経過してからだろうか。

    「ならば、好きにするがよかろうよ」
    「チーグル!」

    セルゲイが慌てたように呼びかけ、ざわめきがいっそう大きくなる。ミハイルは表情をゆるめ、静かに頭を下げる。そのときだった。チーグルが口を開いてもずっとミハイルを睨んでいたアーヴィングが腰に佩いている大剣をすらりと抜いた。アーヴィングの殺意はまっすぐにミハイルに向かっている。

    「あいにく。団長としてはかつての団員から詐欺師を生み出すわけにはいかないんでな。決意を翻さないというなら、その首をいただく」
    「団長!」
    「剣を抜け、ミハイル。おまえの覚悟、おれに見せてみろ」

    ひややかに見据えてくる眼差しを受け止め、ミハイルも剣を抜き払った。冷や汗がこめかみを流れていく。アーヴィングはただ、気風の良さで団長になった男ではない。チーグルをはじめとする傭兵たちに、剣の腕前を認められたからこそ、団長の座に就いた男だ。つまりミハイルより圧倒的に強い。このまま本当に命を失う可能性を強く意識した。

    だが、それでも約束したのだから。

    (アレクセイ)

    剣を構え、動き始めたアーヴィングの足さばきを感じ取りながら、心の中でつぶやく。

    (だからおれは、おまえのことが大嫌いだったよ)

    生きていようが死んでいようが、容赦なくミハイルを厄介事に引きずり込むのだから。

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