「殿下」

 しばらくキーラと会話を交わしていると、セルゲイが甲板に現れた。キリルをはじめとする新人たちを引き連れている。偶然、かちあったのだろう。おそらく部屋にいないアレクセイを探して甲板に出てきたのだ。もうそんな時間か。アレクセイは毎朝、アーヴィングたちとミーティングを重ねている。だから迎えに来たのだ。

 アレクセイに協力すると決めて以来、忠実な従者の役を演じてくれている友人は、「おはよう」とあいさつしてきたキーラに視線を移した。無表情の下で困惑していると、長年の付き合いがあるアレクセイにはわかる。女性を苦手とするにも限度があるだろう。苦笑を表に出さないよう気をつけながら、ぽんと肩を叩いて船室に向かう。まもなく背後から「てえええいっ」と気合の入ったキーラの声が聴こえてきて、くすりと笑ってしまった。

「ミハイル、どうした?」

 少女がいないことで気が抜けたのか、セルゲイは本来の口調で話しかけてくる。ちらりと視線を向けて、背後を示した。

「魔道士のお嬢さんさ。元気だな、と思って」

 ああ、とセルゲイはうなずいて、背後をかえりみる。

「キリルともずいぶんうちとけているようだ。だから相談されたぞ、本当におまえのことを話さなくていいのか、と」
「……そうだな」

 さきほど抱いた感覚を思い出して、あいまいにアレクセイは応えた。すると意外そうにセルゲイが眉を上げる。基本的にアレクセイはあいまいさを嫌う。よく知るセルゲイは、口端をもちあげて、からかうような眼差しで告げた。

「おまえでも迷うことはあるんだな。必要ないと断言すると思っていたぞ」
「そもそも彼女に対して、不要な温情を向けた自覚があるんでね」
「不要な温情か」

 苦笑を交えたセルゲイに、「そうさ」と返して、アレクセイは続ける。

「彼女は魔道士である自分から逃れたがっている。だから依頼に積極的じゃない。そんな人間だから深く立ち入らせまいと秘密を話さない。温情以外のなにものでもないだろう」
「たしかにな。だから意外でもある。彼女を巻き込むことを選びながら、どうしてそんな甘さを残している?」

 とっさに返す言葉が見当たらなかった。アレクセイが沈黙していると、セルゲイは目を細めて視つめてくる。いつものおまえらしくないぞ、と、告げる眼差しだ。たしかにそうだ。手段を択ばない方法で引きずり込んだのだから、容赦しないで秘密を話してしまえばいい。なのにどうして自分はキーラを客人扱いし続けるのか。

 流されやすい少女だからだろうか。意志が弱いわけではなく、ただ、周囲の思惑を読み取りすぎる少女だからこそ、第一級の秘密を打ち明ける人間として不適格とみなしているのか。いや、と、自分ですぐに答える。たしかに軽侮の念を向けている。だがそこまでキーラを信用できないと思っているわけではない。

 ではなぜだというのだろう。

 応えられないアレクセイに対し、どう考えたのか。セルゲイは「まあいい」とつぶやく。落ち着かない気持ちになった。これはあいまいに片付けていいことではない。不自然に目をそらすと、セルゲイは無表情にとんでもないことを云った。

「それだけおまえが、あのお嬢さんを気に入っているということだろう」
「気に入っている?」

 目をみはって、アレクセイは訊き返した。意外そうな響きだったからか、セルゲイが眉を上げる。

「そうだろう? だからお前は彼女に対して甘くなるんじゃないか?」
「それはちがう」

 きっぱりと云い放って、アレクセイは少し考え込んだ。

 キーラに対して特定の感情を向けているつもりはない。ただ、ルークス王国に潜入する助けになることを期待している。求めている。むしろ温情を向けた人物だからこそ、個人的な感情を向けるべきではないとアレクセイは考えていた。

 だがそれは自信過剰な考えだっただろうか。相手がどんな人物でも、共に生活することで育つ感情はあるのだ。かつて苛立ちを覚えた王子アレクセイに対し、いつのまにか友情が育っていたように。キーラに対しても同じことが云えるのではないだろうか。

 それでもキーラを気に入っているという言葉には違和感を覚える。

 気が付けばセルゲイがじっと見つめている。気づいたアレクセイは軽く肩をすくめておくことにした。いまはキーラを気に入っているわけじゃない、ただ……。その先の言葉を探してあきらめる。いずれ自分から解放する人間だ。考えすぎる必要はないとアレクセイは結論付けて、会議室の扉を開いた。