誰にでも事実を知る資格はあるのです。 (6)

    「おかえりなさいませ、スキターリェツさま」

     神殿に足を踏み入れたら、さほど進まないうちに声をかけられた。聞き覚えのある、けれど馴染みのない声に目を向ければ、初めて会ったときのように身なりを整えたアリアが頭を下げていた。ゆっくりと顔をあげるアリアを見て、ちょっと残念に感じる。アリアは隙なく化粧をしていた。素顔もかわいいのに、とつぶやいていると、ギラリと睨まれる。

     う、とたじろいで口をつぐんだキーラの隣で、にこやかにスキターリェツが応えた。

    「ただいま、アリア。予定を空けてくれと云ったのは僕なのに、待たせてごめんね」
    「まあ、いやですわ。お気になさらず。多少の遅れなど気にするようなわたくしではありません」

     背筋をぴんと伸ばして、アリアはあでやかに微笑む。化粧をして、身なりを整え、艶めいた言葉づかいで話す。そうしていると、とてもではないがキーラより年下の少女には見えない。むしろスキターリェツと同年代に見える。そう考えて、ああ、と納得した。

     かわいいところ、あるじゃないか。

     二人は会話しながら、神殿を進む。いまさら帰るわけにもいかないから、おとなしくキーラは二人にくっついていった。だがずっと沈黙しているのに、なぜだかお邪魔虫の気分である。時折、アリアの視線が強く、キーラを見据えるからだろうか。二人きりでいたいのに! と雄弁に語る眼差しに申し訳ない気持ちになった。おかしい。キーラが望んでここに来たわけではないのに。

     やがて二人は、一室の扉を開いた。心地よく整えられた部屋だ。窓は解放され、陽除けの布が揺れている。中庭に面しているから緑の芝生に、陽の光が照らしだされている。風がやわらかに吹き込む。くん、と漂うのは、どこに咲いている花の匂いだろうか。

     そんな部屋の中央にソファセットが置いてある。紺色のソファに、白いレースがかけてある。濃い茶色のテーブルの脇には、茶器が整えられていた。まずスキターリェツがソファに腰かけて、アリアはテーブルについた。二人の視線に促されて、キーラもスキターリェツの向かいに腰かけた。話はすでに通じているようで、ちらりとアリアがキーラを見る。

    「それで、スキターリェツさま、こちらの方にお茶の淹れ方をお教えすればよろしいのですね?」
    「その通りだけど、どうしてそんな呼び方をするんだい? キーラとは親しいんだろう?」

     不思議そうにスキターリェツが問いかければ、アリアはつんと顎をそびやかした。

    「そんなはず、ありませんわ。マティがなんと申し上げたのか存じませんけど、わたくしはこんな方とは、ちっとも、まったく、これっぽっちも親しくありませんから」
    (なんて正直)

     以前は確かに、ちらりと交流できた感触があったのだけど、と思いつつ、スキターリェツを眺めた。たぶん彼が毎日キーラを訪れていたから、交流した過去は無きものとされているに違いない。まあ、親しいと云われても、キーラとて困る。アリアは友人じゃない。

    「そうかなあ? 毎日、僕にキーラのことを訊いてただろ?」
    「彼女のことを訊いていたのではなく、彼女との間にあったことを訊いていたのですわっ」

     白い頬を赤く染めながら、むきになったようにアリアは云う。

     なんだかなあと思いながらキーラは、スキターリェツを見た。ここまであからさまな好意を向けられて、どうこたえるのかと興味がわいたのだ。にっこり、と輝かしく笑って、スキターリェツはのたまった。

    「いやだなあ、照れなくてもいいよ。せっかく出来た、アリアの初めての友達じゃないか」

     思わず、はあ、と息を吐いていた。

     なんというか、見事だ。わざとなのか天然なのか、よくわからないけれど、アリアの気持ちをこれ以上ないほどにスルーしている。くっ、と小さくうめいたアリアはわずかに横を向いて、なにかをこらえるように肩を震わせた。その細い肩をポンポン叩いて慰めたい衝動に駆られたが、ただ、視線をそらせておいた。タブン、クツジョクテキダロウシ。

    「スキターリェツ、いるか」

     不意に扉が開いて、マティが顔を出した。室内に視線を向け、キーラを見るなり驚いたように目を見開く。なんだい、とソファに腰かけたままスキターリェツが応えれば、細めた目でキーラを見つめる。

     キーラがいるから、報告できないのだ、と悟った瞬間、無性にその内容を聞きたいと感じた。いまはどんなことでも秘密っぽい情報を集めたい。だが、仕方なさそうに息をひとつ吐いて、スキターリェツは立ち上がった。扉に向かいながら、アリアに告げる。

    「悪いけど、用事があるみたいだから僕はこれで。しっかりキーラに美味しいお茶の淹れ方を伝授しておいてね。じゃあ、キーラ、また明日」

     そうしてスキターリェツはマティを促しながら部屋を出ていく。

     思わずそっと腰をあげそうになったキーラだったが、がしりと二の腕をつかまれて動きを止めた。そういえば、アリアがまだここにいたのだ。おそるおそる視線を向ければ、仏頂面になってしまったアリアがじーっとキーラを睨んでいる。

    「どこに行こうというの?」
    「え、いえ、別に」

     二人の会話を立ち聞きしたいと思いまして、とはとても言い難い雰囲気である。

     とりあえず腰を降ろせば、アリアは茶器の用意を進めながら、口を開いた。

    「朝に起きれば、つみたての花と美味しいお茶を淹れてご挨拶にうかがうの。朝食のパンを切り分けるのはわたしの役目よ。仕事の手助けは許されていないけど、休憩をとられる度に甘いものとお茶を持っていったら、にっこりとあの微笑みでお礼を云っていただけるわ。スキターリェツさまがお出かけになられたら、その部屋を居心地良く整えて差し上げたりもしている。夕食はせめて気分が晴れるように、スキターリェツさまがお好きなものとお身体によいものをそろえるようにと料理人に云いつけて、就眠前には一緒にお茶を飲んでお休みなさいと申し上げるの」

     ずらずらと語られてしまった。突然なにを語り出しているのだろう、と思って眺めていると、ぎん、とアリアは強い眼力で云い切った。

    「だからっ、あんたなんかにあの方は渡さないわっ」
    (……。……、ええと)

     一瞬、気が遠くなりかかったが、とにかく誤解されていることはわかった。

     女の子って、こういう生き物だったっけ。マーネにいる友人を思い出して首をかしげながら、キーラはアリアに向き直った。ぎんぎんに睨んでいる。誤解を解かなければなるまい。でも骨が折れそうだなあ、と、ぎらぎらした目つきに溜息をこぼしそうになった。

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