誰にでも事実を知る資格はあるのです。 (9)

     魔道士なのだ、と思う。

     取り立てて珍しい恰好をしているわけではないが、乱れた襟元から緋色の肩掛けがずり落ちそうになっている。各地の魔道ギルドは少なくとも色持ちの魔道士が責任者となる。この建物で他に誰も見なかった事実を思い出せば、この男が責任者である可能性が高い。

     キーラは扉を開いて、おそるおそる男に近づいた。起こしていいものだろうか。ためらいながらそっと手を伸ばしたところ、がつ、とその手首を取られる。はっと目を見開けば、ぼさぼさの髪の合間から闇色の瞳がキーラを見据えていた。いびきはいつの間にか止んでいる。薄い唇が開いて、思ったより若い声が皮肉に響いた。

    「大胆な侵入者だな。それとも暗殺者か? あいにくわしには通用せんが」
    「っ、いたっ」

     ぎゅと捕えられた手首に力がこもる。男はゆっくり起き上がった。その視線が捕えている手首に向かう。眉を寄せた。手首を捕えたまま、親指で幻影魔道がかかっている腕輪をなぞる。数度繰り返して、ちらりとキーラを見た。

    「魔道封じの腕輪? なぜ暗殺者がそんなものをつけている?」
    「あたしは暗殺者じゃないっ。手をゆるめて!」

     たまらずに大声で訴えると、男はちょっと考えてぱっと手を放した。いきなり解放されて、中腰になっていたキーラは反動で床にへたり込む。ざらり、とあまり掃除されていない床の感触に気づいたが、気にしていられない。ほぅっと息を吐いて、手首を撫でた。じんじんと痛みが響いている感触だ。顔をしかめていると、こちらも顔をしかめた男が口を開いた。

    「じゃあ、あんたは何者だ? 魔道士がいまさら、ギルドに何の用がある? ずかずかと遠慮もなしに上り込みやがって。……ギルドの方針には従わないんじゃなかったのか」
    「なにを云ってるのよ?」

     唇をとがらせて云い返せば、男は呆れたようにキーラを見つめた。

     やがて視線をそらして、ひとつ大きな息を吐いた。ばりばりと髪をかきながら云う。

    「なんの用だ?」

     謝りもしない。魔道士ギルドを訪れた判断を後悔しそうになったが、ここは我慢だとぐっとこらえた。呼吸を意識して繰り返して、ようやく鎮めた声音で問いかける。

    「このギルドにはどうして他の魔道士がいないの?」
    「はぁ?」
    「あと暗殺者ってなに? あなた、なにをしているの?」
    「いまさらなにを云ってやがる」

     男は溜息混じりに告げて、だが唐突に、かっと目を見開いた。

     激しい勢いでキーラをかえりみた。再び腕を伸ばして、今度はキーラの二の腕をつかむ。強い力で引き寄せ、真剣になった闇色の瞳を合わせてきた。

    「あんた、……まさか、外から来た魔道士か?」

     キーラは少しためらった。外から、と云うのはルークスの外からと云うことだろう。キーラは自力でやってきたわけではなくて、アリアやマティに連れてこられたのだ。だが結局、直感が示すままにうなずいた。そもそも話さないでいられる事実ではない。

     ぱっと男は目を細めて笑った。二の腕を放し、なんとキーラを抱きしめてくる。反射的に硬直していると、愉快そうな笑い声が聞こえた。振動が伝わる。男が笑っているのだ。

    「ざまをみやがれ! あいつらもついにツケを払う時が来た!」
    (あいつら?)

     不思議に思ったものの、とりあえずぐいーっと男の胸を押して距離を置いた。男はきょとんとした表情で腕を解く。耳の下あたりがやけに熱い。慣れてないからだ、とよくわからない方向に云い訳しながら、キーラは気を取り直して、今度こそ男を睨んだ。

     なんなのだ、いったい。

    「あなた、なんなの? このギルドの現状はどういう次第?」

     すると男は姿勢を正して、襟元を整え緋色の肩掛けをかけ直した。丁寧なしぐさで頭を下げて、おだやかな口調で言葉をつむぐ。

    「これは失礼した。わしは魔道士ギルドルークス支社を預かるレフと云う。精霊たちの結界を超えていらした偉大なる魔道士どの、わしはあなたを心より歓迎しよう」

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