「精霊たちの結界を超えてやってきたわけではないわ」

 即座にキーラは切り返した。男の表情がたちまち困惑にゆがむ。問いかける眼差しにためらって、だがうそをつくわけにはいかないから、正直に事実を告げる。

「わたしは神殿にいる魔道士の転移魔道でルークス王国に来たのよ」

 するとレフの眼差しが、失望を通り越して険をはらんだ。険しい表情で口を開こうとする男の前に両手を上げて、キーラは自分の言葉を押し通した。

「まって。最後まで聞いてちょうだい。あたしはマーネで暮らしていたの。でもギルドの長の要請で、傭兵集団『灰虎』に雇われてルークス王国に向かっていたのよ」
「『灰虎』、――――アレクセイ王子の要請か」

 この言葉に、キーラは目を丸くした。なぜこの男は、『灰虎』の名前を出して、王子アレクセイを結びつけられるのだろう。疑問は一瞬、すぐに仮定が閃いて言葉を継いだ。

「もしかして、あなたは王さまと近しい存在だったの?」
「わしじゃない。前任者が親しかった。……長い話になりそうだな、茶でも淹れよう」

 完全に警戒を解いた様子で、レフは立ち上がる。少し離れたところにあるチェストに向かって、かちゃかちゃとお茶の準備を始めた。キーラは困惑したが、余計な手出しはまずいと感じ、目の前のテーブルの上をまとめた。乱雑に積み上げられた本を端に寄せる。うっすらと積もっていた埃が宙に舞う。布巾の場所を訊ねれば、レフは手元の布巾を差し出した。困惑がますます強くなったが、その布巾でテーブルを拭いたところで茶の準備ができたようだ。盆にのせて、湯気の立つティーカップをテーブルに並べる。

 レフはためらいなくティーカップに口をつけ、キーラは身構えながら口をつけた。埃が舞う部屋で無造作に淹れられたお茶である。ひと口飲んで、ちょっと硬直した。色はついているけれど、風味が薄い。ローザやアリアが淹れる紅茶とは雲泥の差だ。でもせっかく出してもらったのだし、とそのまま飲み込んだ。向かいでレフがにやりと笑う。

「気の強い娘さんだな。まずければ飲まなくてもいいぞ」
「まずいというほどじゃない、わ」

 少し前まで自分が淹れていた紅茶の味を思い出しながらキーラは応えた。そう、あれよりマシだと誤魔化そう。少なくとも渋くはないし、白湯を飲んでると思えばいいのだから。

 なにより一応は与えられたもてなしの茶である。飲まないのはどうにも気がひけた。

 レフはにやりと笑ったままお茶を飲み、少し和らいだ眼差しで会話を戻した。

「わしが知っていることはそんなに多くはない。十年前、王に、前任者がアレクセイ王子を信頼できる者に預けるよう進言したこと。その結果、『灰虎』が選び出され、アレクセイ王子が預けられたこと。前任者は王からの密命を受けてそのまま姿を消したことくらいだ」
(前任者が姿を消した?)

 新たに得た情報に眉を寄せる。どういう意味があるのか、と考えかけてキーラは首を振る。いまはもっと知らなければならない、基本的な疑問がある。

「まず確認させてくれる? あなたは神殿にいる魔道士の仲間なの」
「これまでのやり取りから察したと思ったが、……いいや、ちがう。わしはあいつらを敵視しているし、あいつらも現状を乱すわしがいなくなればいいと思っている。そんな関係だ」

 偽りのない響きで教えられ、キーラは肩の力を抜いた。

 少々あっけないが、とにかくスキターリェツ側ではない魔道士に会えた。それだけで気が抜けそうになり、はっと我に返って慌てて気を引き締める。これからが本番だ。

 キーラはティーカップをテーブルに置き、居住まいを整えてレフを見つめた。

「教えてくれるかしら。いま、この国はどういう状況なのか。なぜこの国は鎖国しているのか。……あたしの目に、この国は平和で豊かだと映る。でもあなたはこの国の現状を望ましいと思っていないのね?」
「思えるはずもない。隣人を犠牲にして、なにが平和だ、なにが豊かだ?」

 苦々しい響きでレフは云い切り、キーラが積み上げた本の山から一冊の本を取り出し、そのままキーラに差し出してきた。受け取ったキーラは本のタイトルを読み上げる。

「『森に住まう、わたしたちの友』、――――これは、」
「いわゆる『精霊』について書かれた本だ。この国は『精霊』から譲られた国だからな」

 キーラは目を丸くして、レフを見た。アダマンテーウス大陸でもっとも古い王国がルークス王国だ。それが精霊から譲られた国とは聞いたこともない。困惑に目をまたたいていると、レフはゆっくり話し始めた。

 古い古い、ルークスに伝わる物語を。