誰にでも事実を知る資格はあるのです。 (15)

    「こわい顔をしているね」

     不思議そうに首をかしげたスキターリェツは、キーラを見るとそう云って笑った。のほほんとした、ちょっと気が抜ける笑顔だ。でもこれほど、腹が立つ笑顔はない。そう感じながら、深い呼吸を繰り返す。わずかに気が鎮まった頃に、ようやく口を開いた。

    「一人でも帰れるわ。だから手を放して」
    「そうだろうね」

     至って軽い口調で応えて、でもスキターリェツはキーラの手を離さない。振り払おうとしたが、手のひらにぎゅっと力がこもって振り払えなくなった。ますます腹立ちを覚えて、スキターリェツをまっすぐに睨む。今度は我慢しないことにした。

    「あなた、あたしをこのままにしておいてもいいと思ってるの?」

     ひょい、と眉をあげて、スキターリェツはあっけらかんと答えた。

    「思ってるよ。なぜなら、きみにはなにもできないからね」

     想像通りの言葉だ。キーラは唇を結んだが、スキターリェツは頓着しない。

    「きみは確かに最高位の魔道士なんだろう。先ほどの戦いぶりを見ても、きみを力任せでねじ伏せるのは厄介そうだなあと感じるよ。それでも僕はきみを脅威と感じないし、敵だとも思わない。なぜならきみは、飲食店で働くことを喜びとする、普通の女の子だからね」

     ずっと毎日、無意味にきみを見ていたわけじゃないよ、と、笑う。

    「きみが例えば、魔道士ギルドのレフくんと手を組もうとしたとする。でもそれだって僕に云わせれば脅威じゃない。カイは、――――ああ、いま、連れて行かせた少年のことだけど――――きみがそうしようとしていると思ったからこそ、攻撃したんだろうと思うけど、馬鹿なことを考えたなあと感じるよ。なぜならいまのきみを、あのレフくんが受け入れるはずがないからね。そうなんだろ?」

     見透かされている。ぐるぐると身体中をまわっている悔しさが口を閉じさせようとしたが、ぎりぎりのところで、キーラの意地が正直に白状させた。

    「……そうよ。あんたはわしの仲間じゃないって、拒絶されたわ」
    「だと思った。きみは普通の女の子だ。もちろんそれが悪いはずがない。でも何かを破壊しようとする人間には、足手まといにしかならないだろう。戦いの技術が優れていることは関係ない。相手の事情も考慮せずに破壊しようとする人間にとって、きみのような存在は気力を奪い去る存在でしかない。精神的な足手まといなんだよ」

     きっぱりと云い放って、ふ、とスキターリェツは笑った。拘束したままの手を外して、キーラの頬に触れる。キーラはまだスキターリェツを睨んでいた。でも腹立たしさによるものというより、そうするしかいまは思いつかない、というあいまいな凝視だった。

    「だからきみは、このままでいたらいい」

     少女に、と云うより、駄々をこねている幼子に云い聞かせる口調で告げる。

    「ローザのもとで、彼女の手伝いをしていればいい。あの店に来る客は、いまさらきみが紫衣の魔道士だからって気にしたりはしない。もちろん、ローザも。ローザはきみのことが気に入っているし、もしかしたらきみに店を任せようと考えるかもしれない。きみは美味しいお茶とお菓子を出す店をやりたいんだって云ってたじゃないか。このままでいたら、その夢が叶う確率は高まる。それのどこが、いけないというんだい?」
    (たしかに、そうよ)

     スキターリェツの言葉は、静かにキーラの頭に染みこんでいった。

     キーラが望むのは、美味しい紅茶とお菓子を出す店で訪れる客をもてなすことだ。たとえば日常で疲れた人が、ぽっかり癒せる場所を提供できたらいい。たわいもないことを楽しく談笑できる場所を提供できたらいい。それが望み。ここでならそれが叶う。忘れられない過去を思い出すこともなく、ましてや望んでもいない紫衣の魔道士であり続ける必要もない。

    (――――でも、)

     ここでなら叶うだろう夢には、圧倒的に、足りないものが存在するのだ。

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