「パストゥスには魔道士ギルドがある」

 落ちていた木の枝を拾って、積もっていた落ち葉を退ける。声に出してつぶやいた内容を、地面にカリカリと書いた。本当は帳面に書きたいが、ないものは仕方ない。

 さきほどまで震えていたキーラだったが、頭上からふりそそぐ光のおかげで落ち着いてきている。同時に、冷気を妨げる結界も張ったから震えも収まった。時折、闇の向こうに獣らしき気配がよぎるが、いまのところ、近づいてくる気配はない。

「魔道士ギルドに行けば、マーネに帰れる」

 カリカリ。続いて閃いた言葉をつづった。魔道士ギルドにはお金を借り出せるシステムがあるし、転移魔道を取得している魔道士もいるかもしれないからだ。

「ただ、問題はあたしの情報が魔道士ギルドに伝わる、と云うこと」

 状況から可能性は低いと考えているが、『灰虎』がもし、魔道士ギルドにキーラが行方不明になった事実を報告していたら、ただちに『灰虎』に情報が伝わるだろう。同時に、依頼された仕事を放棄している事実が、ギルド長にも伝わる。そんな状態でマーネに戻ろうものなら……、――――わしに引退してほしくなければ――――、アウィス便経由で送られた言葉を思い出して、口元をひきつらせた。だめだ、だめだめ。マーネに戻れない。

(とすると、『灰虎』と合流するのが望ましい、か)

 かつ、と、木の枝を止める。とんとん、と地面を叩いて、溜息をひとつ落とした。

 あれからルークスで穏やかな日々を過ごしたおかげなのか、拘束されていた間に抱いていた感情はすでにあいまいだ。負の感情もこみあげてこない代わりに、正の感情も浮かんでこない。なかなかに興味深い経験をしたなー、と、他人事のように捉えている自分に気づく。危ない。なにせ『灰虎』にしてみたら、キーラは最重要機密を知った存在なのだ。危機感を持って探しているだろうから、当の本人がこんなに呑気でいいわけがない。

 いや、思考が少々、わき道にそれた。

「合流するのが望ましい。とはいえ、再び、魔道を封じられる可能性もあるわけだし」

 いくらキーラが用心したとしても、身体的には普通の人間にすぎない。前回のように、意識を失っている間に、魔道を封じられる可能性がある。あるいは、拘束される可能性がある。そういう可能性を減らすべく、『灰虎』から最低限の保証あるいは信頼をもぎ取る必要があるが、さてどうしたらいいだろうか。

「いちばん簡単な方法は、味方になることよねえ。でも一国の王子を騙ろうとしている集団の味方になっていいものかしら。いえ、よくないわよね。だってばれたらあたしだけじゃなくて、魔道士ギルドにも迷惑がかかるもの。つか、じいさまってばどうしてまんまと騙されちゃったのかしら。――って、」

 つらつらと声に出して、唐突に閃いた。魔道ギルドの長は、本当に騙されているのか?

(待って。待ってよ)

 さーっと血が引く心地だ。キーラは魔道ギルドの長をよく知っている。赤子であったキーラを引き取り、育ててくれた存在だからだ。だからつくづく思い知らされている、魔道ギルドの長は間違いなく海千山千の狸爺だと。

 そんな狸爺が、たかだか傭兵上がりの若造に、まんまと騙されるだろうか。

 続いて思い出した事実がある。『灰虎』の象徴的存在、チーグルと魔道ギルドの長は同郷の昔馴染みだ。その関係を考慮するなら、むしろ魔道ギルドの長は『灰虎』の協力者となっていると考えるほうが自然ではないだろうか。

(まさかね。まさかと信じたいけどっ)

 でもやりかねない。考え込まなくても、するっと言葉が出てしまって、キーラは頭を抱えた。必要とみなした以上、魔道士ギルドの狸爺はどんなことでもやるのだ。身内だからこそ知っているあれやこれやを思い出して、キーラは頭を振った。

(方針変更。パストゥスに行って、魔道士ギルドにて情報を集める)

 少し前に考えていた方針とはまるで逆の方針となってしまったが、しかたない。そもそも文無しの状態なのだ。どうしてもどこかに保護を求めなければならない。候補はいくつかあるが、キーラは魔道士である以上、もっともしがらみが少ないのはギルドなのだから。

(ただ、その前に)

 ちらりと結界の外に視線を向けた。黄金色に輝く双眼がある。他の動物とは違い、まっすぐに結界越しにキーラを見据えている。キーラを獲物とみなしているあかしだ。

 にやりと口端で笑んで、木の枝を放り出した。相手はまだ夜闇の領域にいるが、頭上に固定した光のおかげで、ぼんやりと姿が見える。なかなか立派な体格をした、チーグルだ。雌だろうか、雄だろうか。雌なら望ましいのだけど、と考えているうちに、ぐるるぅ、と低く威嚇が聞こえてきた。同調するように、キーラのお腹もくるくると音を立てるものだから、ちょっとだけ困った。ここで炎の魔道をぶつければ一発で決着がつく。

(いくら食べたくても――――、いやいや、ここは我慢するべきところ)

 だってあたし、人間だし! と気合を入れたところで、闇の向こうから獣が飛び出した。