知らぬ間に、うとうとと眠りこんでいたらしい。頬をなめられた感触に慌ててまぶたを開いた。すぐ間近に虎がいる。反射的に悲鳴を上げそうになったが、再び、ペロンとなめられて緊張がほどけた。昨日のやり取りも思い出して、肩から力を抜いた。すでにあたりは明るい。夜が明けて、結構な時間が過ぎているようだ。

 と、地面に座り込んでいるキーラの前に、野兎の死体が置かれている事実に気づいた。

 思わず顔を上げると、雌虎は低く唸る。首をかしげて動かないでいると、ぐわっと野兎に噛みついて、ぽとんとキーラの膝の上に置いた。どうやら食べろと云っているらしい。折よく、お腹がくるると鳴いた。空腹を思い出し、キーラはがばりと雌虎に抱き着く。

「ありがとうっ」

 ぐるるぅ、とすぐに上がった、不満げな唸り声を直訳するならば、いいから食べろ、というところだろうか。

 野生動物を傀儡にした、思わぬ副作用に感謝しながら、さっそく力を集めて野兎を調理する。風の刃で野兎をさばき、炎で丸焼きにしたのだ。加減がうまくいかなくて服が血みどろになってしまったが、とりあえず腹は満ちた。

 ひと息ついていると、雌虎は立ち上がってゆったりと歩き出す。見守っていると、立ち止まって振り返る。ついてこいと云っているのだろうか。首をかしげながら後についていけば、澄んだ泉にたどり着いた。目を丸くする。喉も乾いていたし、血で汚れた身体と服も洗いたかったからちょうどいい。キーラは勢い込んで水を飲んだ後、服を脱いで泉に飛び込んだ。ちょっと冷たかったが、ごしごしと手のひらで身体をこする。一度沈み込んで、髪をかきあげた。

 とはいえ、この段階に至れば、首をかしげてしまうのである。

 なにに対してかと云えば、他でもない、傀儡にした雌虎に対してである。雌虎にかけた魔道は、キーラを我が子と錯覚させる術のはずだが、受けている扱いはどう見ても、野生動物の仔に対する扱いではない。人間の生活を知っている存在ならではの扱いである。

(動物を手なずける以外に、なにか効果があったのかしら)

 たとえば、魔道士側の知識を分け与えるとか。

 雌虎は泉のほとりでのんびりと毛づくろいしている。いかにもネコ科動物らしいしぐさだが、深く考え続ければ、灰色の不安がむくむくこみあげてくる。だがすでに魔道を行使し終えた状態なのである。いまさらどうしようもないと開き直って、身体を水洗いし終えたキーラは服をじゃぶじゃぶ水洗いした。まだ血は凝固していないため、血は速やかに流れた。ぎゅ、ぎゅっと絞り、ぶるっと震えた。泉の冷たさが、いまになって体の芯まで凍えさせてきたのだ。

 とりあえず泉から上がって、たき火を用意しよう。

 そう決めて、ほとりへと歩き出そうとしたとき、ゆったりと構えていた雌虎がぴんと反応した。キーラの背後に向かって、低く唸る。はっとキーラは緊張を取り戻し、服を放り出しながら背後を振り向いた。さほど大きくない泉の向こう、木立の間に、なにかの気配がする。しゅるんと右手に力を集めた。明確な形を与えないまま、何者かが潜んでいるらしき、木陰へとぶつける。

「うわっ」
(……うわ?)

 力の塊を受けて、ばしんと樹が揺れた。ぱらぱらと木の葉が舞い落ちる中、ひとりの若者が木陰から転げ出ている。足をもつれさせて、どしんと地面に尻もちついた。間違えようがない、人間だ。人間の若者だった。キーラは反射的に緊張を解いて、裸である自分を思い出した。若者はゆっくりと立ち上がろうとしている。

 その様子を黙って見守って、キーラはもう一度、集めた力に風の形を与えて若者にぶつけた。具現化した力は若者を巻き込んで、今度は他の樹木にぶつかる。ちいさく悲鳴が聞こえたか。そのままずるずると地面に倒れ込んだ若者を見届けてから、キーラはゆったりと泉から上がった。歩み寄ってきた雌虎の頭に、ポンと手をのせた。

「人の気配がないからって、油断し過ぎてたわ。素っ裸にならずに、服だけを洗えばよかったのよね」

 ぐる、と、まるで呆れているかのように、雌虎は唸った。