そういえば有益な資格でした。 (5)

     まずは乾かした服を着て、あたりの様子をうかがった。雌虎も反応していないから、キーラが感じるままに、だれもいないという結論で間違っていないだろう。

     次に、倒れ伏した若者に近づく。キーラにしてみたらありがたい存在だが、不審人物だという認識は揺らいでない。なぜならここは国境近くにある、深い森である。深い森に立ち入っているにもかかわらず、若者の服装はいたって軽装であり、また単独行動らしい事実も胡散臭い。

    (あと考えすぎかもしれないけど、ここってスキターリェツによって移動させられた場所の近くなのよね)

     だからこそ、若者に対してやや過剰な警戒心が働く。彼との出会いはスキターリェツが企んだものでは

    ないか。そんな疑いがある。だが、いまは若者を検分するべきだろう。

     眉根を寄せて意識を失っている若者は、キーラと同年代だろうか。先に身体全体を検分して、骨折やねんざがないかどうかを確認した。問題ない。次いで容貌を眺める。あざやかに赤い髪は前髪がやや長く、シンプルな髪飾りでまとめられている。服の生地は珍しくないもので、仕立ても凝ったところはない。手を見る。多少の傷はあるが、きれいな手だ。

     そこまで情報を摘み取ったところで、ちいさなうめき声が聞こえた。

     慎重な動きで、若者から距離を置く。片手には力を集めて、様子をうかがった。

    「う、……ん」

     二、三度の瞬きのあとで、若者は瞳を開いた。温かな印象を与える茶褐色の瞳は、ぼうっと森の木々を見上げていたが、頭を振りながら起きたころにようやくキーラに気づいて真ん丸に見開いた。にっこりとキーラは微笑みを浮かべる。

    「こんにちは。気分はいかが?」

     若者は応えない。みるみるうちに、耳まで赤く染めてキーラから顔をそむける。

     わかりやすい反応から悟った事実に、キーラは唇を噛みしめた。こいつ、しっかりわたしの裸、見ていやがった。集めていた力を衝動的にぶつけなくなったが堪えて、控えていた雌虎に眼差しで語りかける。

     ぐる、と雌虎が存在を主張し、若者は慌てて視線を動かした。威嚇している雌虎をしっかり認めて、今度は口元をひきつらせて青ざめる。

    「教えてもらいたいことがあるんだけど、いいかしら?」
    「お、落ち着いている場合じゃないだろうっ。こ、この虎、どうにかしないと!」
    「大丈夫よ、あたしの大切なお母さまだもの。それより、あなたは何者なの。そして、どこから来たの?」

     お母さまァ? と素っ頓狂な悲鳴が上がったが、この際、無視である。若者の動揺にかまわず、率直な疑問を問いかけた。

     ある程度の予測はできている。若者の服装から判断するに、近くに居住場所があるのだ。ギルドはなくとも、情報は手に入るかもしれない。そう考えていたキーラだったが、若者の応えに驚くことになる。

    「おかしなことを云うんだな。虎から人間が生まれるなんてそんな話、精霊であるぼくだって聞いたことはないよ」

     どこか子供っぽい仕草で腕を組み、若者は憤然と云ってのけたからだ。

    (精霊?)

     耳を疑って、まじまじと若者を見つめる。

     精霊とは、人間とは異なる進化を遂げた種族のことだ。だが目の前の若者はどう見ても人間にしか見えない。思わず沈黙して、ふう、とため息をついた。手を振って力を散らせる。その力の動きにも、若者は反応しない。力の動きが視えて、無視している反応ではない。そもそも視えていないのだ。キーラは首を振る。

    「ほらを吹くのもその位にしておくのね。あなたが精霊であるわけないでしょう」

     呆れを隠さないで告げれば、若者はぐっと唇を結んでキーラを睨んできた。

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