ぜいぜい、と荒く息をつく音が聞こえる。

 適当に聞き流しながら、集めた力をうすく広げていく。地面から半円状の幕を張り巡らせるイメージだ。若者と雌虎、キーラの三者を包んだところで力を留める。

 これで簡易結界の出来上がりだ。言葉ヴォールズを使用していないから、空間を切り取るほどの効果はない。ただ、魔道による干渉は徹底的に除外するよう、強くイメージした。ようやくひと息ついて、地面に座り込んだままの若者を見下ろす。

「まだばてているの? ほんの少し走っただけなのに」
「ほんの少し?」

 がば、と、若者が顔を上げる。息を少しも乱していないキーラを見て、どうやら言葉につまったらしい。ぷいと顔をそむけて、立てた片ひざに片腕を置いた。しばらく休ませろ、とぶっきらぼうに云うものだから、キーラはもう一度結界を確認することにした。そうしながらむかむかとスキターリェツを思い出す。

(なにが『ルークスの外に放り出してあげる』、よ!)

 スキターリェツの言動を、疑いもせずに信じ込んだキーラが馬鹿みたいではないか。

 いや、彼の申し出を断った以上、信じるほうが馬鹿なのだろう。わかっている、わかっているがまさか、あの段階で嘘をつくなんて思うはずがないだろう。スキターリェツの性格から、キーラを面倒だと感じたから放り出した。そう感じたから信じたわけだが、もっと疑うべきだったのだ。だまされている可能性をちらりとも考えないキーラは本当にまぬけだった。

(だー、もう、腹が立つ!)

 とりあえずもう一度、会うことがあったらぶんなぐる。八つ当たりであろうとなかろうと、知ったことか。固く決意して、結界の確認を終えた。

「それで、ぼくをここまで引きずってきた理由はなんだ」

 やがてふてくされた様子で若者が問いかけてくる。キーラも地面に座り、傍に腰を下ろした雌虎の頭を撫でた。若者は虎に怯えつつも、まっすぐにキーラを見つめてきた。

「ルークス王国にある精霊の里に住むなら、知っているはずよ。いま、この国が精霊たちを利用して、改革を進めているって」

 魔道ギルドの代表レフから教えられた内容の断片を口にする。あるいは知らなければどうしようと考えたが、さいわいにも若者は表情を引き締め、警戒するようにキーラを見た。

「きみはまつりごとに携わる人間か?」


「ちがうわ。少し前にルークス王国に連れてこられた人間よ。その前は、十年前にルークス王国を脱出したアレクセイ王子に雇われていたの」
「アレクセイ王子だと!?」

 こちらを信用させるために、多少のうしろめたさを伴いながら、キーラは王子の存在をちらつかせた。効果は抜群だった。若者は顔色を変えて、キーラの肩をつかんできたのだ。

「王子は無事なのか。王家の紋章はっ?」
「……無事よ。琥珀で出来た紋章なら、あれも無事だったわ。王子が持っていたもの」

 キーラが答えると、若者はおおきく息を吐き出した。心の底から安心した様子に、キーラは唇を結ぶ。精霊と名乗った若者は、紋章の謎を知っているのだ。紋章の正体を訊ねて、答えは得られるだろうか。ためらっていると、ぱん、と若者は手のひらとこぶしを打ちつけた。

「では役人たちは嘘をついたのだな。紋章は我らの手にあると。だからおとなしくわれわれに従えと云ったというのに……。くそっ」

 ぴくりと眉を動かす。違和感を覚えた。

「待って。ならあなたたちの里は役人に知られているということ?」

 だったら、スキターリェツがキーラをここに転送した理由は精霊の里を突き止めるためだ、という推測は間違えている。とうに明らかになっている場所を、あえて探る必要はないからだ。こめかみに指を当て、考え込もうとしたキーラに、若者は首を振った。

「いや。ぼくらの里に役人は来ていない。ただ、他の里から連絡があった」
「……事実を知らせて警戒させるため? それとも役人たちへ恭順を促すため?」
「前者だ。里長が云うには、自分たちが紋章を取り戻すから役目を放棄するな、と通達してきたらしい」
「役目って、なんなの?」

 訊ねれば若者は口ごもる。答えられないのか。ならば、と別の質問を口にする。

「なら、紋章をあなたたちが重視する理由はなに?」
「……おまえは知らないのか? アレクセイ王子に教えられていないのか」

 疑いの眼にぎくりとしたが、おくびにも出さずに、平然と答えた。

「あたしはルークス王国の人間じゃないもの。話すべきじゃないと考えたんじゃないかしら。でもこれから王子の元に帰還したときに、あたしが掴んだ事情を説明しないといけないじゃない? なぜ精霊たちがみすみす利用されているのか。いまのままじゃ、あいまいな説明にしかならないわ」

 ついでにぺろりと嘘もついた。

 いま、アレクセイ王子を名乗っている存在は偽物だ。だから紋章の謎などまったく知らないに違いない。だからこそ情報を入手しようと考えたのである。これから『灰虎』と合流できたとき、交渉を有利に進めるためだ。少なくとも魔封じは必要ないと判断されたい。

 魔道ギルドのレフを思い出して、実はひやひやしていた。だが目の前の若者は、レフほど洞察力に優れていないようだ。それもそうだな、とあっさり納得して明かす。

「王家の紋章には、次代精霊王の意思が宿っているからだ」

 あっけらかんと明かされた内容に、キーラは目を見開いた。