だがいまは、若者の種族を追求している場合ではない。
この間にも剣呑な騒ぎは続いている。けたたましい怒号と、魔道が放たれる気配。ときに剣戟すら混じっていて、まさにいま、里では戦いが行われているのだとわかる。どういう状況か、把握しようと身を乗り出したとき、また、新たに拘束された精霊が投げ出された。キーラと若者と雌虎が隠れている、すぐ間近だ。彼は悔しそうに顔をゆがめて、不自由ながらも起き上がろうとしている。すっと若者が動いた。
「ムジャン」
声を潜めて、そっと呼びかけたのだ。ムジャンと呼ばれた精霊はぴくりと反応して、視線を動かした。すぐに若者を見つけて、琥珀色の瞳を大きく見開く。
「スィン? おまえ、どこに行っていた?」
「里の外だ。森の気配がおかしい、見回って来いと里長に命じられた。なにがあった?」
起き上がろうとする動きを止めて、ムジャンは無造作に転がった。すると疲れ果てて転がっているように見える。事実、ムジャンはたくましい身体つきをした男だったが、頬は血で汚れており、服もあちこち破れ汚れていた。まわりに座り込んでいる精霊たちはムジャンと若者の会話に気づいた様子もなく、いまなお、戦いの気配が漂う方向に視線を向けている。二人の会話の妨げにならないよう、キーラは代わりに気を配ることにした。
見張りは二人、ぐるりと精霊たちを見張っているが、いまのところ会話に気づいてない。
「里長は気づいておられたのか。……人間たちが従え、と押しかけてきたものだから、抵抗していた。女子供をかばって戦っていたが、ごらんの通りだ」
「里長は今、どちらに?」
「交信室に。精霊王の判断を仰ごうとなさっている。だが、あそこもじきに落ちるだろう」
「そんなことはさせない」
スィンがきっぱり云い切ると、ムジャンは口端をもちあげて笑う。
「云ってくれる。だがやつらにはおれたちの力がなぜか通用しない。攻撃用の構成を組もうにも、ユアンスウが見えないんだ」
「ばかな!」
スィンが動揺した声をあげる。声の大きさにひやりとして、キーラは見張りを見た。ぴくりと反応した様子で、ゆっくりとこちらに向かってくる。慌ててスィンの口をふさいだ。いま、初めてキーラに気づいた様子で見つめてくるムジャンに、短くささやきかける。
「見張りがこっちに来た。用心して」
すぐに了解したように、ムジャンはまぶたを閉じた。見張りがたどりつき、胡散臭そうに見下ろした。すぐ間近だ。どくどくと脈打つ心臓を意識しながら、必死で呼吸を抑えた。
「おい、おまえ。いま、だれかと話していなかったか」
うっそうと、面倒くさげにムジャンが瞳を開く様子が、繁みの合間から見えた。
「だれと? 気の毒なことだな、人間。その若さで見張りも務まらないか」
あからさまな嘲笑に対して、見張りは力に任せた蹴りで応えた。
抑えた手のひらの下で、スィンが鋭く息を呑む。キーラも眉を寄せた。
ひとしきり暴行を加えた後、見張りは鼻で笑い、元の位置に戻る。ムジャンは激しく咳き込んでいる。見かねた精霊の一人が背中を撫でようとしたが、拘束されたままなのだ。慰めにはなっていない。トトンと腕を叩かれ、キーラはスィンの口から手を放した。唇を噛み、うなだれるスィンを横目で見ながら、ようやく落ち着いたムジャンに話しかける。
「ユアンスウ、って、つまり世界に満ちる力のこと?」
「そうだ。世界を構成する、すべての源だ。元素と我々は呼んでいる」「敵の数は。把握してる?」「おそらく二十名にも満たないだろう。三分の二が我々を捕えるために動き、残り三分の一が交信室を落とすために動いている」
話し相手が見知らぬ人間に代わっても、ムジャンの様子に変わりはなかった。
どうやらスィンと共に隠れていたことで信用してくれたらしい。ほっと安堵しながら、キーラはあたりを見る。力は見えている、相変わらず。敵がなにかを仕掛けていたとしても、それは人間であるキーラには関係ないようだ。
(だったら、まだ、逆転は可能かしら)
力が見える以上、少なくともキーラは魔道を扱える。さらに相手がどういう仕組みの仕掛けを用意してきたのか、ぼんやりとはいえ、推測できていた。要は、魔封じの腕輪だ。
かつて『灰虎』によって装着させられていた、罪を犯した魔道士を封じる役割がある道具である。あれは魔道士だけが把握できる力を不可視にする作用がある。腕輪に組み込まれた言葉を、人間ではなく精霊用に調整し、効果範囲を拡げればいいのだ。
ただ、さきほどから漂う気配でわかるように、敵には魔道士がいる。だから今回の仕掛けはキーラに作用していない。さらに蛇足ではあるが、キーラは紫衣の魔道士である。一人で色なしの魔道士、百人にも匹敵すると評される魔道士なのだ。作戦さえ整えれば、油断さえしなければ、ここにいる精霊たちを救える可能性は出てくる。
(そのためにはまず、スィンに協力してもらわないといけないわね)
ちらりと神妙な顔つきの若者を見た。キーラの意図を察したのか、スィンは軽く頷いた。