拘束された精霊たちが、つぎつぎと一か所にまとめられている。ほとんどが大小の傷を負っているが、死に至るほどひどい傷を負っている者はいない。

 たしかに相手の目的は、精霊たちの命を奪うことではなく、里から連れ去ることなのだろう。ただ、ムジャンが受けた扱いを思い出せば、さほど大事にされているわけでもない。連れ去られてどんな目にあうのか、いやな感触ばかり強くなる。

(だから精霊たちを救出する機会は、いまでないと)

 さらにキーラは考えた。相手が油断する瞬間は、いつなのか。ふっと、昔に教えられた内容を思い出す。あと少しで目的を達成できる、そう見極めたときに、多くの人間が油断する、と。いまの状況に応用するなら、抵抗する精霊たちをすべて拘束し、あとは交信室にいる里長のみ、と云う瞬間だろう。別視点で考えれば、精霊たちを捕え終えたら、人員を交信室に集中するだろうから、拘束しやすい、と云う利点もある。

 だからいま、キーラはスィンに教えられた交信室に向かっている。傍らに雌虎が控え、頼もしい限りだ。木陰に潜んで進んでいるが、緑の向こうに走る人間の姿がだんだん増えている。やがてたどり着いた先で、集まっている人間が見えた。一、二、三、……十二、十三、十四。想定していた数より、わずかに少ない。あるいは残りの人数は精霊たちが集まっている場所に向かったのかもしれない。

 計画通りに進むべきか否か、不安が過ぎったが、あまり時間はないと判断した。

 スィンによれば、交信室らしき建物は、五重の結界によって守られていると云う。いま目の当たりにした結界は、ひとつひとつ、精巧に編み込まれていたが、すでに二つ、消失している。五人いる魔道士は、全員、集中して呪文を唱え、結界をほどこうとしている。

 本当に時間がない、だからこそ、いまが絶好の機会だと判断した。

 結界を解く目的に集中している魔道士は戦力にならない。そっと地面に右手を押し付け、慎重に力を送り込む。地面の下を潜り抜けるように、地層の中の水脈をイメージした。心構えをして、傍に控えている雌虎の体をぽんと叩いて、指示を出した。

 たちまち、空気が震えるような、力強い咆哮が響く。

 ざっと雌虎が走り始める。人間たちに向かう。一瞬の驚きから醒めた人間たちが虎に構える瞬間をとらえて、送り込んだ力に水の形を与えて発動した。

「なっ、」
「わっ」

 水の形を与えることによって、地面から水となった力が吹き出す。キーラも前に進んだ。ここにいる人間たちを、いまのうちに、足止めしなければならない。再び集めた力に今度は風の形を与えて、剣を持つ戦士たちを攻撃した。怯える気持ちはある。だがためらっている状況ではない、と、云い聞かせて、それぞれ剣を持ちうる両腕を切り裂いたのだ。

 しぶきのように、紅く飛び出す、血の流れ。

 まのあたりにしたら、ぐっと喉元にこみ上げるものがあった。でも、いまは、行動しなくちゃ。云い聞かせて、吐き気も飲み込んで、次の行動に移った。攻撃された剣士の中には、キーラに向かおうとする者もいる。その度に、猛々しい雌虎が牙を振るう。我が子と錯覚した人間を守るために、ためらいなく攻撃していた。次々と剣士は倒れていく。血の匂いが、あたりに強く漂う。くらり、とめまいがした。

「キーラ・エーリン!」

 結界から意識を外した魔道士が呼びかけてきた。名前を呼ばれ、我に返りそうになる。いま、自分はなにをしているのか、と気づいてしまいそうになる。だからだめだ。いまは怯えて、動きを止めていい状況じゃない。いま、ここでためらったら、スィンや精霊たちの動きを妨げる。最悪な状況につながる。

 すべてがだめになってしまう。

(――――そのくらいなら名前を忘れたほうがマシ)

 そう考えてしまった瞬間、すっと、心が冷えていく感触が、した。

 かつてそうしていたように、この状況に必要な行為へすべてを集中させる。彼女・・は心定めて、ただ、標的を見た。五つに重なる呪文が聞こえる。さまざまな効果を持った呪文に対し、彼女は風を奔らせ、まとめて五つの音を奪う。魔道士たちの攻撃が、消失する。だが、名残が執念のように、キーラの頬を傷つけた。つっと温かな感触が流れたと同時に、獰猛な咆哮がもう一度響く。黄と黒の獣が、標的に飛び掛かろうとして――――。

「ぎゃうんっ!」

 痛ましい悲鳴が、彼女の耳を打った。たちまち心がほどけて、雌虎を見た。

 雌虎はなにかに跳ね返ったように、空中でそれでも一回転して、ぎこちない動きで地面に降り立つ。わずかに足をひきずって、キーラの傍らにやってきた。指に触れる毛皮に、遅れて安心した。魔道士たちが、ぱくぱくと口を動かしていた。呪文を唱えようとしているが、風によって音声を封じられている。だから効果が出ていない。

 そう、ここまでで充分だった。

 長く深く息を吐き出して、まわりの状況をかえりみる。地面に倒れた剣士たち、無力になった魔道士たち。そして交信室は開き、里長らしき、老いた精霊が姿を現していた。空に掲げられた腕は、雌虎を攻撃したためだ、とすぐに気付く。かすかに眉を寄せ、物思わしげに見つめる眼差しが、キーラの記憶を刺激した。かつて、ギルド長に云われた言葉がよみがえる。

 ――――凡人になりたいと願うのなら、自ら進んで枷を受けるがよい。
――――紫衣の魔道士『キーラ・エーリン』にならば、人間である権利を許そう。

(ばかだ、あたし……)

 泣き出したい気持ちで、くしゃくしゃと髪をかきまぜる。一瞬とはいえ、名前を忘れる選択をした。将来、カフェを経営するという夢を抱えた少女キーラを忘れようとした。

 傍らにすり寄った雌虎が、ぺろりと指をなめる。キーラは口端を上げて、「ごめん」とつぶやいた。

 だれに対しての謝罪なのか、心当たりが多すぎてわからなかった。