キーラももちろん驚いた。なにせ、唐突に云われた内容だからだ。

 ただ、なぜという感覚は薄い。スィンは明らかに精霊ではない。むしろ人間にしか見えなかったものだから、里長の言葉に、納得すらしたのだ。だが、当然のことながら、本人にとっては納得できない事態であるらしい。しばらく言葉を失った後、勢い込んで訊ねてきた。

「なぜですか、里長っ。なぜ、いまになって、ぼくを人間とおっしゃるのですかっ」
「そなたも我が偽りに気づいていただろう。自分が精霊との混血であるはずがない。なぜなら、森の血族たる特徴をひとつも持ち合わせておらず、また、ユアンスウを認識できない。混血でも、ひとつくらいは備えていてもいいはずなのに、と常々、悩んでいたはずだ」
「それは、」

 とっさに云い返そうとしたのか、スィンは口を開いた。だが、途中で口ごもって、言葉を失う。あからさまに混乱している様子だ。だがすぐに、踵を返して走り去っていく。判断を仰ぐように、ムジャンが里長を見た。ちいさく頷き返され、スィンを追いかけていく。あっという間に二人の姿が消えて、キーラは里長を見た。落ち着いた表情を浮かべている。

「なぜ、スィンが精霊との混血だと嘘をついていたのですか」

 非難がましい口調になっていたかもしれない。里長は静かに口を開いた。

「そなた、あやつが里に住むようになって、どのくらい経つと思っている?」

 思いがけない問いかけに、キーラはぱちぱちと目をまたたいた。戸惑っている間に、里長は穏やかに言葉を継いだ。

「十年だ。十年前に、ぼろぼろの状態で、あやつはここを訪れた。正確には、同族であるはずの人間に追われ、ひどい傷を負いながらも、ここにたどり着いたのだよ」

 十年。アレクセイ王子が逃れ、ルークス王国が鎖国を始めた年だ。鋭く息を呑む。

「傷はすべて癒したにも関わらず、三日間、目覚めなかった。目覚めたときには、自らの名前もなにもかも、忘れ果てていた。そのくせ夜になると、王よ、申し訳ありません、とうなされ続ける。昼は昼で、自分とは違う我らに怯える。せめて昼に抱えた緊張をほぐしてやりたくてな、姿かたちは異なれど、我らの同族だと云い聞かせて警戒をほぐした。あのように呑気になったのは、ここ、二、三年のことよ」
(王よ、申し訳ありません……?)

 経緯を聞いて納得しながら、昔のスィンが嘆き続けたという内容を聞き、キーラは眉を寄せた。

 同時に、ほとんど直感的に閃いた。当時、王から信頼を受けていたという、魔道士ギルドルークス支社の長が、王からの密命を受けてそのまま姿を消したという、レフの話を。

(待って。それならスィンに力が見えないはずがない)

 行方不明になった魔道士ギルド支社の長が、スィンなのではないか、とキーラは考えたのだ。

 だがそれならば、いま、魔道を使えない理由が不明だ。スィンの手首に魔封じの腕輪はない。襲撃してきた魔道士たちのように、里長によって魔道を封じられた形跡もない。

 それでも、スィンが行方不明になった魔道士なのではないか、と疑ってしまう。

 夜中にうなされ、嘆き続けた内容が、裏付けているように感じるからだ。

 王よ、申し訳ありません。それは、王と身近に接していた人物だから云える言葉だ。そして、痛ましいまでの嘆きは、王から受けた密命を果たせなかったからではないか、とすら、考えた。

(だめ。思考が走りすぎている)

 キーラは何度も抱いた疑問を思い出した。十年前、ルークス王国に何があったのだろう。

 断片は伝わっている。けれどいずれも、現状を迎えた理由には足らない感覚だ。もどかしい気持ちになって、やがて里長の沈黙に気づいた。じっとキーラを見つめている。

「もしやそなた、スィンを存じておるのか?」

 ためらい、キーラは首を横に振った。推測できても、確証はない。

 ただ、気づいた事実があった。スィン。ルークス王国では『息子』を意味する言葉だ。

 記憶も何もかも失った人間の青年に、なぜ里長は、そのような名前をつけたのだろう。そうして、なぜ、いまになって彼を放り出そうとしているのだろう、と不思議に思った。

 だが、鈍感ではいられない。

 この娘と共に、と、里長は告げたのだ。まちがいなく、キーラがきっかけだ。いま、キーラは、精霊の里長に『息子』と名付けられた、訳ありの人間を預けられようとしている。

 ひしひしと責任を感じながら、それでも確認しておこう、と、口を開いた。

「里長は、スィンを預けてもよいとお考えになるほど、あたしを信用なさるのですか」

 なにせたったいま、自分の恐怖に負けて残酷な行為をしたばかりだ。精神的な弱さを露呈した存在に、ひとときは息子と呼んだ人間を預けていいのか、と疑問に思う。

「いや。だが、スィンをいま旅立たせる理由には、そなたの現状も含まれている」
「あたしの現状?」

 ちらりと里長の眼差しが雌虎に向いた。

「そなた、フウをしもべとする魔道を使ったな? どのような魔道と心得て使った?」
「……野生動物に対し、自らを同族だと錯覚させる魔道だと認識していました」

 叱責の気配に、知らず、雌虎の頭を撫でていた。ぐる、と雌虎が鳴く。里長は首を振る。

「少々、甘い認識だな。その魔道には、そなたとフウの意識をつなげ、混合させる作用がある。すなわち、いまのそなたは野生動物の荒い気性を受け継いでいる。暴走する可能性が高いのだ」