ぐるるるる、と二重に響いた音に、もはやため息しか出ない。
ぽんぽんとなだめるように、お腹を叩く。切ないね、哀しいね、お腹空いたね、と呟いてもよかったが、正面からじっとり向けられる眼差しに、キーラは沈黙している。
(せめて水でもあればなあ)
さりげなさを装いながら、ぐるりといま、滞在している部屋を見回した。
小さな部屋だ。キーラの背丈より高いところに格子がかかった窓がある。味気のない石がむき出しになった壁が取り囲んでおり、粗末なベッドがぽつんと置いてあった。いや、もうひとつ、乙女心的に目を背けたいところも存在している。ささやかな布で囲われた、便器である。しばらくそちらを見つめて、うん、とキーラは考え直した。
(ここで用を足すことを考えたら、むしろお腹が空いている状態は幸運かもしれないわ)
前向きに考えてみよう、と、ひとつ頷いたとき、正面にある別室からキーラを睨んでいたスィンが、とても冷ややかな口調で話しかけてきた。
「なにか考えていたようだが、ぜひとも教えていただきたいな。同行者として」
「いやーだ。そんなにたいしたことでもないわよ。だから気にしないで?」
「いいや、気になるね。なにせこの状況の原因はきみだ。どんなことでも知りたい」
「……ええとね? どんな状況でも大切な心構えだと思うんだけど」
「前置きは不要だ」
「……。……前向きに考えるって、とても大切だよねって考えていたの♪」
うふっ、と愛想笑いなんぞを浮かべながら、キーラは首をかしげてみた。
かわいらしく、かわいらしくと云い聞かせたが、まったく効果はなかった。がたん、と、スィンは立ち上がり、ばんと二人を隔てている格子を乱暴に叩いた。格子をつかんで、噛みつきそうな勢いでキーラを怒鳴る。
「ぼくはまったく悪くないのにっ。ただ、同行した相手が悪かったから、牢屋に入れられた! こういう状況で、どうやって前向きになれって云うんだっ!」
(あー……)
ぴちょん、と、どこか遠くで水がしたたる音がする。
何の音なのかしらねえ、と意識を逃亡させながら、キーラはつい、とスィンから視線をそむけた。
そう、ここは牢屋だった。里長に教えられた方法でルークス王国を脱出し、そのまま隣国パストゥスに向かった二人は、なにげなく立ち寄った町で自警団に問答無用とばかりに拘束されたのだ。
さいわいにもレジーナと名付けた雌虎は、そもそも町の外に待機させていたから拘束を免れた。しかし社会勉強と称して、キーラに同行していたスィンが立派に巻き添えを食らったと云う次第である。
くっ、と顔をそむけて、口元を両手でおおいながら、絶妙に震える声でキーラは応えた。
「だ、だからっ。……ごめんなさい、って、云ってるじゃない。さっきからっ」
「嘘泣きは通用しない。安っぽい芝居はやめておくんだな」
ち、と正直に舌打ちして、キーラはけろりと姿勢を正した。じっとりとスィンが半目で見つめてくる。じっとりとした眼差しにうんざりしながら「だぁから」と弁明した。
「手配されてる、って彼らは云ってたけど、心当たりがないんだってば。そもそもあたし、魔道士なのよ? 本当に犯罪者として拘束されるんだったら、魔道封じの腕輪をされてたわよ。それがないってことは、少なくとも、あたしを魔道士として見てないってこと! 人違いよ、人違い!」
声を大にして主張しながら、ひそかに、冷や汗をかいているキーラである。
手配される心当たりなら、ばっちりある。
なにせ、アリアたちと共に『灰虎』から逃げ出した身だ。アレクセイたちによって契約違反したとみなされていたのなら、手配されてもおかしくない。ちなみに手配の方法は簡単だ。アウィス便によって魔道士ギルドへ、キーラ・エーリンが依頼放棄して逃げ出した、と報告すればいい。そうしたら『灰虎』は新しい魔道士を手配されるし、ルークス王国へ侵入する目的を達成できる。
だが、今回の手配は、明らかに魔道士ギルドの手が入っていない。
(だから、間違いなく人違いなのよ。ええ、そのはず。……そのはずなんだってば!)
そう呟きながら、刻々と経過している時間に、だんだん不安になるキーラだった。