まぬけだわ、とうめくようにつぶやいた。なにが人違いだ。なにが、間違いなく、だ。

 物事を楽観視していた自分を笑いたくなる。やはり『灰虎』はキーラを手配していたのだ。額を押さえて頭を振ったキーラを、スィンが眉を寄せて見つめてきたが、それどころではない。立ち上がる気力もないから、座り込んだままヘルムートを見上げる。

「つまり、本当に手配されていたのね? 罪状は依頼放棄かしら?」
「いや」

 低く応えて、ヘルムートはさらに横に移動した。自警団らしき男が進み出て、キーラが入っている牢屋の鍵を開ける。困惑してぱちぱちと瞳をまたたかせていると、さらに男は動いて、スィンの入っている牢屋を開ける。スィンがほっとしたように、表情をゆるめて牢屋から出た。そのままぐんと大きく背伸びしたが、戸惑っているキーラは動けない。ぽかんと目の前の男たちを見比べている。自警団の男がぺこぺこと頭を下げた。

「すまねえなあ。うちの若いもんが、間違えたみたいで。犯罪者の手配書と尋ね人の手配書を見誤って、あんたらを牢に入れちまったんだ。つらい想いをさせてすまねえ」
「なにっ。それはぼくたちをここに押し込めたやつらかっ。見下すように人を見ておいて、肝心の自分たちがうかつ極まりない過ちをしていた、と、そういうわけかっ」
「わるかった。本当にわるかったよ。やつらは上の人間がこってり絞ってるから、許してくれないか。二度と同じ間違いはさせないし、後で改めてあんたらにも謝らせる」
「むう。……ま、まあ、人間だれしも間違いを犯すものだしなあ、って、キーラ? きみはいつまで牢屋に入っているつもりだ?」

 スィンに呼びかけられて、キーラはヘルムートを見上げた。

 落ち着いた表情でスィンたちのやり取りを見守っていた男は、スィンの問いかけに振り返る。負の感情を漂わせていない。困惑が強まったキーラは思い切って口を開いた。

「『灰虎』の皆は、あたしを怒っていないの?」
「は? きみはなにを云っているんだ。ぼくには事情はさっぱり分からないが、怒っている相手をわざわざ、む」

 ヘルムートが応えるより先に、ぺらぺらとスィンが話し始める。

 だが途中で言葉を切った。すっとヘルムートが左腕を動かし、スィンを黙らせたからだ。続いて、キーラを見た。灰色の瞳は青みがかっていて、冷ややかさを強く感じさせる。

「呆れる理由はあれど、怒る理由はない。少なくとも、わたしが知る限り、おまえを怒っている団員はいない」

 ヘルムートはあまり体温を感じさせない声で告げると、わずかに身をかがめてキーラに手を差し出してきた。いや、わざわざ差し伸べられなくても、自力で立ち上がる。とっさにそう考えたキーラだったが、ヘルムートは表情を動かさぬまま、キーラを待ち続けている。戸惑いながら手をのせ、立ち上がろうとしたとき、ヘルムートのささやきを聞いた。

「ところでおまえに同行している男はだれだ。ルークス王国から一緒に逃げてきたのだろう。情報提供者か?」

 ああ、それを訊きたかったのか。

 ヘルムートの行動理由を悟り、キーラはスィンを見た。

 自警団の男と話している最中だから、スィンはこちらに意識を向けていない。それでもあまり唇を動かさないように気をつけながら、ヘルムートが求めているだろう情報を差し出す。

「記憶喪失の青年よ。おそらく、十年前に行方不明になった、ルークス王の信頼厚い魔道士ギルド前代表が、彼の正体ではないかと推測しているところ」
「……。記憶を取り戻せば、ミハイルに気づくかもしれない、ということだな」

 さすがは『灰虎』の副団長と云うべきか。頭の回転が速い。すぐにキーラの危惧に気づいた応えを返してきた。加えて、度胸も据わっている。『灰虎』の企みを覆すかもしれない人物の登場にも、動揺したそぶりを見せない。ただ、ちょっと改まった眼差しでスィンを観察している。おそらく副団長として、様々な状況で打つべき手を考えているのだろう。

 いっぽう、キーラはちょっと重荷が軽くなった感触だ。

 スィンを連れたまま、『灰虎』に合流する方針に、ためらいが強かったのだ。

 たとえば、スィンが本当に魔道士ギルドルークス支社前代表だったとする。王の信頼が厚かった人物なのだ、当然、アレクセイ王子の顔も見知っているだろう。記憶を失っている事実はありがたいが、なにをきっかけに記憶を取り戻すか、予測できない。また、取り戻さないまでも違和感を覚える可能性はあった。だから『灰虎』が破たんする可能性に、途方に暮れていたのだ。

「これからを考えるなら、魔道士ギルドに預けるか」
「あたしも、それが無難だと思うわ」

 ヘルムートが出した結論に同意し、ためらってから逃れようのない問いかけを口にする。

「……アレクセイも、あなたと一緒に行動しているの?」