物語を描くために借りてきた本を読む。

    七夕ですが、あいにくの雨です。

    彦星さん織姫さんには残念な状況ですねえ、と思いそうになりますが、そもそもの七夕は旧暦の7月に行われていた行事ですから、少しずれているんですよね。国立天文台によると、今年の七夕は8月14日だとか。そう考えると、少しほっとしますね。や、なんとなく。

    さてさて、わたしは何をしているのかと申しますと、いつもの簿記の勉強を終えた後にセール中のユニクロに行ってエアリズム下着を購入しました。そうして帰宅して、現在は図書館から借りている本を読んでいるところです。

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    図書館から借りてきた本二冊。

    どちらもイギリスを題材にした本です。

    なぜこの本を借りたのか。

    というのも、わたしは趣味で小説を書いているのですが、現在書いている小説がイギリスをモデルにした国を舞台にしたお話なのですね。それも現代のイギリスではなくて、ヴィクトリア朝イギリスをモデルにしています。

    なぜ現実のヴィクトリア朝イギリスを舞台にしなかったかというと、自分の知識不足が大きな理由です。それに人間関係やキャララクターの設定が現実のヴィクトリア朝イギリスを舞台にしたら、少々不都合が生じる、というわけで、あくまでもモデルにした架空の国を舞台にしたのでした。登場人物のモデルには、ヴィクトリア朝の有名な人物もいるんですけど、胸を張って当人たちに参加していただくわけにはいきませんでした。歯がゆい理由ですが、どう足掻いても当人らしさが出せないから、という理由です。

    わたしが尊敬する作家さんは、現実のヴィクトリア朝イギリスを舞台に物語を書いてらしてて、その小説シリーズがわたしは大好きなのです。そのシリーズを思い出せば、この点ではまだまだ遠く及ばないなあと実感する事実です。あたりまえか、わたしはアマチュア、向こうはプロだもの。それも同業者に天才と評されるほどの作家さんだもんなあ。

    だからと言って、わたしが努力しない理由にはなりません。

    架空の国を舞台にすると決めたのなら、せめてリアリティが出せるように描写を重ねよう。それっぽさが出せるように知識を深めよう。そう考えて、こちらの本を改めて借りてきたのでした。

    うん、物語のプロットを考える時にも借りていた本なのですけれど、実際に書き始めている今も、再び読みたくなって借りてきたのです。そしてあっという間に日々が過ぎ去り、明日が返却期限となりました。

    いやーっ。時間を食べる生き物に取り憑かれてるんじゃないのわたし!?

    と思いながら、改めて読んでいるところ。一度借りた本ですから、覚えのある文章もあります。が、忘れている部分もあり、やっぱり何度も読み返すことは大切だなあと実感しています。まだまだ繰り返し読みたいから、明日図書館に行ったときに引き続き借りれないか、訊いてみようかな。そんなことを思いついたり。

    現在、書いているお話はふたつ

    ひとつは今日のブログで語ってきた、イギリスをモデルにした架空の国を舞台にした物語。そうしてもうひとつは、わたしが人生で二番目に完結させた現代イギリスを舞台にした物語の書き直し版です。こちらがなかなかうまくいかなくてですね、書き直しの難しさに項垂れている日々を過ごしています。

    主人公の何に読者は共感したらいいのか。それがわからない。

    書き直している小説をプロの作家さんに読んでいただいたときに、いただいた批評です。ずっと頭に残っている言葉で、書き直しているといっても毎回、この言葉が活きる内容になってないなあと感じてしまうから、描き直しの手が止まってしまうんですね。もう八回くらい書き直してるでしょうか。これまでにない量を書いてますけれど、やっぱり批評を活かせてない。だからまた九回目に書き直しを始めようかと考えているところです。

    もうね、どこをどう直したらいいのか、わからなくなっているところ。逆に、以前のままでもいいんじゃない、とおっしゃってくださるかたもいらしてて、わたしは何をしたいのかな、と考えることもあります。書き直す意味、ないじゃな〜い、みたいな感じで。

    おわりに。

    こういうところをかえりみるとね、わたしはプロに向いてないのではないかなあ、と考えてしまうのです。

    なぜならTwitterでフォローさせていただいている作家さんたちは、もっとパキパキと書き直しをされてますもの。もっとたくさんの物語を生み出し続けているんですもの。あたりまえですよね、作家なんですから。仕事なんですから、もっと客観的にクールに構えられるところがあって然るべき。

    なのに、わたしには出来てません。

    そういうところが、いつまでも一作に執着し続けている部分が、プロにはなれない理由なのではないかな、と自分で考えてしまうのでした。趣味なら許されるでしょう。でもたくさん物語を書かなければならないプロにはあるまじき状況なのではないでしょうか。

    ただ、そうやって自分を見極めたところで、途方に暮れてしまうんですけれどね。幼いころから作家になりたくてそれなりの歳月を奮闘してきて。いま、その道を諦めるなら、今からどんな道を選べばいいの、という具合に。どんな夢をわたしは持つことができるのかしら、とも考えてしまって、行き詰まりを感じてしまうのでした。

    夢を諦めたくないのなら、諦めなくてもいい自分に変わっていけばいい。

    そうとも思うのですが、ここまで生きてきた自分はどうしようもなく変われない部分もあるという事実も悟ってるから、そんな部分が足を引っ張っているのではないかな、とも思い詰めてしまって、素直に物語を書けなくなっている状況でもあるのでした。

    文章を書いたらしあわせで、物語を進めていけたらしあわせなのに。

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