「ならぬ」
ロジオンの話を最後まで聞いて、王はきっぱり告げた。柔和な顔に珍しい険しさを浮かべている。
それはそうだろう、ロジオンの提案はすなわち、自国の民で災いを鎮めようとも受け取れる。王の反応から、説明が足りない事実に気づいたロジオンは、言葉を添えるべく、口を開いた。
「いえ、民を贄にしようというわけではありません。災いの正体、弱点を探り、本質的に災いを打ち滅ぼそうと云っているのです。なにより、これは我々の問題です。異世界の、それも年端もいかぬ少年を犠牲にするなどと、倫理的に問題ではありませんか」
「そなた、我らが苦しんでおらぬと申すか。まったくかかわりのない人間を犠牲にする行為にためらいを覚えていないと?」
「いえ」
とっさに顔を伏せて、ロジオンは表情を隠した。間違えたか。ちらりと思考が過ぎる。
カンザキキョウイチロウがなぜ召喚されたのか。その理由は限られた人物しか知らぬ秘密であるため、王に直接進言するしかないと考えたのだが、早計だったかもしれない。
王は小心者で、臆病だ。
だから自国のために召喚したカンザキキョウイチロウに対して、中途半端な対応しか出来ない。
自国のためだと云うならさっさと生贄にすればいい。だが王は、召喚された少年の希望を、おそらく生まれ持ったやさしさから出来るだけ叶えようとする。残酷なやさしさだ。改めてロジオンはそう感じる。
生贄に捧げようという考えは変わらないのに、なぜ、少年の後見役を務め、好きに過ごさせているのか。慈悲のつもりなのか、王者としての寛容を示しているつもりなのか。
「そこまで云うのなら、ロジオン、そなたが災いを退けるがよい」
沈黙していたロジオンに、王は怒りを抑えきれぬように告げた。ピクリと肩が揺れる。
「そなたは魔道士ギルド、支部長なのだ。ルークス王国ではもっとも強い魔道士ともいえるであろう。魔道士は統一帝国で生まれた存在。ならば統一帝国が遺した災いを退けられるやもしれぬ」
「……それは、命令でございますか?」
ちらりと眼差しを上げて、王を見据えた。
ロジオンの眼差しに王はピクリと反応し、いっそう怒りを募らせたように口を開いた。
「おお、命令じゃ。好きにするがよい。結果を出すまで、参上すること許さぬ」
*
(感情的になりすぎたかな)
そう考えながら、ロジオンは一礼して執務室を出る。閉ざされた扉から、向きを変えて歩き出そうとして、ぎくりと動きを止めていた。召喚者と王弟がそろって立っている。
いまの話を聞かれただろうか。表情を動かさないように心配りながら、ロジオンは頭を下げた。同時に、いぶかしく感じている。なぜ、召喚者と王弟が共にいる。
「そなたも苦労するな、ロジオン・ヴェセローフ」
「いえ。畏れ多いことでございます」
偽りの温かみを含んだ声音に、とっさに反発を抱く。
以前から王弟に対し、苦手意識を抱いていた。
この穏やかな国に似合わず野心家である事実に対してだが、ロジオンに対し油断できぬ眼差しを向けていたからだ。多くの人物が、ロジオンは王の信頼を受けていると考えている。だからこそ王弟は、ロジオンを危険視していたのだ。おそらくは、自分の目的に立ちふさがる人物とみなしていたのだろう。
だが、王弟よりいま、気にかかる人物がいる。
召喚者だ。
王弟がこのように告げてきたという事実は、王とのやり取りを聞かれたという事実を示している。つまり召喚者も初めて知ったに違いない、自らがルークス王国の安定のために召喚された生贄であると。そっと召喚者をうかがい、ロジオンは悔やんだ。
少年は、青ざめていた。なにも云えないまま、沈黙している。
いたわるように、王弟が肩を叩いた。気の毒に、とつぶやく声が聞こえる。
「沈まなくてもよい、カンザキキョウイチロウよ。そなたの運命はいまだ決定しておらぬ」
(なにを云い出した)
警戒を抱いて、王弟を見た。召喚者も疑わしげに、王弟を見上げる。
「なぜなら、そこにいるロジオン・ヴェセローフが、災いを退ける方法を考えるであろうから。災いを退けられたら、そなたの運命は確実に変わる。気に病むな」
(おまえがそれを云うのか)
ロジオンはとっさに瞳を上げて、王弟を睨んだ。
王族として王を制止せぬ存在が、少年を利用しようとしている存在が、なにをほざいているのか。王弟はロジオンの眼差しを真っ向から受け止めてにやりと笑う。王弟と魔道士は睨みあった。
その間、召喚者は、不思議な眼差しでロジオンを見つめていた。
*
召喚者がロジオンを訪ねて来ている。
資料の山に埋没していたロジオンを、レフが呼び出しに来た。髪はぼさぼさ、ひげは生え放題。そんなロジオンに呆れた様子のレフに、応えながらロジオンは資料の山から歩き出した。
召喚者は、待合室で待ってるという。通り過ぎる魔道士たちも、支部長の様子にぎょっとしながら、なにも云わない。まあ、云っても無駄だと考えているのだろう。
ロジオンは待合室の扉を開け、眉を寄せながら紅茶を飲んでいる召喚者に声をかける。ロジオンの様子に驚いたのだろう、召喚者は目を見開いた。
「お待たせしてしまいましたか」
「いえ。……大丈夫です」
「レフのやつが淹れたんですね。淹れ直しましょう。それ、美味しくないでしょう」
傍に置いてあった茶器を使って、紅茶を淹れ直す。温めたティーカップに注いだ紅茶を差し出せば、召喚者はおそるおそる口をつけ、ほっとしたように笑った。
「美味しいです」
「よかった。お菓子かなにか、食べますか。用意させますが」
「いいえ。今日はお茶しに来たわけではありませんから」
召喚者はティーカップをテーブルの上に置き、改まった眼差しでロジオンを見た。
「僕は殺されるのですか」
まっすぐな眼差しは、あらゆる偽りを許さない気迫に満ちている。
ロジオンはためらい、だが、召喚者を見つめ返しながら肯いた。
「この国に留まっていたら、間違いなく」
召喚者はふっと肩から力を抜き、「いやだなあ」と少年らしい口調でつぶやいた。正直としか云いようがない素朴な感想に、ロジオンは胸の痛みを覚えてうつむいた。
いま、災いを滅ぼす方法を探している。
だが、災いを退ける確実な方法はやはり、少年を生贄にする方法なのだ。他に記載がない。いっそ、と考える瞬間もあった。いけないと感じながら、見つからない可能性に考えてしまった。だが、こうして少年を目の当たりにしていたら、そんな瞬間を恥じる気持ちが強い。
「それでロジオンさんは僕を助けようと?」
「……正直に云いましょう。わたしはきみを助けるため、と云うより、この世界にかかわりのない人間を犠牲にする方法に我慢できなかった。だから、自分のためです。自分の、正義感を満足させるために、王にきみの追放を進言したのです」
「正直な人ですね。僕のためじゃないってところが、いかにも真実味があるや」
少なくとも、あの嘘つきおっさんたちより信用できる。そう続けた召喚者は、苦笑を浮かべた。大人びた微笑だった。困ったような微笑のまま、召喚者はロジオンを見る。
「僕はこの世界では異端です。おまけに、子供だ。追放されたら、生きていけない。そこまで考えて、ロジオンさんは僕の追放を提案されたのですか」
恥じる気持ちが、いっそう強くなる。うつむきながら、「すみません」と告げた。
「本当に、正直な人だなあ」
いよいよ、召喚者は困ったようだった。それはそうだろう。成人している、それも糾弾しようとした人物に、本格的な糾弾より先に謝られたのだから。まあ、いいや。少年は紅茶の残りを飲み干した。
「美味しい紅茶のお礼に、ひとこと。王弟とかいうおっさんに、気を付けてください」
「え?」
「あいつ、王位を簒奪しようとしてます。この間、アレクセイのやつを事故に乗じて殺そうとしたんだ。生意気だけど、自分の甥を殺そうとしたんだ。あいつ、信頼できない」
「それは、……」
「で、あいつは嘘つきじじいとあなたも狙っています。万が一にも、災いを滅ぼす英雄になりかねない、と警戒してるんだ。馬鹿なやつだよね。僕のことも利用しようとしているのに、わたしはきみの味方だよ、なんてほざく。だれが信じるかっつーの」
だから気を付けて。召喚者は、少年はそう云い残して、さっさと部屋を出て行った。
ロジオンはしばらく言葉を失っていたが、同じように部屋を出て、資料の山に戻った。
少年が何を考えて、ロジオンに忠告を残してくれたのか、知らない。いかなる手段を用いて、王弟の企みを知ったのか、その手段もわからない。ただ、ここで死なせるわけにはいかないと感じた。強く、感じた。でなければ、人として誤ってしまう。なぜなら少年には忠告しなければならない義理はない。
なんとしても、少年を犠牲にしない方法を見つけ出さなければならなかった。