ぜいぜい、と喘鳴交じりに王は微笑む。

「どうじゃ、ロジオン。我にもまだ、役立つ判断ができるぞ。アレクセイはの、信頼できる輩に預けたのじゃ。愚弟の犠牲にはさせぬ……!」
「なにもおっしゃらないでください、王!」

 浮かぶ涙をこらえながら、ロジオンは言葉ヴォールズを唱え、王の傷口を癒そうとした。ギルド長ならば、呪文を唱えなくとも傷口を癒せるのだが、ロジオンは言葉ヴォールズを唱えなければ、重傷を負った王を癒せない。

 なのに、王は言葉ヴォールズを唱えさせないのだ。己の血にまみれた、しわだらけの指でロジオンの指を探り出し、ぜいぜい、と必死に言葉をつむぐ。

「すまなかった。すまなかったの、ロジオン。だがそなたがいてくれてよかった。愚弟の企てに負けてしまった我であるけれど、あの災いを頼めるそなたがいま、ここにいてくれるのは、我が生涯で最高のさいわいじゃ」
「申し訳ありません、王……!」

 もはや悔やむことしかできない。

 小心者で、臆病だと。ロジオンは王を侮っていたのだ。だが、王はそれでも王だった。

 最後の瞬間を迎え、それでも王が想うことは自らの命を失う哀しみではなく、王国に襲いかかろうとする災いのこと。ぐっと指に力がこもる。王は忘れてはならない強さでロジオンの指を握りしめる。「頼むぞ、ロジオン」、王は最後にそう云い残して、命を終えた。

 王のまぶたを閉じさせ、両手を組ませて、ロジオンは深々と頭を下げる。

 脳裏に、これまでの記憶が通り過ぎていく。王に初めて謁見したとき、王妃を失った嘆きにつきあったとき、育児の悩みを打ち明けられたとき、王家の秘密を打ち明けられたとき。ロジオンはそのたびに悩まされた。困らされた。けれど、心の底から嫌だと感じた瞬間はなかった。「そなたは我が友じゃ、たとえ親子ほど年が離れていても、友人になってくれるであろ」、ロジオンは王の無邪気な言葉を嬉しく感じていたのだ。

 だからこそ、いっそうの後悔が押し寄せてくる。

 なにもできなかった、友に。ただ、身勝手な怒りに囚われて、意地になったように友から距離を置いていた。そんな自分を悔やみ、頭を下げ続けていると、にぎわいが近づく。

 ロジオンはすっと目を細めた。ふつふつとこみ上げる怒りが、いまだかつてないほど、冷めた心地にさせる。同時に、揺らがない決意を固めさせる。

 申し訳ありません、王よ。あなたを信じないばかりか、敵の企みに乗せられました。

 せめてもの償いに、この命に代えて、災いを滅ぼしましょう――――。

     *

 貪婪たんらん。災いの正体は、それだった。

 容赦なくむさぼられながら、ロジオンはひとつの気がかりを思い出していた。

 王が、大切な友が遺した、忘れ形見。

     *

「父上があなたをよこしたのですか」

 そう云ってアレクセイ王子は王によく似た顔に、王とはまったく異なる表情を浮かべた。

 明らかな冷笑に、ロジオンは苦笑を浮かべる。

 まっすぐな反発を向けられ、さてどうしよう、と考える。王から王子に会ってほしいと頼まれたが、積極的に訪れたわけではない。しかし稽古用の模擬剣を下ろしたアレクセイ王子は、勘違いしてロジオンを睨んでいる。ロジオンまでも王の意向を受けて、王子の説得にやってきたと考えているのだ。

 少し考えて、ロジオンは正直になることにした。

 まあ、アレクセイ王子の言葉は完全な間違いではない。

「その通りです、殿下。王のご命令で、あなたに会いに来ました」
「ぼくは自分の意見を間違っているとは思いませんよ。いま、ルークス王国は窮地に立たされている。歴史はあれど、しょせん、小国だから他国に侮られている。あれの処置をぼくたちに押し付けるなんて、馬鹿にされている証だ」

 だから、と、聡明で知られている幼い王子は強い眼差しでロジオンを見上げた。

「ぼくは他国に留学します。そうして他国の弱みを探り出してやる。ルークス王国に足りない要素も探り出して、この国を強くするんだ。もう、侮らせない。あれの処置を押し付けられないように要求してみせる。あんな、危険極まりないもの、どうしてぼくたちが処理しなければならないんだ」
「おっしゃる通りです、殿下。だからこそ、他国はすでに我が国に対し、弱みを抱いているのです。なぜならあれの処理を小国に押し付けているなんて、どの国も外聞が悪くて洩らせない事実ですからね」

 ロジオンが穏やかに告げれば、思いがけない言葉だったのか、王子は目を見開く。

「王子。あなたはルークス王国、唯一の王位継承者。また、王個人にとって、最愛のお妃さまが遺された大切な宝でもあります。あなたが他国に赴く事実こそ、ルークス王国、そして我が王にとっての弱み。どうぞご理解いただけませんか」

 幼いながらも整った顔立ちに、ロジオンの言葉を検証している表情が浮かぶ。

 さてどのように考えているのだろう。いまだ幼い王子は、それでもせいいっぱい、ルークス王国を背負おうとしている。微笑ましさと頼もしさ、同時に抱きながら、ロジオンは王子の金茶色の髪を撫でた。身分を弁えぬ無礼だが、王子は怒らない。むしろ、驚いたようにロジオンを見上げて、やがて微笑んだ。

 その笑顔はさすがに、王によく似ていた。