王宮の客人、と云う立場は、退屈極まりない。
 なにせ客室と書物庫、礼拝堂以外の場所への訪問を禁じられているのだから。与えられた制限に、最初はひやりとした。偽物だと疑っているから、制限されていると考えたのだ。

 だが違う。おとなしく振る舞いながら、アレクセイはまわりの反応を観察していた。
 侍女やしばしば訪れるパストゥス重臣の態度から、アレクセイを侮っている様子を感じ取れない。丁重な態度は、他国の王族を迎えるにふさわしい態度だ。

 アレクセイは最強と名高い傭兵集団『灰虎』の一員として育った。王族との契約も珍しくない集団で育ったのだ。だからこそ、ある程度まで真偽を判断できる。

(だからといって、油断するべきではないんだがな)

 座椅子に身体を伸ばし、書物庫から借りてきた本を読む。ルークス王国にまつわる書物だ。街中でも手に入るだろう、ありふれた観光案内の本である。懐かしいから、と云う口実で借りたが、その実、ろくに知らない『故郷』に関する知識を入手するためだ。

 アレクセイの、ルークス王国に関する知識は、かなり偏っている。

 なにしろ、亡き親友から得た知識が大半だからだ。王宮の東側の壁は崩れているからお忍びに最適なのだ、とか、都の中央にある噴水から西に向かった喫茶店では美味しい紅茶が飲めるんだ、とか。おまえは本当に王子だったのか、と突っ込みたくなるような、他愛のない事柄が主流である。

 亡き親友から授けられた知識は、もちろんアレクセイ王子としてふるまう道具にするつもりだが、王族としての知識も話しておけ、とはいまさらどうしようもない、アレクセイの主張である。他愛ない自らの愚痴に唇をほころばせながら、書物のページをめくる。

 ふと、アレクセイは眉を寄せた。

(ずいぶん、領地に無駄があるな……)

 ルークス王国はアダマンテーウス大陸北方にある国である。最北端と云ってもいい。寒冷地だからこそ、居住に適さない場所はあって当然である。だがそれでも多いと感じた。

 ページをさらにめくる。人が住んでいない地域は大別して二種類ある。南に広がる森林地帯、北海沿岸の寒帯地帯だ。なぜだろうと考えているときに、仲間の訪問を受けた。チーグルとアーヴィングだ。部屋に入ってくるなり、アーヴィングが笑う。

「なんだ、優雅に過ごしているじゃねえか。本を読む余裕があるとは結構、結構」
「懐かしいんですよ。書物庫で故郷に関する本を見つけてしまってね」

 書物を閉じながら、アレクセイは二人を迎える。

 いま、チーグルとアーヴィングは王宮に滞在していない。王宮は堅苦しいからの、とはチーグルの言葉だが、実際のところは、情報収集に不便な場所だから、と云う理由である。

 ただ、セルゲイはアレクセイを気遣って王宮に滞在しようとしたが、アレクセイが拒んだ。しょせん、セルゲイも傭兵育ちである。彼にとって王宮が堅苦しく過ごしにくい場所だとわかりきっていたし、そろそろ距離を置くべきだ、とアレクセイが考えたからだ。万が一の事態を考えれば、セルゲイの顔を王宮の面々に覚えさせたくない。アレクセイの思惑を感じ取ったセルゲイは失笑した。怒る段階を通り過ぎて呆れたらしい。その甘さを捨てないといつか追いつめられるぞ、と云ってよこした。余計なお世話だ。

「なるほどな。その日暮らしの傭兵には、書物なんてものに縁がなかったし?」
「たーわーけっ。それはおぬしだけじゃ。傭兵だからこそ、教養も必須なのじゃぞ?」
「それはヘルムートに任せてる。おれは剣を振るうだけが取り柄だからな」

 情報収集をしている、と云う裏を読み取った二人は、他愛ない会話でアレクセイの行動が自然なものだと裏付けにかかった。ありがたいことだ。唇をゆるめながら、アレクセイは侍女に茶の用意を頼んだ。生ける伝説と美丈夫の登場にどきまぎしていた侍女は、元気よく応えて退室する。

 さて、これで三人きりだ。続き間には当然、他の侍女が控えているが、いま、この部屋に限れば三人きり。それでも声を潜めて、アレクセイは切り出した。

「で、どうしたんです。いつものご機嫌伺いよりずっと早い時刻ですが」

『灰虎』で集めた情報を、チーグルとアーヴィングは定期的にアレクセイに渡していた。  
つまり、毎日のご機嫌伺いが、それである。王宮ではさすがにアウィス便が使えないからだ。パストゥス王宮側は、アレクセイたちが情報のやり取りをしている事実を察しているだろう。だがそのくらい、許容範囲だと受け入れているに違いない。なぜならチーグルもアーヴィングも王宮への訪問を拒まれた事実はないからだ。

 アレクセイが問いかければ、アーヴィングとチーグルが視線を交わす。ふ、と、清々しい笑みを浮かべたアーヴィングが「吉報だ」と短く告げた。

「キーラ嬢が見つかった。ルークス王国との国境付近にある町で捕獲した、とヘルムートは書いてよこしやがった。……ったく、なにをしやがったんだ、あいつは」

 ぼやくような後半は聞き流して、印象的な前半に、アレクセイは言葉を失う。

(キーラが、見つかった)

 あざやかな濃藍色の瞳が脳裏によみがえる。なぜか、そらせなかった眼差し。表情豊かな瞳は別れ際には、読みがたい表情をたたえていた――――。

「それは、……確かに吉報ですね。つまり、」

 反射で応えながら、アレクセイの頭は、もどかしい唇と共に働き始めている。

「ルークス王国への侵入方法が分かったということでもありますし」

 すると、チーグルがごんとアレクセイの頭を叩く。低く呻いた。それなりに、痛い。

「おぬしの頭はそれしかないのかっ。無事でよかったな、とか、そういうたぐいの言葉は出てこんのかっ。そういう態度でいるなら、わしにも考えがあるぞ」
「そうはおっしゃいましても、コーリャ爺。他になにを云えと云うのです」
「ええい、この朴念仁がっ」

 アレクセイは眉を寄せた。なんだかわからないが、理不尽な罵りを受けている気がする。云い返そうとして、アーヴィングが先に言葉を遮った。呆れたような視線をチーグルに向けて、厳しい表情をたたえて、アレクセイに向き直る。

「ただ、キーラ嬢は一人じゃなかった。魔道ギルドルークス支部の前支部長らしき人物と一緒だった、とヘルムートは書き送っている。王の信頼厚い人物だったと。意味、分かるか」

 はっとアレクセイは表情を引き締める。もちろん、その意味は理解できている。

 本物のアレクセイ王子を知る人物、と云うことだ。