間章 (6)

     なによりも先に『灰虎』の仲間たちを想った。仲間たちは王宮に留まっていない。だから仲間たちは大丈夫だ、と考えることで、反射的にこわばった身体の緊張がほどける。

     パストゥス女王は、じっとアレクセイを見据えている。観察の眼差しだ。だからアレクセイは微笑んで見せた。ぎこちなくなっていないだろうか。落ち着いてもいい材料をすでに見つけている。だからぶざまに、慌ておののく必要などどこにもない。

    「それでは、ここにいるわたしは幽霊ということになりますね」

     落ち着いてもいい材料、その一。
     本当にアレクセイを偽物とみなしているのなら、女王を一人きりにするなどあり得ない。執務室続きの間に、兵士を隠していてもおかしくない。だが、続き間にはだれもいない。アレクセイとて『灰虎』の一員なのだ、そのくらいはやすやすとわかる。

    「そうだな。幽霊など、これまで見たことがないから、わたしも驚いている」

     にやりと笑って女王は応えた。
     落ち着いてもいい材料、その二。
     女王の態度は、不審者に対する態度ではない。確かに、アレクセイを観察している、試してもいる。だから、王族を騙る犯罪者への態度ではないのだ。先ほどの文書は本日、届けられたという。ならば女王自ら、わざわざ会う必要はない。偽物だと確信していないからこそ、『アレクセイ王子』に会っているのだ。

     そして、落ち着いてもいい材料、その三。
     これはあらかじめ、想定できている事態だ。あからさまに『アレクセイ王子、パストゥス王宮に現る』と広めたのだ。反撃として敵が、アレクセイ王子が偽物だと喧伝する事態は想定していた、のである。

     それでも動揺は抑えきれなくて、とっさに仲間たちの身の安全を計算した。アレクセイの甘さだろう。親友の呆れ顔がよぎり、アレクセイは眉をしかめるところだった。いま、感情をあらわにするわけにはいかないと云うのに。

    「アレクセイ王子、教えてくれないか。十年前になにがあったのか。なぜそなたの父上ではなく、叔父上がルークス王となっている?」

     落ち着いてもいい材料を見出しているが、アレクセイの窮地は変わらないようだ。
     なぜなら十年前、ルークス王国で何が起こったのか、アレクセイは知らない。亡き親友、本物のアレクセイ王子も明確に語らなかった。全体像をつかんでいなかったのか、あるいは、心情的に語ることができなかったのか。

     いずれにしても、いまの状況を変えるにはどうするか。考えろ。テーブルの下、手のひらに冷や汗を感じ取る。アレクセイは自分に云い聞かせた。頭を使え。情報を確認しろ。

     亡き親友に望みを託された自分が、この程度の窮地、切り抜けられないはずがない。

     やがてアレクセイはまぶたを伏せ、逆に、女王を誘導する手に出た。

    「……聡明なる女王陛下は、すでに察してらっしゃるのではないかと」
    「簒奪、か」

     女王は自らの推測を口にする。
     まあ、先ほどの文書から、他に導ける答えはないだろう。王名が変わっている。正統な王位継承者が父王に雇われた傭兵集団と共に他国にいる。ならば普通ではない事態が起きたのだとだれにでも推測できる。だからアレクセイはかすかにうなずいた。

     パストゥス王は、短く弔いの言葉を告げる。追及は途絶えた。安堵に息をつきそうになって、鋭く息を呑みこんだ。危ない、安堵していい状況ではない、まだ。

     与えられた情報を、もう一度、確認する。アレクセイの叔父が王位にある、第一王位継承者たるアレクセイが不慮の事故で亡くなった、王国統治権を放棄し民に国を委ねる。

     今度の反応は隠しきれなかった。眉を寄せる。最後の一文は、どういう意味だ? 

    「だが、十年の間に情勢が変わったようだな。イーゴリどのは兄王を殺して簒奪した王位を放棄するという。いったい何があったというのか……」

     同じ部分に疑問を抱いているらしき、パストゥス王のつぶやきである。

     これまで襲撃してきた敵側の動きを思い返す。色つきの魔道士による襲撃。本物のアレクセイ王子の殺害。王位継承者の証である紋章を狙っている。だがキーラを連れ去ったのち、襲撃は途絶えている。アレクセイは舌打ちをこらえた。いやな符号だ。だが、――――。

     いや、わからない。思考の袋小路に迷い込みそうだ。頭を振って、女王を見た。

    「叔父上の身になにがあったのか、わたしにもわかりません。ただ、今回の文書により、だれがもっとも益を得たのか、不思議に感じるばかりです」
    「不思議に? そうなのか、アレクセイ王子?」

     唇をゆるめ、苦笑を浮かべながらパストゥス女王は告げた。

    「この文書、わたしにはルークス王国民の挑戦だと感じたぞ。この文書によって、もっとも益を得た存在は、ルークス王国民だ。なぜなら政権が自らの手に落ちてきたのだからな」

     思いがけない指摘に、アレクセイは目をみはる。
     だが、たしかに、とただちに納得していた。唇をゆるめる。苦笑を浮かべるしかない。

    (さて、どうする?)

     いささか皮肉な心地で、アレクセイは亡き親友に語りかけていた。
     どうやらおまえの民は、おまえが想う以上に、したたかでたくましいようだぞ、と。

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