――――なにか、あたしに協力してほしいことはない?
ルークス王国の災いについて打ち明けられたあと、『話があるから』と云って、キーラはアレクセイの部屋に留まった。唐突な申し出に仲間たちは疑問を抱いた様子もなく、キーラだけを置き去りにして部屋を去っていく。唯一、ロジオンだけが気遣わしげにキーラを眺めていたが、ヘルムートに促され、結局、沈黙したまま部屋を出て行った。
キーラと二人きりになり、アレクセイは困惑した。彼女は確かに、アレクセイに対し、不審を抱いていたはずなのだ。怒りを抱いていたし、アレクセイの対応に傷ついてもいた。
それなのにいま、態度をひるがえして二人きりになろうとする理由はなんだろう。
率直に訊ねたいが、不思議なためらいがある。そもそも訊いてどうするのか。経緯はどうであれ、紫衣の魔道士の協力を得られる。結果に満足して、状況を受け入れればいい。
(だが、)
奇妙なほど、アレクセイの好奇心は疼いている。なにがあったのか。あるいは、なにを知ったのか。問いつめたい衝動は、驚くしかないほど、強かった。
テーブルをはさんで、キーラと向かい合っている。茶器をもてあそんでいたキーラもまた、困惑しているようだった。その事実に気づいて、アレクセイはようやく口を開いた。
「紅茶をお代わりしますか」
「あー、ううん。いいわ、話なんてすぐに終わるから」
アレクセイの提案に驚いたように顔を上げて、キーラはちらっと笑った。かと思えば、すぐに笑みを消して、茶器をテーブルに置く。続いて、はっきりとした声で告げた。
「じいさまから提案があったの。魔道ギルドルークス支部長にならないかって。あたし、了承したから」
唐突な言葉に、困惑が深まった。 キーラが告げている内容に、秘められている意味を理解している。すなわちルークス王国を解放したのち、先に交わした契約を果たしても、アレクセイの傍にいると云う意味だ。
偽物でしかないアレクセイの、味方であり続ける、と云う宣言だ。
「――――解せませんね。それではあなたの夢は叶わなくなる」
やがてアレクセイは眉をひそめてそう返した。キーラの申し出をありがたいと感じている。仲間たちが抱く懸念のうち、最大のひとつが解消されるとわかっている。
だが納得できない気持ちが芽生えた。
『灰虎』との、アレクセイとの契約を頑なに拒んでいたキーラを思い出した。マーネでの出会いから、『灰虎』の船で別れるまで、ひたすらまっすぐに夢に向かっていたのに。
「夢は、」
アレクセイの指摘に、キーラはとっさに口を開いてなにかを云いかけた。 夢は。続いてなにを云い出すのか、アレクセイは待ったが、キーラはなにも云わない。
ただ、あざやかな濃藍色の瞳が潤んだ。ぎくりと身をこわばらせた。泣くのか。ただ訊ねただけだろう、なぜ泣く、と半ば混乱しながらアレクセイは硬直した。
泣き出した女をあやす方法など、アレクセイは知らない。ヘルムートやキリル、あるいはセルゲイなら知っているかもしれないが、泣いている女は厄介だと放置してきたアレクセイにはなにも思い浮かばない。いや、しょせん、キーラなのだから、茶菓子でも与えればいいのか。さいわい、アレクセイの茶菓子は残っている。
しかしキーラは涙をこぼさなかった。すん、と、一度だけ鼻をすすって、にっこりと笑顔を作る。無理をしている。さすがのアレクセイも察したが、なにも云えない。なにも云わせない様子を作って、キーラは朗らかな口調で告げた。
「だって、魔道ギルドルークス支部長になれば、じいさまの後継者にならなくてもいいって云うんだもの! 渡りに船よ、魔道ギルドの長って本当に面倒な仕事なんだから」
「……魔道ギルドのルークス支部長のほうが、ずっと厄介な仕事ですよ?」
ためらい、言葉を探して、アレクセイはようやくそう返した。
夢をどうするつもりだ。率直な疑問はアレクセイのなかで渦巻いている。おまえには夢があるんだろう、だからおれに協力するつもりはなかったんだろう。苛烈な問いかけは、やっぱり口に出せない。なぜなら目の前の少女は、必死になってこらえようとしている。
涙を。あるいは、感傷を。
(なにをしやがったんだ、あのじじい)
アレクセイの苛立ちは、魔道ギルドのギルド長に向かう。八つ当たりなのかもしれないが、キーラが態度を変えた理由には、あの喰えない狸が関わっているのだろう。眉を寄せて苛立ちを抑え込んでいると、笑顔を消したキーラが云った。
「うん。――――でも、あたしは決めたから。あなたの味方になる。たとえこの選択が処刑台への道に続いていても、絶対に、くつがえさない。そう、決めたの」
まっすぐに、濃藍色の瞳が、アレクセイを見つめている。アレクセイは言葉を失った。
頑なな意思の表れは、以前にも見たことがある。夢を叶えたい、だから、アレクセイの申し出を受けられない。マーネでそう語っていたときの表情だ。
もう、キーラはくつがえさない。性格も反応も思考も、ありふれた少女でありながら、キーラの意思の強さはとびきりだ。唇をゆるめた。きっと、いまのアレクセイは困ったような、あいまいな表情を浮かべている。キーラはためらい、身を乗り出すように告げた。
「なにか、あたしに協力してほしいことはない?」
ひたむきな眼差しに、アレクセイはこれ以上、否、と告げることができなかった。
事実、ひとりで考え続ける状況に、すでに限界を覚えている。失敗するわけにはいかない。だから呼び出しの件を打ち明け、話し合い、相手を捕らえる手はずを整えた。
(マーネに返すつもりだった、んだけどな)
アレクセイは心の中で呟く。苦い響きは同時に安堵も漂わせていて、ちいさく自嘲した。