(どうしてあたしは眠っているのよ)

 ぽかりと目を開けて、見慣れぬ天井を見上げ、キーラは硬直した。
 灰茶色の地に、白色の薔薇が縫い付けてある幕が、外からの太陽光を遮っている。なにげなく枕元の水時計を見て、起床するにはずっと早い時刻だと気づいた。同時に、今日の出発までまだ間がある時間だとも。ほっと安心しながら、ゆるゆると状況を理解した。

 上品な装飾でまとめられた部屋は、ギルド長と共に宿泊していた宿屋ではない。王宮だ、と気づいてからというもの、冷や汗が吹き出る心地になった。

 なぜ、どうして。混乱しながら、頭は速やかに回転してくれた。おそらく、夜会から抜け出た先、醸造酒を呑んだ庭で酔いに負けて眠ったのだ。だからあのとき、一緒にいたアレクセイが王宮の部屋を手配してくれたのでは、と閃いてしまえば、羞恥に身体が熱くなる。

(醜態だわ)

 起き上がって、ごんごんごん、と、こぶしで頭を叩く。酔いは完全に醒めていた。ひとしきり悶えていたが、やがて諦めた。やっちまったものはしかたねえ、である。

 さいわいにも戸棚を開ければ、ドレスに着替える前に着ていた服がかけられている。とろけるような感触のドレスを脱ぎ捨て、ざっくりと着替えれば、少し落ち着いた。

 借り物のドレスなのに、しわだらけにしてしまった現状が申し訳ない。きれいに伸ばしながら戸棚にかけ、さらに薄く化粧されていた顔を、続き間にある洗面台で洗った。いつも使っているものよりずっと上質な石鹸と化粧水を使わせてもらって、身支度を整えれば、ようやくすっきりした心地になる。水時計を見る。それでもまだ、早い時間だ。

 だからキーラは、服と共に戸棚にしまわれていた荷物から、地図を取り出した。パストゥス王宮、書物庫にあった地図を許可をいただいてそっくり写した、ルークス王国との国境付近を詳細に記した地図である。

 今日、アレクセイたち『灰虎』を連れて、ルークス王国に向かう。ロジオンも同行してくれるが、案内の責任はキーラが負う。だから何度でも、手順を確認しなければならない、と考えたのだ。それがそもそもの『灰虎』との契約であり、なにより、精霊の長からルークス王国への道を開く方法を授けられた人物は、キーラなのだから。

(道を開けるポイントは、地図によれば三か所)

 パストゥス王宮からもっとも近いポイントは、馬を走らせて三日かかる距離にある。もうひとつ、ほど近い場所にもあるがこちらはいささか使いづらい。さらに残りのポイント、すでにキーラとロジオンが使った場所はずっと遠いから、今回使用する候補から下げた。

 ――――できるだけ早くに、ルークス王国に入りたいのですよ。

 パストゥスをはじめとする国々との調整に苦心しながら、アレクセイは希望した。  十年間、鎖国政策してきたルークス王国が、つい先ごろ、長い沈黙を破って、諸国に文書を飛ばした事実がある。王制を廃止し民に政治を委ねる、と云う内容の文書をいまになって送ってきた事情を、あるいは、文書を送ったルークス王国で広がっている波紋を、アレクセイは知りたいらしい。
 つまり、本当に、ルークス王国の解放は必要なのか。要するに、アレクセイが知りたい事実は、その一点に集中しているのだろう。

 ルークスの民に、それほど動揺はないんじゃないか、とは、キーラの個人的意見だ。

(ギインナイカクセイ、だっけ)

 スキターリェツが楽しそうに教えてくれた単語を思い出す。まったく知らない単語だが、意味は知っている。王さまが治めるのではなくて、みんなで政治の方向を決める。

 すなわち、諸国に衝撃をもたらした文書、そのままの政治形態だ。おそらく、ルークス王国はこの十年間、ずっとこの政治形態で国を維持してきたのだ。そうして、あの、豊かで平和な国を維持してきた。だから、あの文書は、実績に基づく宣言である。ルークスの民がいまさら揺らぐ理由を、いまのキーラには見つけられない。

 ただ、と、不可思議な感覚と共に、キーラはつぶやいている。

 ルークス王国の政治形態は、鎖国政策と併用していたから揺らぎがなかった、とも云えるのだ。他国からの干渉を封じた状況だからこそ作られた、穏やかな箱庭の国。だが、文書によって特異な政治形態を世界に知らしめた。もう、穏やかだけではいられない。

(なにを考えているの、スキターリェツ)

 黒髪黒瞳、象牙色の肌をした青年を、キーラは思い出す。

 うさんくさい人物だ。なにを考えているのか、さっぱりわからない人物だ。記憶を取り戻したロジオンが教えてくれた事情によって、彼の思惑を多少理解できた、と感じたけれど、今回の文書によって、やっぱり錯覚ではないかとも感じる。

 スキターリェツは、カンザキキョウイチロウは、なにを求めているのか。

 どうしてもキーラは考えずにはいられない。なぜならルークス王国へ侵入するにあたって、スキターリェツがなにもしないとは考えられないからだ。