「どうにも違和感を覚えるのう」

 街道を外れ、ルークス王国との国境を進む。唐突に、ギルド長がぽつりとつぶやいた。
 地図を広げ一行を先導していたキーラは、低い声のつぶやきを聞きとがめて振り返った。

「なにか云った? じいさま」
「違和感じゃよ。キーラ、おぬしはおかしいと思わぬか。襲撃がなんとも稚拙じゃ。アレクセイ王子が入国するにあたって、妨害はあってしかるものじゃが、もう少し、効率的な方法を使ってもよさそうであろ。たとえばこれから向かう入国経路を破壊するとかのう」

 なかなか過激な提案をする。キーラは溜息ついて、首を振った。

「いま、向かっているポイントは結界を維持する役目もあるんだもの。破壊したら、結界の維持もでき、ない……わ」

 そう云って、キーラも半端に口を閉じた。ぴくりと感覚が反応している。
 なにかがおかしい。確かにそう感じたが、しかし、どこがおかしいのか、わからない。

「彼らの行動には、一貫性がありませんね。あのような文書を送って開国するつもりかと思えば、ちがう。いまだ結界を維持し、各国からの接触を拒んでいる」

 沈黙していたアレクセイが、慎重な声音で告げた内容に、ああ、と納得した。

 十年前より、ルークス王国には、入国できない。それが一般的な認識だ。  しかし本当のところは、ルークス王国は他国との交流がある。ただ、後ろ暗い事情があるため、表向きはルークス王国の鎖国政策によって国交は途絶えた、と各国は民に説明している。だが、暗黙の了解は、先の文書によって、破られた。

 つまり、これまで続けてきた、後ろ暗い部分を断ち切る、とルークス王国は示したのだ。
 王権を廃止し、政権を民に委ねる、とはそういう意味でもある。

「わたしにはなんとなくわかる気がする。ルークス王国の民は、あれの処置を押し付けた国々と交流を持ちたくないのではないだろうか。あの文書はルークス王国民による挑戦だとパストゥス女王はおっしゃられたとか。そうなのかもしれない」

 痛みを含んだ、やるせない表情でロジオンが告げた。
 ロジオンと同じ記憶を共有したキーラは目を伏せた。ロジオンから教えられたアレクセイや、アーヴィングたちもだ。思いがけず知った、国の暗部は、暗澹たる気持ちにさせる。

 一行はしばらく、重苦しい沈黙をまとったまま歩き続けた。先導しながら、キーラは溜息をなんとかこらえた。さらに空気を重くしてはいけない。
 ところが気遣いを無にする発言が出た。あまり詳細を知らされていない団員からである。

「あの、あれ、ってなんッスか」

 アーヴィングが腕を伸ばして、その団員の頭を押さえつけようとしたが、首を振ったチーグルが止めた。「黙っておいていい話ではないからの」、チーグルの代わりにギルド長が告げ、団員たちにルークス王国で待ち受けている、もうひとつの危険について話し始めた。

 ――――モルス、という物質がある。

 ほんの二十年ほど前に発見された物質だ。発見された当初は、センペル、という名前だった。少し黄味がかっていて、何とも云えぬよい匂いがする鉱石である。

 発見者は磨いて、匂いを放つ宝石として売り出すつもりだったらしい。だがふとした出来事がきっかけで、この鉱石が、とても燃費の良い燃料になる事実がわかったのだ。だからあっという間に広まったのだが、やがてとんでもない副作用が明らかになった。

 この鉱石を燃やすと、煙を吸い込んだ人間の、免疫力を極度に低下させるのである。

 最初は、奇病が流行りだした、という認識だった。ところが同じ症状を訴える人が爆発的に増えたことから、なんらかの原因がある、と各国は原因究明に乗り出した。そうしてセンペルと名付けられた鉱石が醸し出す煙が、人間の免疫力を弱めている、と判明した。

 センペルからモルスと名前を改められた鉱石は、ただちに回収されたものの、今度は処分に困る事態になった。先に書いた通り、この鉱石は火をつけなくとも、免疫力を低下させる匂いを放っている。だから一か所に集めるだけで、すでに有害なのだ。

 そこで保管場所として各国から選ばれた国が、ルークス王国だった、という次第だ。

 アダマンテーウス大陸の最北端にある国だから、人が住める地域は限られている。その、人が住めない寒冷地帯に、モルスを保管しよう、と諸国は考えたのだ。広大な土地を持ち歴史ある国でありながら、ルークス王国の国力が弱い事実につけこみ、諸国はルークス王にモルスの保管を了承させた。
 それが、アレクセイの父王の時代の話である。

「じゃから、ルークス王国が結界を張り巡らせて鎖国政策に乗り出した事実は、諸国にとって都合がよかったわけじゃ。民にはモルスをすでに処分したと発表しておる。じゃが、ルークス王国には、世界中から集められたモルスがある。いかに人が近寄らぬ地域に放置したとはいえ、いつ、どこからそんな事実が明らかになるか、知れたものではないからの」

 あるいは、モルスの保管先をルークス王国に定めたときから、鎖国政策は予定されていたのやもしれぬな、と、冷ややかな表情でギルド長は話を締めくくった。

 ありうる話だ、とキーラは考えながら、アレクセイを見つめた。

 本物のルークス王子から、あの子から、故郷の解放を委ねられたひとは、かすかに眉を寄せて自分の思考に入り込んでいる。なにを考えているのか、横顔からはうかがえない。

 アレクセイは、ミハイルという名前の傭兵であった彼は、後悔していないだろうか。

 ルークス王国は、あまりにも多くの問題を抱えている。芋づる式に、次から次へと、厄介な問題が出てくる。王族を騙るという危険を冒しながら、アレクセイはそれらの問題に立ち向かっている。ただ、亡き親友に願いを委ねられたから、という理由だけが、本来の名前までも捨てた青年を動かしている。

 でも本当に、悔やんでいないのだろうか。

 話がちがう、と、亡き親友に訴えたい瞬間もあるのではないだろうか。

(利用してくれて、いいんだけど)

 キーラもすでに決めた。大切な思い出に住んでいるあの子、本物のアレクセイ王子が、彼にルークス王国の解放を望んだというなら、自分もできる限り協力しようと。

(王子さま。一人で頑張らなくてもいいんだ、ってわかってる?)

 眉を寄せて凝視する視線に気づいたのか、アレクセイが、ふと顔をあげてキーラを見た。

 驚いたように目をみはって、やがて、やわらかく笑んだ。その笑顔を見たとたん、なんとなくいたたまれなさを覚えて、キーラはあわてて顔をそむけた。なんだか気まずい。地図に視線を落として、もう目的地についている事実に気付いた。コホン、と咳払いする。

「ま、とにかくいまは、先に進みましょう。皆さまが健脚でいらしたおかげで、目的地にたどり着いたようです」

 振り返りながら云えば、にや、と笑っているギルド長がいちばんに目に入った。
 くそじじい、とつぶやきたくなったのは、もはや反射神経のなせる業である。