「詳細を話せ」
「その必要はないよ。なぜなら僕がすでに、ここにいるからね」

 アーヴィングの引き締まった声に続いて、のんびりとした声が木立の合間から響いた。

 ぱっと視線を向けると、ゆっくりとスキターリェツが姿を現した。一人ではない、五名ほど兵士を引き連れている。ちゃり、と剣の柄に手をかける音が響く。『灰虎』の面々はすでに身構えていた。
 ところがスキターリェツは、いっきに緊迫した空気をものともせず、アーヴィングに報告した団員に向けて、たしなめるように声をかけた。

「だめじゃないか。剣士でもない僕や兵士たちに後をつけられても気づかないなんて。それでも最強と名高い傭兵集団『灰虎』の一員なのかい?」

 指摘された団員は、直ちに顔を真っ赤にしてスキターリェツを睨んだ。ふう、とキーラは息をつく。スキターリェツに挑発の意図はない。真面目に忠告している、と、わかる。

(悪気がないだけに、いっそう、始末に負えないのよね)

 だからといって、スキターリェツが人の気持ちを読めない、と云うわけではない。
 むしろちゃんと人を見ている。キーラ自身の記憶をかえりみても、魔道を通して知ったロジオンの記憶をかえりみても、それは明らかだ。ひとの思惑を理解できる、負の感情も察知する。でもそれがなんだい? と、スキターリェツは問題にしないだけ。
 だから、ただ不可思議な性格の持ち主だと侮ってはならない。

 団員たちがアーヴィングを見て、指示を仰いでいる。兵士はたった五人に、丸腰のスキターリェツだ。捕えようと考えたのだろう。アーヴィングが判断を下す前に、と、あわててキーラは口を開いた。

「相変わらずね、スキターリェツ。けろっと、ひとを苛立たせるところ、変わってない」

 スキターリェツ、と呼ばれている人物がどんな存在なのか、『灰虎』の面々にはすでに話してある。丸腰の青年が、紫衣に匹敵する能力を持った魔道士だと気づいた一行は、さすがにためらいを漂わせた。ギルド長は奇妙な眼差しでスキターリェツを眺めている。敵意ではなく、観察でもない。旺盛な好奇心を刺激される、といった、とても雄弁な眼差しだ。

 にっこり、と、スキターリェツは満面の笑顔を浮かべて、キーラに向き直った。

「そりゃあね。だってきみと別れて、そんなに経っていないじゃないか。変わるわけがないよ。……そうそう、急にきみがいなくなったから、ローザが困っていたよ。とりあえずアリアを手伝いに向かわせているから、あとで二人に謝りに行くといい」

 触れられたくない人物二人の名前を出され、かちんときたキーラは目を細めて応えた。

「あたしがサルワーティオーにいられなくなった理由は、どなたのおかげでしたっけ?」
「僕はきみの願いを叶えただけだよ? 人のせいにされたら困るなあ」
(やっぱり、こいつ、むかつく……っ!)

 ぐ、と思わずこぶしを固めていた。そういえば森をさまよっていたとき、再会したらスキターリェツを殴ろうと決めたんだっけ。いいかしら、ドカッと一発、殴っていいかしら、とむずむず考えていると、傍観していたロジオンが進み出て、なにげなくキーラの手を押さえた。

 とんとん、とキーラのこぶしを軽く叩いてなだめ、スキターリェツに向かい合う。

「ひさしぶりですね。いまはスキターリェツとお呼びしたほうがいいですか?」

 ふ、と、スキターリェツの笑顔が変わる。しかたなさそうな、大人びた微笑を浮かべて、ロジオンをまっすぐに見つめた。そう云えば知り合いだったっけ、と遅れて気づく。

「そうですね。もう、スキターリェツと云う呼びかけに馴染んでいるから、お願いします」
「では、スキターリェツ。災いはいま、どういう状況になっています?」
「……あなたこそ、相変わらずですね。大切なところをまっすぐに指摘する。相手が何者であろうと、自分のスタンスを崩さない。態度を変えない。十年経っているというのに、まったく変わっていない。精霊たちもあなたを変えることはできなかったみたいだ」
(へえ)

 二人の会話を聞いて、キーラは少し驚いた。なにに対してかと云うと、スキターリェツの口調だ。いつになく素直だ。くわえて、ロジオンに対する敬意を感じる。

 十年前、ロジオンはスキターリェツに対し、かすかな親愛を抱いていた。もちろん、生贄として召喚された少年に対する罪悪感も抱いていたけれど、魔道ギルドにおける会話で、スキターリェツを認めていたのだ。どうやらそれは、一方的な感情ではなかったらしい。

 スキターリェツの好意的な感情を感じ取ったのか、ロジオンも穏やかな苦笑を浮かべる。

「変わりましたよ、わたしなりにね。それで災いがどうなっているのか、教えていただけないのですか?」
「いえ。むしろ、災いこそが、僕がお話ししたい本題です」

 そう云って、スキターリェツは表情を引き締めた。ぐるりとこちらを眺めて、ぴたりとアレクセイに視線を留めた。じっと見つめて、口角をゆるめる。

「きみが、アレクセイ王子かい?」
「そうではない、と、あなたはご存じなのでしょう?」

 ずっと沈黙していたアレクセイは、冷ややかなほど皮肉な調子で応えた。

 ロジオンとスキターリェツの穏やかな空気になじみ始めていたキーラは驚いたが、しかし、考えてみれば当然の反応だった。スキターリェツの配下である青衣の魔道士マティアスによって、本物のアレクセイ王子は命を落としているのだ。直接手を下したわけではないにしろ、スキターリェツはアレクセイにとって、亡き親友の仇である。友好的になれるはずがない。
 アレクセイの隣では、セルゲイも剣呑な眼差しでスキターリェツを見据えていた。こちらは剣の柄に手をかけたまま、いつでも抜ける態勢で構えている。

 うん、とスキターリェツは頷いて、困ったように微笑んだ。

「マティから報告を受けているからね。きみがアレクセイ王子から、ルークス王国の解放を依頼された事実も察しているよ。なぜなら、あの生意気なやつが、無責任に命を放り出すはずがない。信頼できる人物に後事を委ねたにちがいないって簡単に想像できたからさ。……本当に、親子だよね。そう思いませんか、ヴェセローフさん」

 呼びかけられたロジオンは、ちいさく笑って目を伏せたきり、なにも云わない。
 ロジオンをちらりと見て、だがすぐに、アレクセイはスキターリェツに視線を戻した。

「お言葉ですが、だれがアリョーシャの命を奪ったか、認識していますか。あなたが手を下していないから関係ない、というたわごとをまさかおっしゃるつもりではないですよね」
「まさか。きみこそ忘れていないよね、アレクセイのやつが亡くなった理由は、大切な親友を護ったからだって。責任ある立場でありながら、すべてを捨てて、アレクセイはきみを護った。その重みを、まさかきみが、理解していないわけじゃないよね?」

 うっすらと微笑みながらスキターリェツが云い放てば、ぐ、とアレクセイは痛みをこらえる表情を浮かべた。キーラも唇を結んだ。ミハイルを護るために、あの子は死んだのだ。
 すでに知っている事実だが、目の前に突きつけられれば、まだ感情が波打つ。吹っ切るように頭を振って、キーラは口を開いた。いまは会話に介入するべきではない。わかっていたが、沈黙が続く事実にも、アレクセイの痛みを見続ける事実にも、我慢できなかった。

「それで? 災いに関して、あなたはどんな本題を抱えているというの」

 意識したより、ずっと強い口調で、キーラの言葉は響いた。

 スキターリェツはかすかに驚いたようで、キーラに興味を惹かれた表情を浮かべた。だがすぐに元の表情に戻して、アレクセイに視線を向けて「協力してくれ」と告げた。

「災いを今度こそ、消滅させたいんだ。きみたち『灰虎』の力を貸してほしい」