資格が無効になる日 (13)

     喰われる。貪られる。消えていく。

     かつてロジオンの記憶を通して、知っていた感触だ。だが、経験したくなかった。痛みはない、手足が実際に食まれているわけではない。けれど自分が削られていく感触だ。魔道能力が、自分から消えようとしている。留めようとする余地などないほど、涙があふれ、流れていった。生理的な涙なのか、それとも、精神的な衝撃による涙なのか。わからない。でも徹底的に、食われていく感触だった。

     どこまでも貪欲に、容赦なく、なにもかも。

     ――――どのくらいの時間が、流れたのだろう。

    「キーラ!」

     だれかが呼んだ気がした。
     けれどもはやどうでもよくて、呆然と動かないでいた。失われた、なにもかも。

     ぽかり、と放り出されても、なにも見えない。わからない。大気にあふれている力は、まったく見えなくなっていた。魔道能力が喰われたからだ、と、よくわかっていた。

     落下し続けて、どさり、と温かい感触が受け止めてくれた。ばたばたと駆け寄る気配がする。ああ、そういえば。記憶を探った。ロジオンも同じように放り出されていたっけ。

    「キーラっ?」

     おそろしい災いが遠ざかっていく。彼らがなにかしたのだろうか。でも自分を抱えてくれている、圧倒的に安心できる気配がだれのものなのか気づいて、ようよう、キーラは顔を動かしていた。あざやかな緑色の瞳を見上げて、「ごめんなさい」、つぶやいたのだけど、無様に掠れていたから聞こえなかったかもしれない。アレクセイはぎゅっと眉を寄せた。

    「あたしの力、喰われちゃった……」
    (だからもう、あなたの力になれないわ)

     心のなかで云い直して、キーラはまぶたを閉じた。ひと筋、流れていった雫が悔しくてたまらない。あの子の願いも、あなたの願いも、叶えられなくなった。最後の意識の欠片でそう考えて、再び、キーラは意識を失った。

     次に意識を取り戻したとき、今度こそ、やわらかい感触に包まれていた。

     清潔な匂いがする。ほう、と安心して息を吐き出して、ぱちりと目を開けた。今度も見知らぬ部屋にいるようだ。ただ、心地よく整えられた部屋だった。窓から夕陽が差し込んでいて、窓際に佇むひとを照らしている。目を細めて、キーラは口を開いた。

    「じいさま……?」
    「目が覚めたのじゃな、キーラよ」

     かすかにきしんだ声で応えて、ギルド長はゆっくりキーラが横たわる寝台に近づいた。

     驚いた。いっきに老け込んだように見える。思わず手を伸ばせば、しわだらけのかさついた手が、握り返してきた。なんとなく安心して、へにゃりと笑った。

    「どうしたの、じいさま。疲れているみたい」

     そう問いかければ、ギルド長は笑った。
     ただ、笑顔とは感じ取れない微笑みだった。哀しみが形作る、痛ましい微笑に、キーラも哀しくなる。ぎゅ、とギルド長の手を握れば、同じ強さで握り返される。

    「……おぬし、自分の現状をわかっておるか?」

     そろりそろり、と慎重な様子で訊ねられ、ああそうか、とキーラは唐突に気付いた。
     ギルド長は、自分に起きた出来事に衝撃を受けているのだ。後継と見込んだ娘が魔道能力を失ったから、――――ううん、ちがう、と閃いた考えを自分で否定する。

    (じいさまはそんなことを嘆いているわけじゃない)

     もっと深く、もっとやさしい理由でキーラを案じているから、ギルド長はこうして憔悴しているのだ、と気づいた。泣き出したくなった。でもいま、泣き出してしまったら、ギルド長の哀しみがますます強くなる。だからわざと甘えることにした。

    「じいさま。あたし、お腹空いた」
    「ほ」

     さすがに驚いたようにギルド長は目をみはって、崩れるように、今度こそ本当の微笑みを見せた。ああ、よかった。安心したキーラから、ギルド長はゆっくり手を放した。

    「では、消化にやさしい粥でも用意するかの。甘い粥が良いか、辛い粥が良いか」
    「甘い粥」
    「ふむ。ではひさびさに腕を振るうか。待っておれよ、キーラ。いま、じいさまがとっておきの粥を作ってやるからの」

     云いながらギルド長は部屋を出て行く。ぱたんと扉が閉じる音が響いて、キーラは握り込まれていた手のひらを見つめた。温かな感触が流れ込んだ気がする。だが、それだけだ。力はまったく見えない。試しに魔道を発動させようとした。でもなにも変わらない。

     なにも、起こらない。災いに能力を喰われてしまったからだ、と、よくわかっていた。

    (なんだか、あっけないなあ)

     心のなかでつぶやいて、キーラはとろとろとまぶたを閉じた。

     ギルド長が戻ってくるまで、たぶん、充分な時間がある。それまで休んでいよう、と考えた。甘えている、と、よくわかっていたが、いまはまだしっかりしていられなかった。

     疲れていたのだ、とても。――――とても。

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