その集落がどこにあるのか、キーラはまったく知らない。教えられもしなかった。

 魔道士ギルドより古い時代から存在している集落で、もとは魔道による暗殺を請け負っていた。だからこそ、戦闘魔道を研究し、さらに魔道能力を高めようとして、倫理的にはおおいに問題がある行為すら、平然と実行していた。老練な魔道士の経験を幼い魔道士に移し替えようとする研究、力への認識能力を極端に高めて魔道能力を高めようとする研究……、なかでももっとも原始的な研究によって、キーラはこの世に生まれたのだ。

     *

「統一帝国時代から世代を重ねるにしたがって、魔道士の能力は低下している。昔には使えた魔道も、いまの魔道士は使えない。だから魔道体系も変わってきた。でもその集落はその変化を堕落だと捉えたのね。だから魔道士の血に宿る能力を凝縮するため、血族間で次代を生み出したの。あたしも、そうやって生まれたらしいわ」

 つとめて平然と語って、けろりとキーラは肩をすくめた。
 用心深く表情を消していたロジオンは、慎重な響きで問いかけてきた。

「その集落にいたきみが、どうしてギルド長に引き取られたんだ?」
「……集落があった国の王族が、魔道士ギルドに依頼したの。倫理的に問題がある研究をためらわない集落をどうにかしてほしい、と。時代は変化していた。いつまでも噂だと誤魔化しきれない。古めかしい集落がある事実に、外聞が悪いと考えたのね。さらに暗殺と云う手段も時代遅れの方法になっていたし、かの集落に頼っていた事実を諸国に知られたら都合が悪い。だから本当のところは、魔道士ギルドに集落を消してほしかったみたい」

 じいさまは、と、わずかに震えた声で続けた。

「最初は集落を説得しようとしたのよ。でも猛烈な反発を受けて、攻撃されたから、やむなく迎え撃ったんだ、って、シュバルツさんが云ってたわ。本当かどうか、わからないけど、とにかく集落にいた魔道士は全員、……いなくなって、あたしだけ、じいさまに引き取られたの。なんでも当時、赤ん坊だった研究対象はあたしだけしかいなかったみたいね」

 当時の真実を、キーラは知らない。さすがに覚えていないし、知ろうと云う感情もない。

 ただ、キーラに刻まれている記憶は、物心ついたころには魔道ギルド本部にいて、ギルド長たちに甘やかされながら育てられたこと。魔道の力はとかく圧倒的で、まわりをしばしば困らせていたこと。先祖がえりか、とは、精霊の長が告げた言葉だが、聞き慣れた言葉でもある。もっともさかんに聞いていた当時は、秘められた畏怖に気づかなかったけど。

「魔道の力が強いけど、あたしは普通の子供だったから。じいさまは安心していたらしいわ。でもあたしが七歳になったとき、その事件は起きたの」
「事件?」
「誘拐事件よ。集落の存在を知っていた人物が、唯一の生き残りを手駒するためにあたしを誘拐したの。訳が分からないまま、でもあたしは抵抗して、誘拐犯を魔道で殺した」

 ロジオンが眉を寄せた。わずか七歳の子供が誘拐犯を魔道の力で殺した、と云う事実は、なかなか衝撃的な事件だったらしい。それはそうだ、いくら魔道の能力があったとしても、七歳であるなら、せいぜい、魔道の基礎概念を学ぶか学ばないか、というころだ。常識で考えたら、ありえないと考える。だから当時、魔道士ギルドはかなりもめたらしい。

「あたしはそのとき、じいさまがじいさまじゃないって教えられたの。産まれた集落や、本当の両親がどういう関係だったか。――――あたし、」
「『罰だから』、か」

 当時の自分が陥った状況を語ろうとしたら、やはり声が震える。さえぎるようにロジオンが口を開いて、うつむいていたキーラの注意を自分に向けさせた。見上げた先で、ロジオンはちらりと苦笑する。まだ、温かみを失わない、やさしい笑みだ。

「きみの記憶だ。ちいさなきみがいじめられてもそう繰り返していただろう? どうしてだろうと考えていたが、なるほど、そうした事情があったのか。……もしかして、紫衣の魔道士となった理由もそのあたりに事情があるのか?」
「あたしには大きな力がある。だからこそ、義務に縛られた紫衣の魔道士となって、魔道士ギルドの管理を受け入れろ、ってことだったみたいね」

 食事も睡眠も放棄した七歳のキーラに向かって、ギルド長は冷たく云い放ったのだ。
 いまさらおぬし一人が死んでも、過去も現在も変わらぬ。自分を赦せぬと、存在も許されない化け物だと感じたところで、だれもそなたのために手を汚したりはせぬ。それでも。

 ――――凡人になりたいと心底願うならば、自ら進んで枷を受けるがよい。
 ――――紫衣の魔道士『キーラ・エーリン』にならば、人間である権利を赦そう。

「だが、ギルド長は、きみの夢を許した」
「……そうよ。マーネに行きたい、ってあたしのわがままを受け入れてくれたの」

 声がどうしようもなく震えてしまう事実を、心底、キーラは情けなく感じた。いま、ロジオンに指摘されて、ようやくわかった。これからどうしよう、と、途方に暮れていた気持ちが、くるりと、いまさらギルド長の想いに気づかされた哀しみに変わった。

 ギルド長はキーラを生かしたかったのだ。ただ、それだけだった。

 だから紫衣の魔道士、という目的を与えた。だからマーネに行きたい、と云う希望も、将来は喫茶店経営したいという夢も、結局は認めてくれた。自らの後継者に、と云う希望もあったにせよ、紫衣の魔道士と云う役職が、真実、キーラの枷ではなかった証拠だ。

 ばかだね、と、つぶやいて熱くなったまぶたをおおうと、ロジオンが頭を撫でてくれる。

「人間、だれしも愚かな生き物だ。あとになって愚かさに気づく。それに、それでもきみは頑張ってきた。義務だけに生きるのではなく、力を尽くしたい夢まで見つけたんだ。気づかないままでも、ギルド長の願いを受け止めていた、と云うことではないか?」

 ちがうわ、と、鼻をすすりあげながら、キーラは笑った。

「あたしはただ、呑気だっただけよ。生まれや起こした事件にまつわる偏見や反発に鈍感だっただけ。だってすべて、先回りして手を打ってくれたじいさまや、夢を与えてくれたあの子がいてくれたんだもの。恵まれていただけよ、あたしが頑張ったわけじゃない」

 ロジオンはなにも云わず、ただ、黙って頭を撫で続けてくれた。こぼれそうになった涙をこらえて、キーラはただ、唇を固く結んだ。

 本当に馬鹿だった自分に、いまさら気づく。紫衣の魔道士なのだから、と、ルークス王国の魔道士を滅ぼせ、と云う命令に従おうとした自分自身の愚かさ、スキターリェツが告げた諸々の言葉の意味、アレクセイが向けてきた強い眼差しに秘められた意志にも。

(力を失ったいまになって、なにもできない、いまになって、)
(悔し、い……)

 哀しみより、喪失感より、ずっとずっと強く感じる気持ちは、燃えあがるような悔しさだった。このままでいるの、と、芽生えた後悔が激しい調子で、キーラを責めたてる。ただ、失われたものを嘆いて、応えられない自分を嘆いて、無力であり続けるのか。

(いやよ!)

 ぐ、と、投げ出していた手のひらをこぶしに握りしめる。もう、世界にあふれる力が見えなくなってきたけれど、この手のひらはどんな魔道すら操れなくなっているけれど。

 でも、キーラにはまだ、出来ることがあるはずなのだ。

 ――――自らの手が、攻撃のためだけにある、と思い込んでいる時点で賢くないです。  

懐かしい声が、キーラのなかで、力強く響いた。ふ、と、心がゆるんで、ぽわぽわと温かくなる。あの子はもういない。けれど、あの子が遺した言葉はキーラのなかにあって、芯から奮い立たせてくれる。だから、キーラはいつでも、あの子に、逢えるのだ。

 ――――気に喰わないやつにいやがらせをしたり、美味しいものを食べたり、……。

(そうね。あれからあたしは、そうやって出来ることを増やしてきたわ)

 だから、ここで悲嘆にくれなくてはならない理由は、どこにもない。
 ふつふつ、とこみあげてくる衝動に従って、キーラは唇の緊張をほどいた。「キーラ?」、驚いたようにロジオンが呼びかけてきたものだから、にっこり、心のままに笑った。

(だいじょうぶ)

 この程度で、たかが魔道能力が失われたくらいで、なにもかも、放り出してたまるか。

 災いを消滅させる、と云う目的も、アレクセイの味方でいる、と云う指針も、決して放り出さない。すでに大切な夢を諦めたのだ。これ以上、なにも捨てない。捨てて、やらない。

(見つけたわ、スキターリェツ)

 ふっきるために、ぐい、と、湿った感触のまぶたを右腕で拭う。ロジオンが手を止め、しみじみとキーラをのぞきこんだ。ふ、と、苦笑を浮かべてくれたから、素直に嬉しい。

(あたしのいちばんはね、あたしらしく、諦めずに進むことよ)

 絶望などと云う、甘ったれた概念に、ひたったりはしない。