ぴちょん、と、しずくが落ちる音が響く。じめじめとした空気がまるで肌にまとわりつくようだ。ゆらゆら揺らめく灯りを右手に掲げて、キーラは辺りを見回した。一度だけ、魔道士たちによって運び込まれたときには、この場所をゆっくり探索する余裕はなかった。
ここは、琥珀の紋章によって扉を開かれた、地下施設である。
天井が高い。まずそんなことを考えた。じめじめとした空気は、部屋の中央にあるプールのためだろう。なにを考えてこんな構造にしたんだか、と、息を吐けば、隣にいるスキターリェツが楽しそうに話しかけてきた。
「憂鬱そうだね、キーラ。やっぱりやめる?」
「冗談でしょ。憂鬱なのは、あなたやじいさまがここにいるからよ。危険だから上で待ってろって云ったわよね、あたし?」
「じゃが、少なくともいまは危険ではない。なにせ災いは活動を停止させておるからの。ならば魔道的解析が出来る存在はたくさんおったほうが良かろう?」
あごひげを撫でながら反論してきたギルド長にスキターリェツは同調してうなずく。まったく、と、忌々しい気持ちを噛みしめる。どうしてこの二人は云うことをきかないのか、自分の身を護らないのか。キーラを心配してくれている、とさすがに察している。だが、魔道士ではなくなったキーラより現役魔道士である二人にとって、危険な場所なのに。
災いは、こんもりとうずくまったまま、地下施設にいる。 不安定な灯りに照らされた姿はまるで小山のよぅだ。不気味な小山。『灰虎』の面々が、地面にくいを打ち、縄を張り巡らせて災いの肉体を縛っている。今回の作戦において、動き出すだろう災いの動きを制限するためだ。そうして作業は完了したらしい。キリルの合図を受けて、キーラは災いに近づいた。スキターリェツとギルド長も近づいてくる。
ぽ、と、魔道の光が浮かんだ。
つーい、と、災いのまわりを動き回って災いの全身を照らす。獰猛な全身に、ざわめきが生まれる。だが近づくキーラや傭兵たちはもちろん、魔道士二人にも災いは反応しない。なぜなら、災いは永続魔道によって動かされている死体、すなわち、物質だ。必要がなければ活動を再開させないとわかりきっていた。だから、いまのうちなのだ。
――――災いの消滅方法を探っていて、考えたことがある。
つまり、物質と化した肉体に、
スキターリェツ、ギルド長の両名にとって、それは意表を突いた推測だったらしい。いま大気を――――おそらくは漂う魔力を――――眺めていた二人はそろって、災いの後ろ右足へと進んだ。固い爪先をのぞきこんだスキターリェツは、うん、とうなずく。
「キーラの推測通りだ。ここに、
「物質よ。あらゆる魔を取り込み、己のものとして留まらせ、存続し続けよ、か。なるほどのう。この永続魔道の本質は、〈摂取〉か。そもそもは大気中の魔力をとりこむように
つまり災いが生きている動物のように〈喰らう〉という形で魔道能力を取り込む理由は、動物であった物質に摂取方法として刻まれている情報が〈喰らう〉と云う形式だからだ。
推測が当たっていた事実に、キーラは唇を引き締めた。ならば、次の段階だ。
「じいさま。スキターリェツ、災いから離れて。腕輪を着けるわ」
「ほっほ。声が震えておるぞ、キーラ。まだまだじゃのう」
からかう余裕を保ちながら、それでもギルド長とスキターリェツはキーラの言葉に従う。代わりに、セルゲイとキリルが進み出て、用意した腕輪を災いの足に巻きつけた。竜族の肉体に合わせて用意した、魔道封じの腕輪だ。かちり、と音がして腕輪が固定される。
――――この世のすべての物質は、無機質であれ、有機質であれ、粒子から構成されている。これまで災いの摂取対象を魔道能力と表現してきたが、厳密に云えばそれは粒子なのだ。魔道士を魔道士たらしめている特殊な粒子、すなわち魔を、災いは取り込んでいる。
ちなみに魔道士を、粒子と云う単語を用いて定義するなら、こうなる。
粒子をつなぎとめる特別な粒子との親和性が高いがゆえに、粒子を動かす波動、すなわち
だから、粒子を動かして取り込んでいる災いは、魔道士と同じ存在なのだ。そうしてこの理屈は、魔道士に影響を与える物質が、災いにも影響を与えるかもしれない可能性を浮上させる。だから、魔道封じの腕輪を持ち出したのだ。 魔道士は、魔道封じの腕輪をつけることによって、特別な粒子を把握できなくなる。だから魔道を扱えなくなる。すなわち、粒子を動かせなくなるのだ。つまり、それがどういうことかというと、――――。
「魔力の流れが、変わった。そろそろ動き出すよ」
冷静なスキターリェツの言葉と同時に、か、と、災いの虚ろな瞳が開いた。