(しかしこんな状況に付き合おうだなんて、物好きが過ぎる。キーラもスキターリェツも)
まったく、と云うつぶやきは、表情には出さずに秘めたままだ。いま、あいまいな笑顔を浮かべているアレクセイを好しとした貴族――――いっそ、珍獣と云ってやりたい―――は、執務室に押しかけてくるなり、つばを散らしながら自論を演説している。
「――――であるからこそっ、殿下のご即位の儀にはぜひわたくしが尽力したく――――」
実に珍妙な生き物だ。やむなく手を止めて、しみじみと目の前の生き物を眺めている。なぜならアレクセイはこの貴族の入室を許可していない。
当たり前である。なぜならいま、アレクセイは執務中なのだ。かろうじて見つけ出した文官の補佐を受けながら、数々の書類を決裁していた。最重要と云ってもいい、職務中に、雑音をまき散らす存在など招き入れたくもない。それが本音である。
だがこの生き物、地位だけは立派なのだ。たしか侯爵だったか伯爵だったか。ごり押しして入室してきた生き物は、地位に似合わぬ小物ぶりをさらけ出しているから、よくぞこの十年間、生き延びたものだと感心までしてしまう。あるいは小物だからこそ、生き延びたのか。魔道士たちに反乱した勢力は、現王を慕った軍の関係者だと聞いている。いかにもひ弱な生き物は陰に潜んでいたのか。ああ、納得である。
「――――と思われますが、いかがお考えでしょうかっ?」
つらつらと辛辣な内容を考えているうちに、ようやく珍獣の演説が終わったようである。アレクセイは微笑んだ。なにを話してたっけ、こいつ。正直な本音はぺろりと隠している。
「まずは、感謝しなければなりませんね」
ゆったり、ゆったり。記憶に生きる親友の言動を思い出しながら口を開く。
「は?」と口を開いた珍獣は、まるでポーカのようだ。それなりに愛嬌はあるんだよな、と考えながら、相手をもちあげる言葉をつむぐ。
「このようなとき、あなたのように、国の大事を我が事のように考えてくださる人材に恵まれている事実に、です。わたし一人では、途方に暮れていたでしょう……」
「いっ、いいえっ。とんでもないことでございますっ」
珍獣はあわてて口を開きながら、アレクセイの口上を否定してみせた。なにをおっしゃいますやら。亡き父君も殿下のご成長を楽しみにされておりました。そう云いながら、こちらをうかがう眼差しに宿る気配は、軽侮だ。しっかり認めながら、しおらしく装う。
アレクセイの、本来の気性にはそぐわぬ、偽装である。
だが亡き親友がここに居たら、きっとこのようにふるまっていたに違いない。侮らせて、油断を誘う。か弱く見せて、急所を探る。かつては無駄な偽装だと感じていたが、親友の真似をするようになって初めて知った。なかなか、有効なやり方でもあるのだ。
のらり、くらりと、珍獣の言い分を聞きながら封じる。この珍獣が、相手を選んでアレクセイを侮る発言をしている事実など、陰からの報告によって、とうに承知している。それでいい。アレクセイ王太子を侮って、自滅の道を進んでくれないか、と期待している。
「それではわたくしめはこれにて。お心が定まりましたら、いつなりともお呼びください」
「ええ。頼りにしていますよ」
そうこうしているうちに、しびれを切らした珍獣はようやく退場してくれた。
やれやれ、と椅子に背中を預ければ、複雑な表情を浮かべた文官に気づく。ちらりと笑って、アレクセイは発言を促した。珍獣とは違い、身分による序列を弁えているまじめな彼は、「失礼いたしまして」、と云う前置きを告げてから、自らの意見を述べる。
「おそれながら、殿下はキーノリ伯爵のご意見を採用されるおつもりですか」
「わたしの即位の式典を派手に、という意見でしたね。そのつもりはありませんよ」
率直な疑問を心地よく感じながら、今度は、まぎれもない本音を告げる。
文官の素性、性質はすでに承知している。だれともつながっていない事実を影を通して確認もできている。だからこそ、考えを少しだけ打ち明ける。
「参列される方には失礼のないように、とは考えておりますが、伯爵の主張通りにしては、追加徴税しなければならなくなる。それはいまの状況では避けるべきでしょう」
するとまじめな文官は、安心したように表情をゆるめた。どうやら納得したらしい。
ぺこりと頭を下げて、おとなしく引き下がる。
七十点。心のなかでアレクセイは、文官を採点した。
ではなぜ、伯爵の意を重んじるような態度を取ったのか。補佐役としてそこまで追及してほしかったのだが、なかなか希望通りにはいかない。文官として補佐役として、むしろ積極的に追及すべき事柄だと思うのだが、まだまだ遠慮が先立つらしい。あるいは、弁えているからか。わずかなもどかしさを覚えながら、アレクセイは再び執務に戻る。
ふと、窓から街を眺めた。アレクセイの視線に気づいて、文官も動きを止める。
さまざまな決裁越しに、ルークス王国民の生活が見える。だが、それはあくまでも書類上の感覚だ。錯覚となりうる可能性に、いつもひやりとする感覚を抱いている。民の生活を、損なっていないか。ちゃんと決裁は働いているか。直に確かめてみたいと云う衝動を、いまもまた、アレクセイは抱いて、窓から書類へと、視線を戻した。
そもそもこのルークス王国に侵入した理由は、亡き親友が愛した民がなにを考えているのか、知るためでもあったのに。執務に追われて、その時間はなかなか訪れようとしない。