間章 (7)

     実はあたしのおすすめはここでおしまいなのよ次に行きたいところはある?

     朝食を終えた後、キーラは堂々と云ってのけた。
     云われた瞬間、アレクセイは困惑したものの、じきに噴き出した。手回しよく休暇を差し出してきたものだから、今日一日、すべての予定は埋まっているのかと考えていたのだ。

     だが、これはアレクセイの休暇である。

     キーラのおすすめ場所ばかり回るようでは、休暇とは云えないだろう。あるいはそう考えたからこそ、キーラもアレクセイの希望を訊いてきたのかもしれない。

     アレクセイは少し考え、すっきりと目の前で続いていく道路を指差した。

    「しばらくはこの道をまっすぐ道なりに」

     具体的に行きたい場所はいくつかある。だが、いまは観察したかった。今日はルークス王国にとって特別な日ではない。だからこそあたりまえな日常の欠片をつかみたかった。

     ――――わずか一日では、求めるものは得られない、と、察してはいるが。

     アレクセイの心情をどこまで察したのか、キーラは「わかった」とだけ告げて、邪魔にならない近さで隣を歩き始めた。今日のキーラは、切れ込みの入った動きやすい下衣を身に着けている。それでも女の足だ。彼女に速度を合わせながら、石畳の通路を歩く。

     朝食を食べている間にも時間は過ぎて、いつもなら執務室で書類と向かい合っている時間だ。ちらりとロジオンの苦労を考えたが、すぐにさわやかな外の空気に頬をゆるめた。

     ルークス王国の鎖国は、すでに解いている。

     だからなのか、道路を歩く人のなかには旅行姿の者もいる。おそらく商人だろう。
     ルークス王国開国の情報が広がったとたん、著名な商会が人を派遣したと報告を受けている。だがもちろん、なかには各国王宮の手先も混じっているに違いない。

     軽く頭を振って思考を切り換え、なにげなく、隣を歩く娘を見下ろした。

     魔道士の娘は、緊張とは程遠い表情で並ぶ店頭を眺めていた。
     沈黙がずっと続いているが、どうやら退屈はしていないらしい。じっと眺めていたら、くるくると表情が変わる。美味しそう、と見惚れる表情もあれば、なんだろ、と興味を誘われた表情もある。だが、それでもアレクセイに注意を傾けているようで、じきに不思議そうに見上げてきた。濃藍色の瞳がのぞきこんでくる。

    「王子さま?」
    (またか)

     自分の失言に付いていない様子に苦笑し、言葉に迷いながらアレクセイは口を開いた。

    「なにか欲しいものでも見つかりましたか」
    「うぇ?」

     するとすっとんきょうな奇声を上げて、キーラは目をまたたいた。アレクセイの言葉はよっぽど意外だったらしい。しかしすぐに我に返って、「ないない」と首を横に振る。ちらり、と、キーラが見ていたものに視線を飛ばせば、がつ、と腕をつかまれた。

    「さあ、行きましょう。まっすぐに行きましょう。道はまだまだ続いているからね!」
    「そんなに恥ずかしがるものではないと思いますが」

     キーラの勢いに戸惑いながら、目に入った道具を振り返る。

     たしか、サモワールと云う、ルークス王国ならではの茶道具だ。金属製の湯沸かし器で、北国ならではの、紅茶が冷めない工夫がされている。サルワーティオー南の地の特産品だ。

     だめなのよ、と、アレクセイを引っ張るキーラは、頑なに繰り返している。なにがだめなのかと考えていると、ゆるゆると速度を落とし、つぶやくように告げる。

    「あたしはもう、喫茶店とは縁がないもの。……魔道士ギルドの支部長、なんだし」

     なんともさびしげな声音に、アレクセイはふっと眉を寄せた。いま、どうしようもないほど、苛立ちが芽生えた。

     魔道能力を取り戻したキーラは、魔道士ギルドに籍を戻し、再び紫衣の魔道士となった。そうしてギルド長との約束通りに、魔道ギルドルークス支部長となり、アレクセイを助ける立ち位置にいる。

     キーラはかつて抱えていた夢を諦めたのだ、わかっている。だが、自分で選んだだろうその道に、さびしさを覚えている事実が、感傷的すぎる態度が、腹立たしい。

    「そうですね。あなたにはもう関係のない道具でしたね」

     だからアレクセイは冷淡な響きで続けた。

    「ですがサモワールは、このルークス王国において、とてもありふれた湯沸かし器です。つまりは今後、わたしの茶会にあなたを呼ばなくてもいいと云うことでしょうか」

     そう云い放ってにやりと笑いかけると、キーラは珍妙な顔で沈黙した。しまった、と云わんばかりの表情に、してやったり、と云う気分になる。

     まったく、莫迦な娘だ。諦めかたが極端すぎる。だが、キーラの視野の狭さは、少し前の自分を思い出させるものだから、心の底から嘲笑しようと云う気にはならない。

    「あー。王子さまの茶会はともかく、料理長の焼き菓子には執着があるのよあたし」
    「大丈夫です、わかっています。キーラには茶を出さないように、と、ちゃんと云いつけておきますよ。未練がよみがえるからつらいようだ、とも伝えておきましょう」
    「ごめんなさい。莫迦なことを云いました。だから焼き菓子欲しいです」

     少しは素直になったらしいキーラの言い分を聞きながら、今度はアレクセイが先導して歩く。腕に引っかかっていたキーラの手はやがて外れたが、振り返らなくてもすぐ近くを歩く気配を感じ取っていた。

     やがて道の終わりにたどり着く。着いた先は大きな公園だ。火災や洪水のときには、避難場所となる場所である。

     十年前、この世界に召喚されたスキターリェツの提言によって、用意された場所だ。

    目次