間章 (13)

    「お訊きしてもよろしいでしょうか」

     沈黙して考え込んでいた侍従長は、アレクセイをまっすぐ見つめながら口を開いた。

    「いま、この事実を確認された意味は? なにをお考えですか」

     企みもなにも感じさせない、まっすぐな問いかけである。アレクセイはちらりと笑い、紅茶を飲んだ。ひとくち、みずみずしさが口内に広がり、頭がすっきりする。云いたいことが明確になる。

    「わたしは、この国を建てなおそうとしています」

     はい、と、丁重な態度でうなずきを返してきた。

    「ですから、不安要素を消しておきたいのですよ。わたしに不満があるなら。ただ、偽物に過ぎないわたしがルークス王国を整えることに不満があるなら、いまのうちに、行動を起こしてください。これから安定させたのち、反乱が起きたら困りますから」

     そう云うと、驚いたように侍従長は目を見開き、まじまじとアレクセイを見た。見定めようとする眼差しは、亡き親友とどこか通じる色合いをしている。確かに血のつながりがどこかにあるのだと考えながら見返すと、くすり、と面白がる気色で侍従長は笑った。

    「なかなか。愉快なかたですね、あなたは」

     温かい感情が染み出るような、打ち解けた印象のある微笑みである。

    「政情が定まっていない、いまのうちに反乱せよ、とは。それほど自信がおありになる?」
    「たしかにいまは、仲間たちがいます。それも最強と呼ばれる傭兵たちが。ですが、戦いに『もしも』はつきものです。あえて戦いを起こそうと考えているわけではありませんよ」

     ただ、と、アレクセイは、今日一日でつかみ取った、あいまいな感触をつかみ取ろうと目を細めながら、言葉を探して、つむいだ。

    「わたしは偽物である事実は、否定しようがないですから。……これだけ王家の事情が不透明にもかかわらず、毎日の生活をちゃんと繰り返してきた人々に迷惑をかけたくない、と考えているだけです。まともな生活をしている一般人を、自分の勝手な事情に巻き込むとは、傭兵の風上にも置けない。彼らの日常を奪わせたくないのです」
    「なるほど、なるほど」

     和やかに相槌を二回繰り返して、侍従長は笑った。そして、ずばりと訊いた。

    「他国のかたがたが、あなたの血統を理由に、介入することを怖れてらっしゃるのですか」
    「……その通りです」
    「それならば問題ありません。ルークス王家、ふたつ存在する我が一族は、すでにあなたを我が一族の人間と認めると定めております。現王陛下もそのつもりでいらっしゃるようで、養子手続きを進めてらっしゃいますよ」

     さすがに驚いたアレクセイの前で、ますます楽しそうに侍従長は笑う。

    「そもそも我々の役目は、あなたがた、主にキーラさまによって意味を無くしました。見事、災いを消滅させたのですからね。我々の重荷をひとつ消してくださったあなたがたに恩を感じることはあれど、仇を返そうとはだれ一人考えておりません」

     国を管理する役目のほうは、と、いちど言葉を切って、やや視線を外した。

    「皮肉にも、魔道士たちが証明してくれました。国を管理する役目は、我々ではなくても成し遂げられる、とね。ですから、アレクセイ殿下にすべてをゆだねられたあなたでも、問題はないでしょう」

     ずいぶん大味な結論である。もしや面倒になったのでは、と云うアレクセイの推測は、少しばかりひねくれている。思いがけず認められている感触が、なんだか恥ずかしいのだ。

     災いを消滅させたから、と云う。本物の王子に委ねられたからだと云う。

     それらはアレクセイの功績ではない。だから否定してもよかったが、侍従長の温かな眼差しに言葉を失った。圧倒的な、許容の眼差し。なぜ、と感じた。

     なぜ、この自分をここまで信頼してくれるのだろう、というアレクセイの考えを見透かしたように、笑みを消した侍従長は「あなたを見定めたからです」と続けた。

    「ずっと、あなたを観察してきました。ルークス王国に現れる前から、王宮に現れてからも、わたしたちはあなたを観察していました。その結果、わたしたちは、あなたが私欲に生きる人物ではない、と感じたのです。あなたはアレクセイ殿下の意志を貫こうと考えてらっしゃる。……少々、頑なに過ぎるほど」

     ですから、わたしたちは、あなたを仰ぎましょう。

     そう云いながら侍従長はかしこまって、頭を下げた。きれいに整えられた白髪頭は、それこそ頑なに意思を表して、頭を上げようとしない。息をひとつ吸って、吐いた。

    (アリョーシャ。おまえが報われないと思わないか)

     おまえの命を奪った存在が、おまえの親族に、存在ごと認められようとしている。

     そう考えたが、アレクセイはゆっくりと頭を振った。これは、亡き親友を貶めようとする考えだった。あいつは、おれを、かばった。あいつの立場なら、おれも同じことをした。

     それはかばう対象が、信頼できる友だったからだ。失いたくない。心からそう願う存在だからこそ、護った。そうして命を失ったとしても、決して恨みには思わないだろう。

    (おまえは、もう、穏やかでいるか)

     はじめて。

     アレクセイの中心に居座り続けた、亡き親友の面影が、今度こそ死に顔から笑顔へと切り替わる。ふ、と震えるように息を吐いた。まぶたが熱く、視界が揺れる。

     こらえきれなかった涙が、一筋、頬を流れた。
     ようやく。

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