あの、キーラ・エーリンが魔道能力を取り戻した、と云う知らせを受けたとき、耳を疑ったもんだ。知らせてくれたやつ、ロジオンは簡単に嘘を云うやつじゃない。だが、魔道能力は簡単に取り戻せるものなのか、と云う疑問は持ってあたりまえだろ。そもそも魔道能力が消えたという話も眉唾だったが、こちらはロジオンが困った顔をして話してくれた。

「ルークス王国には、統一帝国時代から伝わる災いがあってね。……これは王家の密事なんだけど、もう話していいとアレクセイ殿下から許可をいただいたから、話すけど。詳細は省くけど、魔道能力を喰らう化け物だったんだ、そいつ。わたしも魔道能力をそいつに喰われてしまってね。おかげでもう、ただの一般事務員だよ」

 あははー、とロジオンは明るく笑ったが、笑って済ませていい話題だろうか。

(相変わらず、のんきなやつ)

 わしはちいさく笑った。

 およそ十年ぶりに再会した魔道士ギルドルークス支部長は、魔道能力の喪失に、記憶喪失、と云うめにあいながら、明るく笑えるやつなのだ。そう云うところをわしは心から尊敬しているし、だからこそ支部長であるやつを支えてきたと云う自覚がある。

 だから、そのロジオンが魔道能力喪失に従って、ルークス支部長の地位を失ったことはわしにとって、覚えがないほどの衝撃だった。しかも次なる支部長は、魔道能力を取り戻したキーラ・エーリンだと聞いて、顔をしかめたものだ。あの、頼りない小娘。

 どう考えても、ロジオンに及ばない支部長になる、と考えた。だってそうだろう。わしよりはるか年下で、経験不足が目立つだけではなく、きゃんきゃんうるさい。いまは亡くなったアリアとかいう娘と二人、本当にうるさかった。きれいに掃除しろだの、身なりをちゃんと整えろだの。魔道士ギルドを辞めてやろうか。そう考えるほどうんざりだった。

「そんなに嫌うことはないと思うな。キーラはけっこう、やるときにはやる子だよ」

 ロジオンがそう云って取り成したが、あいにくわしはそう感じたことはない。

 まあ、行動力があることは認めよう。根性があるとも認めておいてやる。魔道能力が無くなったにもかかわらず、その災いを倒すために、魔道士ギルドの資料を探し回っていた事実を覚えているから、悪い娘っこじゃないと、わかっている。だが。

 だがなあ。

 なにが楽しくて、自分よりはるかに年下の娘を上司として仰がなくちゃならんのだ。たしかに紫衣の魔道士なんだろう。世界で十三名しかいない魔道士を、わざわざルークス支部に寄越した理由はわからんが、しかし、それぞれの支部の事情を察してほしいもんだ。

 ぶつぶつぼやきながら、わしはその日を迎えた。

 そう、王宮の客人となっていたキーラ・エーリンがサルワーティオーに家を借り、魔道士ギルド支部長として働くためにギルドを訪れる、その初日だ。

「おはようございます!」

 よりにもよって、この娘っこは朝一番にやってきやがった。

 お偉いさんはのんびりと出勤するものだろ。ロジオンのやつなんざ、下手したら午後に出勤することもあったぞ。なぜなら家で研究に夢中になったまま、沈没してたからな。それを起こしに行くこともわしの仕事だった。まあ、たいがい、魔道士ギルドに泊まりこむことのほうが多かったから、面倒はなかった。だが、この娘っこにそれはなさそうだ。

 そして、来たのはキーラ・エーリンだけではない。

「おはようレフくん。あはは、相変わらず、なんだか悪党そうなひげ面だねー」

 スキターリェツとか呼ばれている、神殿の客人までキーラ・エーリンの付添として魔道士ギルドを訪れてきたのだ。なんで来る? わしは内心、絶叫したぞ。なぜならこいつは、離反した魔道士たちの中心だ。はっきり云って、わしらとは敵対する立場にあると云ってもいい。魔道士たちが亡くなり、王弟が解放されたからと云って、緊迫した関係に代わりはないはず、そのはずだ。

 だが、ロジオンはにこやかにあいさつをしていたし(ちなみにこいつは、一般事務員として魔道士ギルドに雇用され続けるらしい)、数日前から滞在しているギルド長も和やかに接してやがる。どいつもこいつも。わしは苛立ったが、空気を読んで黙っておいた。本当に納得したわけじゃない。この十年間を、何度も思い出した。だから、我慢したわけだ。

 そうしてぶるぶると我慢していたわしに、キーラ・エーリンは云い放った。

「ではまず、支部長として命令させていただきます。――――レフ」

 きりっと引き締まった表情でわしを見つめてきたキーラ・エーリンに軽く眉を寄せた。なにを云い出されるかと身構えたところ、信じがたい言葉が続いたのだ。

「ひげを剃りなさい」
(……、)

 しばらく沈黙して、わしは思いきり疑わしげに成り立て支部長を見下ろした。

「は?」

 だーかーらー、と凛とした様子をどこかにやって、キーラ・エーリンは地団太踏んだ。

「そのっ、不潔極まりない印象を与える、むっさむさのひげを剃りなさいと云っているの!」
「なんでだ」

 むっつりと答えた。

 理不尽な云いがかりを受けたもんだ、と考えていた。不潔極まりない、だと? わしがこのひげを維持するために、どれだけ苦労を、……放っておいたら伸びただけだから苦労はまったくしていないが、……とにかく。わしはこのひげを気に入っている。なのに、簡単にひげを剃れ、とキーラ・エーリンは云いやがった。苛々と睨むと、平然と胸を張る。

「なぜなら、わたしたちルークス支部は、一般の皆さんに不信感を持たれています。先の魔道士殺害が響いているからですが、その不信感を拭い去るために、さまざまに活動しなければなりません。目指すは好感度アップ。というわけだから、――――ひげを剃れ」

 今度は低い声ですごみながら云いやがった。

(馬鹿馬鹿しい)

 わしは率直にそう感じたね。ため息ひとつ残して、髪をかきながら、踵を返そうとした。ばしん、と、床が弾ける。息を止めて、たらりと冷や汗をかく心地で、にこにこと傍観していたスキターリェツを眺めた。立てた人差し指に、ふ、と息を吹きかける。

「ちょっと、スキターリェツ! ギルド内の攻撃は禁止よ!」

 たちまち、キーラ・エーリンが注意を飛ばしてきたが、わしはスキターリェツを注視していた。いま、自分が攻撃された事実だけはわかった。おそらく力を固めて足元にぶつけたのだ。詠唱もなく、気配も感じさせなかった。信じられん。どんだけの力を持っているのか、と、わしが考えていると、スキターリェツは小首をかしげてキーラと話していた。

「えー。だってレフくんってば、キーラの命令も聞かずにどっか行こうとするからー」
「気持ちは嬉しいけど、ただでさえギルドはぼろいのよ? ますますぼろくしないで!」
「えー。ここまできたら、なにをしても一緒と云うかー」

 スキターリェツがのほほんと云い返した言葉に、キーラ・エーリンの雰囲気が変わった。その事実がよっくわかった。ぎぎ、と音を立てそうな動きで、ロジオンを見、わしを見た。

(う、)

 なんとも冷ややかな、据わりきった眼差しを見て、わしは硬直した。怖がった、と云うより、迫力負けとしたというか。ああ、決して怖いわけじゃない、怖いわけでは。

「いいこと?」

 ゆっくりと云い放たれた言葉には、穏やかなほど落ち着いていた。

「あたしたちは、魔道士ギルドルークス支部は、変わらなければならないの。現在の状況を改善するためにも、これから穏やかな国になるだろうルークス王国で生き残っていくためにも、ふさわしい形に変わらなければ、すたれていくばかり。それももちろん、ひとつの手ではあるけれど、要は無職になるのよ。そうして、いちおう戦闘職と認識されている魔道士が無職になったとき、簡単に再就職できると考えないように」

 マーネでは大変だったわ、としみじみとした実感を込めて云う。

「たかだか、紫衣の魔道士だからと云う理由で、再就職を断られた喫茶店は何件に上ったことか! 最初の面接で『ごめんなさいねえ、あいにくだけど魔道士さんは』、そう云われている間にもどんどん食料は減っていき、蓄えも消えていき、行き倒れる羽目になるのよ。現実には魔道士なんて、研究者にも剣士にも負ける、しがない戦闘職なのに、世間の皆さまはそう考えないの! これから訪れる穏やかな時代では、新しい印象を与えていかないと、魔道士は生き残れないんですからね!!」

 それは再就職先がまずかったのではないだろうか。

 しかし、しつこいほど「穏やかな時代」と繰り返すキーラ・エーリンに驚いた。いまはまだ、不安定な状況だ。それなのに、確信したように、穏やかな時代が来る、と云う。それだけ信じているのだろうか。あの、十年ぶりに帰還したアレクセイ王子を?

 見ればロジオンは微笑ましそうにキーラ・エーリンを眺めていた。スキターリェツはどこか面白くなさそうに、ギルド長はゆったりと満足そうにあごひげを撫でている。その様子を見ていれば、やっぱり羨ましくなった。ひげ、いいよな。

 すると突然、がつ、と首筋をつかまれた。

 まともに喉に来た。ぐ、と声に出たかどうか。見下ろせば、キーラ・エーリンが微笑みながらわしの首筋をつかんでいる。ぎりぎりと締め付ける力は強く、……おい、これがしがない戦闘職だと? 細い腕を持ちながら、これだから紫衣は侮れん。く、く、く、……。

「いいこと? だからあたしの云いたいことはただひとつよ」

 穏やかな時代に、存在し続けるために。

「ひげを剃れ」

 穏やかな時代とやらはわびしいやもめ男にひげをはやすことも許してくれない時代なのだろうか、と、薄くなる意識で考えながら、わしは両手を掲げた。本当は童顔だからはやしておきたかったのだが、目先の命こそ大事である。負けたと思うまい、必ず訪れるという穏やかな時代のためだ。