「こちらで、お待ちくださいませ」
びしっと髪をひとつにまとめた侍女が案内してくれた先は、西向きの窓がある応接室だった。いまも陽光は入ってきているが、少しばかり薄暗い印象がある。一礼して退室していく侍女に会釈を返しながら、キーラは「さて」と考えた。
魔道士ギルドルークス支部長と云う立場を前面に出したおかげか、突然の訪問にもかかわらず、門前払いを喰らうことはなかった。これからどのくらい待たされるか。だれがキーラに対するために出てくるのか。次の段階として、さまざまな状況を考える。だが考えを巡らせる時間はあまりなかった。
「お待たせしましたわね」
途中、紅茶を淹れてくれた侍女が引っ込んでしばらくしたあたりで、きれいに化粧をした貴婦人が侍女を連れて現れた。さほど待っていない。ということは、キーラに対する期待はそれなりに高いということか。茶器をテーブルに戻し、キーラは丁重にふるまう。
「いいえ、美味しい紅茶をいただいておりました。このたびは突然の訪問、どうかお許しくださいませ」
そう云って教わった作法通りに頭を下げれば、貴婦人は満足そうに微笑む。
「よろしいのよ。そもそもクリスチーナがあなたがたに手紙を送ったことがはじまりですものね。それで、クリスチーナの依頼は引き受けていただけるのかしら?」
(ふうん?)
いきなりの本題である。多少、驚いた。同時に、貴婦人はクリスチーナの依頼内容を知っているのか、という疑問に駆られた。探る必要を覚え、キーラは微笑みながら口を開く。
「はい。魔道士たちを殺した犯人を捜してほしいというご依頼ですね。それはもちろん、」
「なんですって!」
貴婦人が唐突に声を荒げて言葉を遮ったものだから、キーラはやむなく口を閉じた。だが納得している。
キーラをそれほど待たせなかった事実、接客に現れた人物が風格にあふれた貴婦人、おそらくはこの屋敷の女主人という事実を考慮すると、キーラは利益をもたらす重要人物として認識されていると推測できる。そうしてその利益とは、少なくとも魔道士たちを殺した犯人を見つけることによって得られる利益ではないと想像もできた。相手は貴族だ。邪魔な存在を消し去った存在を探すより、もっと未来に向けた利益を追求するはずである。
たとえば、新たな人脈の確保、だろうか。
「あの子ったらまだ、そんなバカなことを! とうに死んだ相手に操を立ててどうなると云うの。そもそもわたくしたちは許した記憶もないと云うのに、……愚かなことを!」
(あ、助かった。こういうひとですか)
ぱらりと扇を口元におおって貴婦人は吐き捨てたが、向かい合わせに立っていたキーラにはばっちり聞こえていた。うかつな貴婦人である。策略を生業とする貴族とは思えない、わかりやすさだ。だがまあ、このくらいのストレートさが、かえって扱いやすい。
それにしても、と、キーラは考え込む。貴婦人の言葉は、いかにも意味深だ。とうに死んだ相手に操を立てる。古めかしい物言いだが、色恋沙汰の云い回しだと理解できる。この状況から考えられる推測は、クリスチーナと云う女性が魔道士のだれかと将来を誓った関係だった、というものだが、あり得るのだろうか。貴族の令嬢といえば、王族や上位貴族に嫁ぐことを夢見る生き物だと、十二人の同僚たちに叩き込まれているのだが。
「あの、奥さま?」
「その依頼は受けなくていいわ。わたくしがあなたがたにお願いしたい依頼は」
「おかあさま!」
(わぁお、劇的)
貴婦人が居丈高にキーラに言葉を続けようとした矢先である。ばたんと乱暴に扉が開かれ、髪を乱して一人の少女が飛び込んできた。「お嬢さま」とは、少女を追いかけてきた侍女の呼びかけである。広げた扇で口元を隠しながら、貴婦人は柳眉を寄せた。
「なんです、クリスチーナ。お客さまの前ではしたない」
「はしたないのはお母さまでしょう。わたくしのお客さまに、なにをお話になってるの」
「まったく」と貴婦人は息を吐いた。じろりと少女の後ろで立ち尽くしている侍女を見る。
「だれがこの子に余計なことを知らせたのかしら? クリスチーナ、あなたもです。いまは勉強に励みなさいと云っておいたはずですよ」
「ええ、アレクセイ殿下にお会いするための勉強にね! でもお母さま、わたくしは式典をお休みすると申し上げたはずです。ちょうどそのころ、体調不良になる予定ですの」
「なんておそれおおい……。臣下として、それが許されると思っているのですか」
「臣下として、見苦しい真似をさらしたくないと考えたまでのことですわ、お母さま」
「お黙りなさい。臣下としての道を語るなど、あなたには二十年早いですわ」
なんということでしょう。二人のご婦人は、キーラの存在を忘れたかのように、上品な口論に突入あそばされた。親子喧嘩は他人のいないところでしてくれないかなー。そう考えたキーラは、思考を遊ばせて、王宮の主へと想いを馳せた。
(王子さま。苦労するわねー……)
大体の筋道が見えてきた気がする。貴婦人は娘をアレクセイに会わせるために手を尽くしており、令嬢はかつて恋愛関係にあった魔道士を忘れられないからアレクセイに会いたくないと拒否している。いささか先走った想像ではあるが、おそらく間違いではない。
アレクセイにとっては、さまざまな国の使者への対応だけでも頭が痛いだろうに、このような国内貴族の対応までしなければならないのだ。ましてや、生まれながらの王族ではない彼には、いろいろと屈託があるのではないだろうか。なにかしてやりたい、と考えたものの、魔道士ギルド支部長としての仕事をしてくれ、と、先手を打たれている。
だがいまは、クリスチーナだ。息を吸って、キーラは声を出した。
「クリスチーナさま」
呼びかけると、令嬢は素直に「はい」と応じて振り返る。貴婦人が眉をひそめてキーラを見たが、キーラはそのあたりを受け流し、にっこりと令嬢に向かって微笑みかけた。
「お待たせしました。クリスチーナさまのご依頼を引き受けるために、わたくし、魔道士ギルドルークス支部長である、キーラ・エーリンがまかり越しました」
「ちょっと、あなた!」
「おそれいりますが、奥さま。今回、わたくしめは、クリスチーナさまのご依頼を受けて参りました。どうぞご理解いただけますよう、お願いいたします」
そう云って、キーラは頭を下げた。貴婦人がなにかを云い出すまで、頭を上げるつもりはない。でなければ、貴婦人を適当にあしらうことになる。大変、失礼な行為だ。
やがて、諦めたような吐息が響いた。「クリスチーナ」、低く呼びかける声が聞こえる。
「あなたがわたくしたちの云いつけを破って、別の依頼をしたことに対しては、のちほどお父さまも交えて話し合うことにいたしましょう。いまは自らの責任をまっとうなさい」
「……はい、お母さま」
そうしてドレスの裾をさばく音が響いて、貴婦人は応接間から出て行ったようである。
頭を下げているキーラにはその様子は見えなかったが、そっと肩に小さな手が触れた事実には気付いた。そっと顔をあげると、クリスチーナ令嬢が小首をかしげている。
「あの、座ってくださる? いま、紅茶を淹れ直させますから」
「ありがとうございます」
云いながら微笑み返すと、クリスチーナもほっとしたように笑った。
長い前置きだったが、どうにかこれで、依頼についての話が出来そうである。