あのひととは図書館で出会いましたの、と、クリスチーナは語り出した。
 淹れ直してもらった紅茶が気になったが、うつむきながら話す令嬢がもっと気がかりだったから、キーラはおとなしく静聴のかまえをとった。そうしながら改めて、クリスチーナを観察する。貴婦人に似て秀麗な顔立ちの少女だが、化粧っ気がない。服装もシンプルなものだし、いささか変わった令嬢だな、と感じた。元々の性格なのか、あるいは身なりを整える余裕がないからか。

「それというのも、あの、異世界人が考案したという図書館が気になったからですわ」
「とおっしゃいますと?」
「今度はなにをしたのかと。魔道士たちは陛下の名前を借りて、様々な改革を進めておりましたけど、どれもこれも奇をてらったものとしか思えなかったからですわ。少なくとも、お父さまとお母さまはそう申しておりました。ですからわたくし、興味がわいたのです」

 なかなかひねくれた興味である。

 だが、かつてキーラも訪れた図書館を思い出せば、クリスチーナが受けた衝撃を想像するのは難しくなかった。はたして、ようやく顔をあげたクリスチーナは瞳を輝かせている。

「実際に図書館を見るまで、わたくしも見世物を見に行く感覚でした。ですが、行ってよかったと心から思いましたの。ベルセーレの医学書やノアの政治学が一般公開されているとは思いもしませんでした。どちらも教育によくないと取り上げられた本ですもの」
「……クリスチーナさまは、勉学がお好きなのですね」
「大好きですわ!」

 きっぱりと答えた令嬢に、なるほど、とキーラはうなずいた。
 ベルセーレの医学書に、ノアの政治学。読んだことはないが、おおよその概要は知っている。どちらも一級の学者が書いた本だ。だが、内容が最先端過ぎて、貴族の令嬢が読むにはいささか難しいのでは、と思わされる本だ。でもその二冊の存在に感動できたということは、このクリスチーナという女性は、かなり高い教養の持ち主なのだろう。

「それから、わたくしは毎日、図書館に通うようになりましたの。お母さまにはお友達のところに行くと申し上げてね。そうして、図書館で働いてたあのひとに出逢ったのですわ」

 優しくて頭のいいひとでした、と、ふんわりと和んだ眼差しで語ってくれる。

「毎日訪れるわたくしに、面白い本をすすめてくださったり。図書館で行われる様々な催し物の予定を教えてくださったり。お礼にお菓子を持っていけば、子供のように喜んでくださったり。……それに、あのかただけでしたの、わたくしの夢を笑わなかったのは」
「夢?」

 どういうものかと訊ねれば、クリスチーナは恥ずかしそうに微笑む。

「わたくし、文官になりたかったのです」

 キーラは、ぱちくり、とまたたいた。珍しい令嬢だ。つくづくとそう感じながら、クリスチーナを見つめ直す。貴族の令嬢は、王の妃、あるいは重臣の妻となって、国を支えよ、という教育を受けるはずだ。なのに直接、国のために働きたい、とは珍しい。そう考えていると、クリスチーナは小首をかしげてキーラに問いかける。

「おかしいとお笑いになる?」
「いいえ? 人それぞれ、願うものは違って当たり前でしょう」

 さらりと云い放てば、クリスチーナは動きを止めて、ほろりと涙をこぼした。
 失言だったか。ぎょっと慌てて注目すると、控えていた侍女がハンカチを手渡す。クリスチーナは受け取って、涙を拭きとって笑った。ふふ、と、かすかに笑う。

「魔道士は同じ考えをなさるかたが多いのかしら。ええ、あのひともそうおっしゃいました。そうして励ましてくださったのですわ。いずれ、貴族の令嬢でも文官になれる、と」

 ――――わたくし、嬉しくて。

 そう云いながらクリスチーナはまぶたを伏せたが、話を聞いているキーラは、ひやっとさせられた。魔道士たちがどういうつもりだったのか。彼らの意思が改めて迫ってくる。

 クリスチーナにとっては夢を励まされる言葉だっただろうが、魔道士ギルドの関係者として云わせてもらえれば、いずれ貴族の令嬢でも文官になれるように仕組みを変えるつもりだったのなら、内政干渉を疑わざるを得ない言葉である。立派な規律違反だ。

(魔道士たちが殺されたという一面に目を向けてばかりで、すっかり忘れてたわね)

 マティアスが手を下さなかったら、あるいは、キーラが一時的に能力を失うことがなければ、魔道士たちはギルド長の命令を受けたキーラによって抹殺されていただろう。

 なぜなら、そうしなければ、世界中の魔道士ギルドが排斥されるかもしれないのだから。

(そのあたり、話していいものかしら)

 考え込んだキーラの前でクリスチーナ令嬢は、とうとうと語っている。

 そうして魔道士に心を許し、さらなる理想を聞き、共感を覚えたこと。彼らが描く未来を共に作り上げたいと願ったこと。そうして将来を約束したのだ、と聞かされれば、困惑はひどくなる。放置すべきだ、というレフの言葉が脳裏によぎった。ぶるぶると頭を振って、キーラは新たに閃いた、もうひとつの懸念について考える。ちらりと侍女を見た。

 クリスチーナの傍で、じっと気配すら殺して立っている侍女は、さきほど貴婦人に連れ添っていた侍女だ。貴婦人の云いつけを受けて、クリスチーナに従っている。クリスチーナに従っていた侍女は貴婦人が連れて行った事実をあわせて思い出せば、導かれる推論はただひとつだ。クリスチーナはまだ、両親の管理下にある。隠し事はできない状況だろう。

(それなのに、『母親に嘘をついて』図書館に通っていた? ありえない)

 言葉は悪いが、貴族の令嬢とは人脈を作るための駒だ。大切な駒をわざわざ放置しておくだろうか。それも、一介の魔道士と将来に関する約束を交わせる事態を許すものだろうか。もう一度、当時の状況を考えてみる。魔道士たちが国王の名のもとに、様々な改革を行っていたときだ。貴族と魔道士は対立していたが、魔道士が圧倒的に有利だった。

 ならば、と次の推測が生まれる。

 婚姻によって人脈を作ってきた貴族は、それまでと同じ方法で魔道士を取り込もうと考えたのではないだろうか。つまり、クリスチーナ令嬢の出会いも想いも、魔道士を取り込もうと考えた両親の思惑通りに進んだ出来事なのではないだろうか。

(そうして魔道士たちがいなくなった今度は、王子さまに会わせようとしている?)

 そのために、魔道士ギルドを利用して、アレクセイ王子へのつてを作ろうとしたのではないか。貴婦人がキーラに依頼しようとした内容は、まさにそういった内容ではないだろうか。この依頼はキーラを利用しようとしている。二人の魔道士たちは断言していた事実を、キーラは改めて思い出した。

 なんというか、と、キーラは複雑な感情を持て余しながら、心のなかで呟いた。

 みごとな変わり身と云うべきか、節操がないと云うべきか。あれこれ想うところはあるが、貴族ではないキーラが口出しするべき問題ではない。ただ、と、目の前の令嬢を見る。

 すべてを話し終えた令嬢は息すらひそめ、キーラの言葉を待っている。

 彼女なりに必死なのだ。知らない事実があったとしても、クリスチーナ自身が育てた想いを、キーラには否定できない。いずれ処罰を受けることになっていた魔道士だとしても、クリスチーナにとっては将来を誓った存在だった。大切な存在を唐突に奪われた少女に、不誠実な答えを返してはならない。偽りやごまかしも云うべきではない。だとしたらキーラに選べる答えはたったひとつである。

「魔道士たちを殺した犯人を、」

 ……正直に云えば、いま、自分が下した判断が正しいかどうか、自信がない。
 せめて事前に、アレクセイの了解を得るべきだろうか。なにしろ、ギルド支部長の仕事をしろ、と、牽制されたのだ。きっといい顔をしない。でも、ここはギルド支部長としてひとりの依頼者に応えたい。

「必ず見つけてきます。ですからクリスチーナさま、どうぞそのあとをお考えください」

 するとクリスチーナは不思議そうな顔をして「そのあと?」と小さくつぶやいた。

 やはりクリスチーナは、犯人を見つけたあとなど考えていなかったのだ。あいまいに微笑みながら、ちらりと侍女を見た。きっと貴婦人に、いまの会話すべてを報告するのだろう。すでに貴婦人の期待を砕いているが、さて、これで魔道士ギルドを利用しようとする企みを諦めてくれるだろうか。