(え?)
アレクセイの反応に、ちょっとキーラは戸惑った。
なぜ依頼を受けたのか、依頼を引き受けたことによって芽生える影響への対応策もきっちり話したと云うのになぜその反応。困惑していると、たしなめるように名前を呼ばれる。
なんとなくかしこまった口調に、キーラは反射的に姿勢を正した。
「なに?」
すると再び、アレクセイは息を吐く。なにも云わないでこれだ。わけがわからない。かすかに苛立ちを覚えながら、今度はキーラがアレクセイを呼んだ。「王子さま?」、その呼びかけがアレクセイのなにかを刺激したのか、表情を改めてアレクセイはキーラを見る。
「あなたには魔道士ギルド支部長としての仕事をお願いしました」
「ええ、その通りよ。だから仕事、してるでしょう?」
いまさらなにを云っているのか。そう訝しみながら云い返すと、アレクセイは首を振る。
「わたしがお願いした仕事とは、ハナビの準備です。貴族の令嬢の依頼を引き受けてほしいとは云っていません」
(はあ?)
いまさらなにを云い出しているのか。魔道士ギルドは、ルークス王家のために存在している組織ではない。だからアレクセイに、キーラの仕事を制限する権限はない。
(そもそも、魔道ギルドへの不信を拭い去る方針に賛同してたじゃないの)
もう一度、感じる。わけがわからない。あまり意識しないまま、キーラも眉間にしわを寄せて、つんつんした口調で云い返した。
「お言葉だけど、王子さま。魔道士ギルドは好感度アップのために、一般人の依頼を引き受けると決めたの。だからこれも、立派な支部長の仕事よ?」
「貴族の依頼が、ですか」
「貴族の依頼も。……なあに、そこにこだわってるの?」
一瞬だけ、苛立ちを忘れて、キーラが問いかけると、アレクセイは呆れたようだった。
軽く首を振って、キーラを見つめながら「本当にわかっているんですか」と続ける。
「魔道士ギルドへの不信感を抱いているのは、魔道士たちの功績を認めた一般人です。貴族たちはギルドへ不信感を抱いていない。だから、貴族の依頼を引き受ける必要はないでしょう。いったい、なにを考えて、あんな厄介な連中の依頼なんて引き受けたんです」
「あたかも、あたしがなにも考えてないような云い方するの、やめてよ!」
云われている内容は、たしかにその通りだった。貴族はギルドに不信感を抱いていない。クリスチーナの依頼内容が衝撃的だったから忘れていたが、たしかにその通りだった。依頼を引き受けないほうがいい。云われた言葉もよみがえって、言葉につまりそうになる。
だが、ここでつまってしまうわけにはいかない。
キーラが間抜けだった事実はどうしようもないからさておくとして、クリスチーナの依頼を引き受けた事実はさておくわけにはいかない。一度引き受けたのだ。誠実でありたいと感じるし、なにより、クリスチーナ令嬢が気にかかる。貴族であろうとも、彼女は突然に、大切な存在を失った少女。そして、両親から駒とみなされている人なのだ。なんとか、――――せめて前を向いて生きていけるように、応援したい。それがなぜいけない。
そう考えたけれど、キーラは結局、それらの言葉を口に出せなかった。
なぜならアレクセイが、キーラを見て、ぎこちないながらも、鋭く云い放ったのだ。
「ちがうのですか。あなたはただ、自分の痛みを彼女に投影しただけではないのですか」
「な、」
(――――え?)
今度こそ絶句して、キーラはまじまじとアレクセイを見た。 しまった、という表情を一瞬だけさらして、けれどアレクセイはすぐに、真摯な表情を浮かべて、キーラを見返した。アレクセイの、その、凛然とした様子に気づかされる。
(知ってる? あたしと、あの子のつながりを?)
だとしたら、どうして。呆然としながらも、口に出して問いかけていたらしい。つぶやきを聞きとめて、アレクセイは答えてほしくない問いかけに、しっかり答えてくれた。
「なんとなく、です。あなたはさほど意識してなかったようですが、ときどき、もしかしたら、とやけに想像させる、妙に意味深な物云いをしていましたからね。あなたはアリョーシャと知人だった。ちがいますか」
アレクセイがアリョーシャと呼ぶのは本物の王子、すなわち、あの子のことだ。
傍にユーリーがいる。アレクセイを偽者と知らないはずの、文官が。だからこれ以上この会話を続けてはならないと感じているのに、狼狽したキーラはつい、応えてしまうのだ。
「ちがわない、けど、」
「だからあなたは、わたしに協力すると決意した。過去の知人、いいえ、あなたにとってはいまだに大切な存在としてふるまっているから、協力することにしたのでしょう。たとえ偽物でもあなたにとっては」
「やめてよっ」
キーラは叫びながら、テーブルに茶器を乱暴に叩き置いた。
大丈夫、割れてない。頭の隅で確認しながら、目の前に座っているアレクセイを睨む。
なにを云い出そうとしたのだ、と、心のなかで強い憤りが渦巻いている。なにを暴こうとしたのだ、と、混乱している。キーラ自身ですら、最近になってようやく自覚した事実を、なぜ今、ここで暴こうとするのだ、とも疑問に感じている。だがそれらの言葉よりもずっと強く、脳裏を埋め尽くした言葉は、ここにはユーリーがいる、という言葉だった。
アレクセイが偽物だとは知らないはずのルークス王国人が、ここにいる。いまのやり取りでアレクセイが偽物だと気づかれたのではないか、と怖れながらユーリーをうかがえば、まったくの平静だ。おろおろとキーラとアレクセイを見比べているが、アレクセイの言葉を考えている様子はない。なぜ、と考えて、すぐに気付いた。真実を知っているからだ。
だから落ち着けばいいのに、キーラはなぜか、いっそう混乱した。
でもなぜか、芯だけはすっと冷めて、凍えた眼差しでアレクセイを見据えた。
「――――王子さま。らしくもない干渉は、支部長として断固拒否するわ」
「らしくもない?」
ぴりっと眉間を反応させて、アレクセイもなにかを云いかける。
だがキーラはさえぎった。不敬だろうとかまうものか、と乱暴な気持ちで云い捨てる。
「依頼を引き受けた理由は、先に申しあげた通りです。公正な判断を期待しておりますわ、アレクセイ殿下」
そうしてキーラは席を立ち、アレクセイの執務室を歩き去る。
呼び止める声はない。ますます感情的になりながら、キーラは自分を抑えてギルドに戻った。