「おーはよー!」
呼び鈴が鳴ったから駆けつければ、ギルドの入口で能天気に笑うスキターリェツがいた。
なんとなく八つ当たりしたくなったが、理不尽だという自覚があったから黙り込む。にやにや笑いながら近づいたスキターリェツは、キーラの顔をひょいとのぞきこんだ。
「あーあ。せっかくのかわいい顔が台無し。夜更かしはお肌の天敵なんだよ?」
「今日はそんなに夜更かししてない」
「いやいや。すくなくとも目の下にクマが出来る程度の夜更かしはしてるデショ」
「ほんのちょっとよ。多少の無理も高位魔道士ならしかたないの」
憮然と云い返しながら、とりあえずスキターリェツを研究室に導いた。
魔道士を引退するギルド長の後継として、新しい紫衣の魔道士になると決定しているスキターリェツだが、実はルークス王国以外の魔道士と面識がない。だから紹介しようとしたのだが、ほとんどの魔道士は研究に集中している。キーラたちが入室した事実は認識しているようだが、すぐに研究に戻るのだ。ぴく、とキーラはこめかみを反応させた。
昨日、魔道士たちの研究熱を調整するため、食事時間、休養時間、睡眠時間を考慮した時間割をそれぞれに割りあてた。いま、振り向かなかった魔道士に、その時間割を破っている顔がある。どうしてくれようか、と、考えていると、「あらあ」と女魔道士が声をあげた。キーラと同じ、紫色の肩掛けをしている銀髪に菫色の瞳をした女魔道士だ。
「あなたたちぃ、お部屋に戻ったほうがよいかと思いますわよぉ」
「は? いえ、ヘドヴィカさま。我々はまだ、……」
抗弁しかけた魔道士はようやくキーラに気づいたらしい。やべ、と、あからさまに表情に浮かべて、狼狽する。キーラはにっこり、微笑みかけた。
「熱心なことね、ありがとう。熱心なあなたたちにお願いがあるの、聞いてくださる?」
「は、いえ。あの、エーリン支部長っ?」
「あのですね、これはあのっ」
「たいしたことじゃないわ。ギルドに集まっている魔道士たち、全員の昼ご飯を調達しておいて。総人数は三十七名。お願いね?」
「まだぁ、朝ごはんが終わったばかりですわよぉ、キーラぁ?」
くすくす笑いながらヘドヴィカが割って入る。じろりと見つめれば、ほう、と物憂げに溜息をついて「まあ、命令をきかないかたには当然の罰かもしれませんわねぇ」と、あっさり魔道士を見捨てた。相変わらず、言動に統一性がない女である。「そんなっ」と衝撃を受けた魔道士に、なにを期待したんだか、とキーラは呆れた。
いくら儚げに見えても、いくら優しそうに見えても、紫衣の魔道士だ。外見通りの女であるわけがない。まあ、とにかくヘドヴィカやこの場にいる魔道士たちにスキターリェツを紹介しようと振り向けば、ぼうっとヘドヴィカに見惚れているスキターリェツがいた。あ、と考えているうちに、にっこりと極上の微笑みを浮かべたヘドヴィカが近づいた。
「ごきげんよう。どなたさまですのぉ?」
「スキターリェツと呼ばれています、うつくしいひと。でもあなたにはキョウと呼んでもらいたいですね」
そう云っているスキターリェツの手は、すでにヘドヴィカの手を取っている。ヘドヴィカに嫌がる様子はない。そうだろう、と、キーラは納得している。とろけるような極上の微笑みを見た同僚ならば、だれもが納得するというものだ。あれは狩人の微笑だ。
それにしても、スキターリェツ。おまえ、その態度の急変はどうなんだ、と考えながら半目で眺めていると、「あ、」と我に返った様子でスキターリェツはキーラを振り返った。あっけらかんとした様子で口を開いて、とんでもないことを片手間に伝える。
「云い忘れた。マティの探索、許可するってさ。王子さまからの伝言だよー」
「っ、はっ?」
「じゃ、これで。妹よ、お兄ちゃんはこれからうつくしいひととお茶をする」
「ちょ、だれが妹よ。じゃなくてそれってどういう、……う」
さすがに驚いて追求しようとしたが、すでにスキターリェツはヘドヴィカに向き直っている。さりげなく親密な距離を保って研究室を出て行こうとしている二人に、キーラは追い縋ろうとしたのだが、ぎらりと向けられたヘドヴィカの眼力に諦めた。こっそり、スキターリェツに気づかれないように向けられた殺人的な眼差しに、我が身大事と思わされた。
紫衣の魔道士、ヘドヴィカ。彼女は運命の人を探す、永遠の乙女。
「やーれやれ。ヘドヴィカのお嬢は、あの若造を次なるターゲットに定めたらしいな」
のし、と、ブラッドがキーラの肩に腕を回してのしかかってきた。重い。キーラは溜息をついて、近づいていた他の同僚たちを申し訳ない気分で見た。眉が下がっていたらしい。ぷ、と同僚たちは吹き出した。それぞれの表情を浮かべて、キーラを労わってくれる。
「なんて顔をしている。ああいう状態のヘドヴィカを止めようなんて無謀だよ」
穏やかに告げたのは、エルヴィーンだ。柔和な顔立ちが目立つが、ただ優しいだけの人物が紫衣でいられるはずがない。そもそも問題児ブラッドの親友なのだ。
「むしろアタシゃ、せいせいしたね。化粧くさい女が一人消えて一安心サア」
「ケケケ。あんたは自分よりきれいな女が気に喰わないだけーっ」
金髪に紫のメッシュを入れた女装の男、ドミニクが首を振りながら云い放てば、金髪に黒のメッシュを入れた男、カレルがからかうように云い放つ。ぴく、とドミニクが詠唱を唱えようとすれば、眼帯で左目をおおった男が、どしり、と、ドミニクの頭に手刀を落とした。
「騒ぐな。ここで暴れれば迷惑だ」
「ってクラウス! なんでアタシだけ叩くのよッ。カレルがむかつく発言するからっ」
「もう一発、ご所望か」
「イラナイワヨッ」
ぷい、と、ドミニクがそっぽを向く傍で、カレルがけらけら笑っている。どし、と今度はカレルにクラウスの手刀が入るさまを横目で見ながら、キーラは他の魔道士を見た。ちなみにこの五人だけが紫衣ではない。他の紫衣は休養を取っているからいないだけだ。
(ああ。……引いている)
今回、ルークス王国に召集された魔道士は、紫衣の魔道士だ。他の魔道士たちは紫衣を補佐するためにやってきた。だから普段から紫衣の魔道士を知っているはずなのだが、他国の紫衣を間近で見るのは初めてなのだろう。それぞれ困惑している。
(あたしが云うのも微妙だけど、……個性強いものね、紫衣の魔道士)
少なくとも、威厳とか貫録とかそういうものと縁がある紫衣は、ギルド長一人だけだ。それも今回、スキターリェツを紫衣にするために、引退する。としたら、まともな紫衣はいなくなるのか、と考えてかけて、慌てて自制した。ギルド長は狸だ。忘れてどうする。
(いやいやいや、待てあたし。まともな紫衣って、まだあたしがいるじゃないのよっ)
と、くい、とあごをすくい取られた。ブラッドが目を細めてのぞきこんでいる。
「なーにか、失礼なことを考えてやがるなおまえ。年長者への礼儀を教えてやろうか」
「はは。ブラッド、少なくともおまえには失礼にあたらないよ」
云いながらエルヴィーンはブラッドの手をつかんで引き離してくれた。あ、いた。まともそうな紫衣。と気づいたが、エルヴィーンはブラッドの親友である。きっぱり同類だ、などと考えていると、エルヴィーンが「ところで許可ってなんだい」と訊ねてきたものだから、そもそもの本題を思い出した。そうだ、ここには別の用事で来たのだ。
しかしスキターリェツの紹介をしようと思ったのに、本人は軽やかにいなくなった。おまけに、アレクセイの伝言だ。マティアス探索を許可するという伝言に、もやもやが芽生える。
(なんなのよ)
結局、許可してくれるなら、最初から気分よく許可してくれればよかったではないか。
どうして、キーラが。昨日、さんざんに云われたい放題に云われたキーラが、こんな奇妙な後味の悪さを抱かなければならないのだ。
ともあれ簡潔に事情を話す。聞き終えたブラッドとエルヴィーンは奇妙な表情で顔を見合わせ、あいまいに笑い合った。微妙な空気を感じ取って、眉を寄せる。なんだ、これ。キーラに向き直って、ブラッドが口を開いた。
「あー。その、だ。アレクセイ殿下に礼を云いにいったらどうだ?」
「どうして」
「わたしも同意見だ。そうしたほうがいいよ、キーラ。なぜならね、殿下はきみを心配されたんだと思うから」
(心配?)
思いがけない言葉を聞いた。ぱちぱちとまたたくと、二人の同僚は丁寧に指摘した。
マティアスと云う魔道士は、たしかに紫衣ではないのだろうが剣も扱える相手なのだから、キーラ一人で相対することになったら命に係わる。それを危惧したのではないか、と。
可能性はある。だが、云いかたと云うものがあるのではないか。そう考えるキーラはやはり納得できない。そもそも、ならばどうして許可してくれたのだ。
「結局、許可したってことは、おまえなんざどうなっても知るもんかってことじゃないの?」
「なぜそうもひねくれるんだい。ちがうだろう、強情なきみに譲ってくださったんだよ」
「やだねえ。男心がわからん処女は。これが俺の上司になるんかよ」
ぴんと頭を小突かれ、超失礼な言葉を云ってきたブラッドを蹴飛ばしながら、キーラは「でも」とエルヴィーンを見あげた。納得できない。するとエルヴィーンはぽんと肩に手を置いて「行っておいで」と告げた。穏やかだから逆らえない響きに、しぶしぶうなずく。
まあ、よくわからないけど、二人の同僚がそこまで云うのなら、という気持ちだ。
さらに『灰虎』たちを訪ねて、マティアスに関する情報を集めてもいいな、と考えながら、キーラは王宮に向かった。他の魔道士に研究を委ねることに後ろ髪を引かれながら。