すっかり通い慣れた王宮は、実は今朝も訪れた場所である。
 形ばかりは幽閉となっているルークス現王を診察したのだ。低下した免疫力を補うには、とにかく栄養価の高いものを食べて、適度な運動をして、ゆっくり眠ること。いまのところ効果があるようで、キーラは安心している。今朝は、現王の散歩にも付き合ったのだ。

「まあ、いやですわアレクセイさま」
「いえ。冗談ではありませんよ」

 その、現王が散歩した庭を訪れたキーラは、目の前の光景に言葉を失った。

 紺色の髪をさらさらと風に流した麗しい姫君と、輝かしい金髪に陽光をはじかせた美貌の王子さまとが連れ立って、美しく整えられた庭を歩いている。もちろん二人きりではない。侍女や侍従が傍に控えているが、二人の間に流れる親密そうな空気に驚いたのだ。

(あ、でもパストゥスに滞在してたんだから、顔見知り以上ではあるのよね)

 アレクセイが案内している姫は、パストゥスの第二王女、ロズリーヌである。母王の代理として、姉マリアンヌと共に、ルークス王国を訪れたと聞いている。だからロズリーヌ王女がルークス王宮に居ても不思議はないのだが、なぜだろう。目の前の光景を眺めていると、だんだんと苛立ちが増してくる。謝ろうと云う気持ちは霞となって消えた。

「でん」
「ユーリー、いいわ」

 ここまでキーラを案内してくれた文官ユーリーが、アレクセイを呼びかけようとする。だがキーラはさえぎった。片方は偽物とはいえ、王族たちの憩いを邪魔するのは御免である。だいいち、まわりの侍女たちがうっとり二人を見入っている事実に気づけば、さらに気が引ける。なんだかヤバい、なんだかヤバい。本能が、さかんに警鐘を鳴らしている。

「ですが、キーラさま」
「ささいなことだし。お礼はあなたが伝えておいてね」

 ちゃっかりと云い残して、踵を返した。アレクセイたちに気づかれないように動いていたから、庭から王宮内に入ったとき、ほっと息を吐いた。やれやれ、と肩をくるくる回す。

(しかし、なにしに来たんだか)

 自分自身の行動にしっくりいかないものを感じながら、『灰虎』が滞在している区画に足を延ばす。すると、いつもよりにぎやかな雰囲気に気づいた。なんだろと考えながらのぞきこむと、傭兵たちが集まっているさまが見えた。鍛錬ではない。中央で騒いでいる人物がいる。紺色の髪にどきりとして、すぐに気付いた。パストゥス第一王女マリアンヌだ。

「だからっ、どうしてわたしの訓練に付き合えない!」
(ははあ、なるほど)

 期せずして聞こえてきた、マリアンヌ王女の叫び声に、事情が分かってしまった。マリアンヌ王女は剣士として名をはせることを望んでいるという。だから最強傭兵集団『灰虎』に鍛えられることを望んだのだろう。お疲れ様なことである、主にまわりの人間が。

 それでも事実を確認しようと事情通を探していると、困りきったアーヴィングがキーラに気づいたようだ。「おっ、嬢ちゃん!」、助かったと云わんばかりに呼びかけられ、逆にキーラはたじろいだ。なにせマリアンヌ王女のまっすぐな視線が、キーラに向かったのだ。

「キーラ・エーリン。おまえか」
「おひさしぶりです、マリアンヌさま」

 しかたないから丁重に一礼すると、それまでの不満を忘れたかのように、マリアンヌ王女は晴れやかに笑った。ずかずかと歩み寄ってきて、ぽんと肩に手を置いてきた。

「そうだな。おまえでもいい」
「は?」
「バシュラールを懲らしめた手つきはあざやかなものだった。そこそこ強いのだろう。わたしの訓練に付き合え」

 なにを云い出すのか、である。  そもそもキーラは剣士ではない。魔道士だ。相手になったところで、マリアンヌの技術が上がるとは思えない。そう反論しようとすると、「それとも自信がないのか?」とあからさまに挑発してくる。どうしたものかな、と、考えた。キーラを挑発しながら、ちらりと『灰虎』に視線を向けた仕草で気付いた。本当に挑発されているのは『灰虎』だ。傭兵たちがキーラを助けようと口出ししようものなら、乗じて要求を呑みこませるつもりだ。

(まったく、王族ってやつは妙なところで頭が回るんだから)

 心のなかで呆れながら、にっこりとキーラは微笑んだ。

「かしこまりました、マリアンヌさま。お相手します」

 すると傭兵たちはどよっとざわめいた。マリアンヌは驚いたようだが、にやり、と笑い返してきた。「上等だ」、云いながら、チーグルを振り返り、「場所を用意しろ」と告げる。

 温厚な老人は困ったようにキーラを見ていたが、片目をつぶったキーラに、やれやれと云いたげに首をふった。傍にいたヘルムートが軽く会釈する。傭兵たちがマリアンヌの相手をするより、キーラが相手をしたほうが問題は少ない。だからこその、礼だろう。

 開かれた場所に移動する前、キリルとセルゲイが隣に並んだ。小さな声でささやく。

「いいんですか、キーラ。用事があってここに来たんじゃないですか」
「アレクセイから聞いている。めあてはマティアスの情報だろう」
「あら、情報通ね、お二人さん」

 軽やかに応えて、「いいのよ」と答えながら、先を歩くマリアンヌを見つめる。

「ちょうど身体を動かしたい気持ちだったの。それに、王女さま。だれかが相手しないと落ち着きそうにないでしょ?」

 それに、正直に云えば、マリアンヌ王女にくぎを刺したい気持ちもあった。

 ただ、その気持ちはきれいに隠して、辿り着いた場所でキーラはマリアンヌと向かい合った。すらりと稽古用の剣を抜き放つマリアンヌに対し、キーラは大気中の水分を集めて、小刀を作った。マリアンヌは意外そうに目をみはった。相手は長剣だが、だからといって、使い慣れない武器を無理して用意しない。アーヴィングが審判役として、二人の間に立つ。

「では、両者ともかまえて。――――開始!」

 呼びかけに応じて、マリアンヌが動いた。想像以上に、速い動きだった。

 キーラはとっさに身をかがめて、そのままくるんと前方に飛んだ。振り返り、構え直すマリアンヌの動きは意外に早い。腰を落としたキーラと、マリアンヌが向かい合う。

 今度動いたのは、キーラだ。ただし、小刀は使わない。

 顔の前でぴんと指を立てて注意を引く。マリアンヌの顔がいぶかしそうな表情を浮かべたところで、集めておいた力に風の形を与えてマリアンヌに吹きつけた。

「う、わっ」

 こまかな砂やまとめられていた木の葉が、マリアンヌを取り巻く。庭師のみなさん、せっかく集めた木の葉を使っちゃってごめんなさい。心の底で詫びながら、マリアンヌに駆け寄る。だが、マリアンヌも簡単に攻撃させない。やや雑な動きではあるものの、剣を振り回して牽制してきた。そうしながら、薄目を開けて、大声で叫ぶ。

「卑怯だぞ、キーラ・エーリン!」
「お言葉ですが、マリアンヌさま。あたしは魔道士です。ですからただ、魔道士らしく戦っているだけですよ」

 まあ、とりあえずそう反論したが、キーラが卑怯なのは事実である。

 なにせしようと思えば、もっと簡単に決着をつけることもできる。大気中の水分をさらに集めて、マリアンヌを包めばいいのだ。四大要素すべてを扱えるからこそ紫衣だという事実をマリアンヌ王女はもっと考えるべきだった。ただ、口に出しては云わない。

 代わりに風を収めた。一見したところ、マリアンヌの言葉に応じてひっこめたように見えるだろう。だが、ちがう。キーラは小刀の形を変形させて、弓矢に変えた。

「なっ」

 そうして次々と水の矢を放つ。態勢を整えたマリアンヌはもちろん次々と水の矢を切って捨てた。だんだんと水の弓は小さくなり、そうして消えた。完全に、空手になる。

 だから勝機だと考えたらしい。マリアンヌはすばやく動いて、切りかかってきた。「キーラ!」、だれかの声が聞こえた。だが、速い動きでも、冷静に動きを見極めれば怖くない。

 マリアンヌはさすがに、懐に入りこませるほど甘くはない。王女の剣技と云っても、基本はしっかり鍛えられているのだ。だから、首筋を狙った太刀筋にあえてつっこんでいけば、びく、と、動揺したように剣が震える。いまだ・・・。集めた力をこぶしにまとわせ、柄にこぶしを打ち付ける。強化されたこぶしは、キーラ自身の握力よりずっと重い。

 からーん、と、マリアンヌの剣が、弾き飛ばされる。驚いたようなマリアンヌは硬直している。キーラはこぶしをといて、パン、と軽く、痛くないようにマリアンヌの頬をはたいた。みるみるうちに、マリアンヌの頬が赤くなったものだから、にっこりと笑い返した。

「あたしの勝ちですね?」
「っ。卑怯だぞ、キーラ・エーリン」

 もう一度、今度はうめくようにマリアンヌは告げたが、悪あがきはしなかった。諦めたように溜息をついて、降参と云わんばかりに両手を掲げる。アーヴィングが、楽しそうに「勝者、キーラ・エーリン」と告げる声を聞きながら、マリアンヌに手を差し出して立たせる。素直に手を預けてきたマリアンヌに、キーラはそうしてささやいた。

「お言葉ですがマリアンヌさま。断れない勝負を持ちかけるほうがご卑怯では?」

 動揺した王女を見て、抑えきれずに微笑んだ。立会前に、これだから王族は、などと考えたが、マリアンヌの気性はまっすぐだと知っている。だから今回の流れになったのだ。

「『灰虎』は最強の傭兵集団です。ですから、訓練も相当に厳しい。おそれながら、あたし程度を傷つけることにためらいを覚えるようでは、マリアンヌさまはたちまち怪我人です」
「怪我を負うくらいなんだ。剣士としてそのくらい、わたしは恐れぬ」
「そうして『灰虎』にパストゥス王女を傷つけた責を負わせるおつもりですか」

 容赦なく云い返せば、マリアンヌは沈黙する。表情からわかった。たとえそうなっても、責を負わせるつもりはないのだ。だが本人はそのつもりでも、まわりが納得するはずがない。王族は傷つけられてはならない。それがつまり、一国の権威を守ることでもある。

「では、わたしは王族である限り、最高の剣士になれないのか?」

 いっときは盛り上がった『灰虎』も、キーラとマリアンヌの雰囲気に気づいたのだろう。しんと息をひそめて、向かい合う二人の少女を見守っている。まっすぐなマリアンヌの問いかけに、キーラは誤魔化すことを考えたが、結局は、思うがままにうなずいた。

「少なくとも、いまのままでは。訓練を重ねても難しいかと存じます」
「……そうか」

 さすがに落胆した様子だったが、そこは一国の王女と云うべきなのだろう。
 凛然とした様子を取り戻し、マリアンヌはまっすぐに「ありがとう」と伝えてきた。そうして右手を差し出してきたから、キーラは素直にその手をつかんだ、その次の瞬間だ。

 くるりとキーラは、空を舞っていた。

 投げ飛ばされたのだ、とは、地面に叩きつけられたあと。とっさに受け身を取ったから痛みはないが、衝撃はある。あらまあ。おどけたつぶやきを漏らして空を見あげると、悪戯っぽい表情でマリアンヌがのぞきこんできた。静まっていた傭兵たちの笑い声も遅れて聞こえてくる。

「だが、こうして隙を狙えば望みはあるだろう?」

 カラッと微笑みかけられ、キーラは苦笑した。たしかに、油断大敵ではあった。