資格は活用してこそ (14)

    「マティアスはいま、サルワーティオーの、この宿屋にいる」

     これから妹姫に合流するというマリアンヌ王女の誘いを断って、キーラは傭兵たちにマティアスの情報を求めた。するとアーヴィングの指示でサルワーティオーの地図が運び込まれ、一か所を示される。魔道士ギルドと近い距離にある宿屋だ。通勤途中にその宿屋の看板を見た記憶もある。マティアスの思惑を考えながら、キーラは口を開いた。

    「場所がわかっているのに、捕縛しない理由は王子さまの命令?」
    「ウムブラ王太子がマティアスを放り出すという確信がまだ持てないからな。たしかに魔道士殺害の主犯だとは名乗り出ないだろうが、マティアスだって、ウムブラから切り捨てられないために保身の材料を持っているだろう、とアレクセイは云っていた。厄介だろ?」
    「あるいはウムブラがマティアスの口封じに動く可能性があるということね。でも彼は、」
    「ああ。その魔道士は特異体質だそうだな? 捕えても持て余すだけだから、とりあえず見張っておいてほしい、さらにウムブラ側の人間にも気づかれないように、とのことだ」

     アーヴィングとヘルムートが交互に教えてくれた事情に、なるほど、とうなずいた。

     さて、どうしよう、と考える。マティアスをクリスチーナ嬢の前に連れて行きたい気持ちはあるのだが、状況を聞けば、うかつな行動はできないと思い知る。なにせ、マティアスは意味深な伝言をキーラに託した男だ。捕まえて詳細を聞きたいだろうに、アレクセイは見張りを置くにとどめている。つまりまだ、厄介な状況に変化はないということだ。

     ――――たしかにいまは、ウムブラ王太子の追及を、情報操作によって封じている。だがウムブラ王太子があえて汚名を着て、自国の益を徹底追求すると心変わりをしたら、いっきに面倒な事態になるのだ。そのときマティアスはウムブラにとって有効な駒になる。

    (本当に、厄介よね)

     ただ、今回、アレクセイが下した指示の内容で、わかった。アレクセイ自身、ウムブラ王太子をつかみ切れていないのだ。だから慎重になっている。厄介ね、と、もう一度ぼやいていると、壁に寄りかかりながらヘルムートがつぶやくように告げた。

    「正直に云えば、ミハイルにはこの状況はつらいだろう」

     ヘルムートにしては意外なほど、心配そうな響きが前面に出ている。アーヴィングやチーグル、セルゲイらはむっつりと黙り込んでいる。キリルがおずおずと云った。

    「どうしてですか? ミハイルさんは、その、頭の良いかたですし大丈夫なんじゃ」
    「ああ。キリルはアレクセイに化ける前のミハイルを知らないからな」

     意味深にアーヴィングが告げたものだから、キーラも注意を引かれた。アレクセイに化ける前のミハイル、それはキーラとて知らない。するとミハイルと長い付き合いになるセルゲイが溜息混じりに、アーヴィングから説明を引き取った。

    「あいつは謀略には向かない。なぜなら自分の力で窮地を切り抜けられる自負があり、事実、切り抜けてきた自尊心がある。力が及ばなければ死ねばいいと考えている。そういう人間は、謀略を巡らす思考が理解できない。向いていたのはむしろ、アリョーシャだ。なにせ、実の叔父に追い落とされた王子さまだからな。状況の裏を探る能力に長けていた」
    「王子さまが、ウムブラ王太子の真意に気づかない可能性があるってこと?」

     そんなバカな、という含みを持たせて口をはさめば、傭兵たちはそろって苦笑する。思いがけない反応にたじろげば、セルゲイは溜息交じりに「キーラ」と呼びかけてきた。

    「おまえはあいつを誤解している。あいつはどうでもいいことに頭が回るし、肝心なところでは及び腰になる男で、さらに付け加えるなら基本的にあまり深く考えない人間なんだ」

     散々な云いようである。
     これが幼馴染の遠慮のなさなのかしらねーと感心していると、さらにセルゲイは続けた。

    「だから、おまえにはあいつを支えてやってほしい」
    「……出来る限りはそのつもりだけど、いまの話を聞いたら難しいように感じるわ」

     アレクセイ本人に「出来ることをする」と伝えた過去を思い出した。その気持ちはいまもくっきり胸にある。多少、余計なところに口出ししてこようとも、言葉を違えるつもりはない。少しばかり殴りたくなっても、一度、口にした約束は守る。そのつもりだとも。

     ただ、アレクセイ、――――いや、ミハイルか。彼の欠点を補う意味では支えきれないように感じる。なぜならキーラも謀略向きではない。そういう意味なら、謀略慣れしている人物がいいのではないだろうか。たとえば王族――――パストゥスの第二王女、とか。

    (いやーだ、あたしってば。そこでロズリーヌ王女を思い出さなくてもいいのに)

     先ほど目の当たりにした光景が、思ったよりキーラのなかで響いているようだ。頭をぶるんと振って、思考を切り換えた。なにか云いたげなセルゲイには笑い返しておく。いわゆる誤魔化し笑いというやつだ。キーラの意思を感じ取ったらしいセルゲイは短く息をついて、だがしかたなさそうに笑った。素直に好ましいと感じる笑顔に、ふと思い出す。

    (そういえば、マーネにいたころはセルゲイ、苦手だったのよね)

     頑な態度でアレクセイを重んじるところが苦手だった。だがいまはそうでもない。

     思い返せば、思いがけない変化を迎えたものだ。魔道能力を失って、また得て。長く大切にしていた夢を永遠に失って、魔道ギルドのルークス支部長になっている。その変化に想いを馳せれば、そうして目の前の傭兵たちが即位の式典を機に、仲間であるアレクセイを一人残して離れるのだと気づけば、自然に口が動いて、もうひとつ、約束を口にさせた。

    「でも少なくとも、王子さまの味方であり続けるようにするわ。処刑台までも付き合おうと思っていたけど、いまの言葉でわかった。それじゃだめなのね。逃げ道を用意させちゃ、いけない。なにがなんでも、アレクセイでい続けさせる。死なせない。そう約束するわ」

     アレクセイが自分の力が及ばない事態、自分の死すら想定して受け入れているからこそ、醜悪なまでに謀略を張り巡らせて、自分の益を追求しようという思考が理解できないと云うなら、解決方法はひとつだ。キーラがその手本になればいい。

     いっそ醜悪に、どこまでも貪欲に、自分の益を追求する存在になればいい。

     そうしてアレクセイに求めればいいのだ。アレクセイの味方でいる。でも処刑台への同行はいやだから、しっかり謀略に対しても備えてくれ、と。

     にっこりと笑顔でそう云い放てば、セルゲイをはじめとする傭兵たちは面食らったようだが、やがてチーグルが「ひょっひょ」と笑い始めれば、他の傭兵たちも笑い始めた。ヘルムートだけはちらりと微笑を閃かせただけだが、いつもより気安い調子で云った。

    「どうしようもない窮地には、『灰虎』を雇ってくれ。働きに応じた価格で雇われてやる」
    「知り合い特価を働かせてほしいところだわね、そこは」

     数日前の依頼で支払った現金を思い出して顔をしかめると、ヘルムートは静かに笑った。

    「あいにくだが、我々は安売りをしない。でなければ、最強の名が落ちるからな」

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