んー、と、身体を伸ばしたあと、キーラはかくかくと首を動かした。こり、こり、と身体が鳴るものだから、なんだか物悲しくなった。乙女としてどうだろう、この現状。

 だがおかげさまというべきか。研究成果は確実に現れていて、暗闇にハナビを打ち上げる方法は確立できた。あとは研究室内で実験を繰り返すだけ。式典に間に合うかどうか、危ういところだったが、さすがは魔道オタクたちだ、と感心している。これなら明日、王宮との最終打ち合わせに自信満々で応じられる。まあ、式典後に気力魔道能力を使い果たして屍が累々というありさまになりそうではあるが、些末だと考えることにしよう。

(とりあえず朝の診察に行くか)

 ちなみに昨日は、魔道ギルドに泊まったものだから、いつもより遅い時間でも大丈夫なのだ。ばさばさの髪を梳いて、顔を洗って、ぼんやりとギルドを出て歩く。途中、屋台から美味しそうな匂いが漂ってきたが、いかんいかんと自制した。いまは仕事優先だ。

「ずいぶん眠そうだな」

 そうして王宮に着いたあと、ルークス現王の容体を魔道能力で探索していると、面白がるような顔つきで声をかけられた。まずは診察を終えてから、と考えたキーラは、作業を終えて苦笑を浮かべた。正直なところ、乙女としてあまり指摘されたくない事実である。

「ギルドの研究にいそしんでおりましたので。そんなにバレバレですか」
「ああ。瞳がとろんとしている。王宮で休んでいってもよいのだぞ?」

 せっかくのありがたい申し出ではあるが、キーラは笑って遠慮しておいた。

 心配してくれるのはありがたいが、王宮で休むつもりはない。侍女たちの手をわずらわせるのは申し訳ないし、いま休んだら王宮から動けなくなってしまう。これからまた、魔道ギルドに戻って支部長の仕事をしなければならないのだ、それは困る。だが一度断っても、キーラをまだ案じているような、ルークス現王の様子に、さらなる苦笑がこぼれた。

「大丈夫ですよ。これでも魔道士です。ちゃんと帰って休みますからご安心を」

 云っても無駄だと感じ取ったのか、王も苦笑して、横になった。昨日は散歩に出かける体力があったのに、と、キーラはちょっと切なくなった。王の容体は一進一退だ。

(もう少し、なにか手を打つべきかしら)

 いまのところ、規則正しい生活と滋養強壮に効く薬湯とで免疫力を戻そうとしているが、と考え込んでいると、王は瞳を閉じたまま、「キーラ・エーリン」と呼びかける。

「わたしの容体についてそなたが考え込む必要はない。簒奪者として処刑されることを思えば、たいしたことではないのだ。さしあたってはアレクセイの式典に出席できればよい」

 つるっとごく自然に出た発言だろうが、毎朝、診察を重ねている身には複雑である。

「ずいぶんなおっしゃりようですね。あたしの努力を無にするおつもりですか」
「そうではない。ただ、引き際を弁えておるだけよ」
「おそれながら、ご自身だけが納得する引き際というものは、はた迷惑ではないかと」
「まったくですね」

 キーラが辛辣に云ってのければ、同意する声が聞こえた。驚いて振り返れば、いつの間にやってきたのか、侍従を従えたアレクセイが立っている。ちらりとキーラを見て眉間にしわを寄せたが、とりあえずルークス現王に視線を向けた。なぜか苛立っているようだ。

「叔父上。わたしに重責を押し付けておしまいにしようとはずいぶんですよ」
「アレクセイ、控えよ。だれが入室を許したか」
「失礼。急の用事でございましたので押し入りました。おとがめはわたしに」
「ではそうしよう。それで、急の用事とは?」

 アレクセイに応じながら王は手を差し伸べてきたものだから、キーラは起き上がろうとする王を支え、背中の下に枕とクッションを重ねた。そうしてようやく自分に向き直った王を、アレクセイは鋭くにらむ。

「叔父上。わたしに伴侶を、勝手にあてがおうとするのはやめていただけませんか」

 その言葉を聞いた瞬間、キーラは息を呑みこんだ。

(伴侶? って、奥さん、よね。王子さまに。王さまがあてがう?? えええっ)

 激しく驚きながら、キーラはそっと立ち上がる。

 なんだかこれ以上、ここにいたらやばそうだ。聞いてはならない話を聞く羽目になりそうである。だからこそこそと動いて退室しようとすると、「キーラ」と剣呑な声でアレクセイが呼びかけてきたから、「はいっ」と反射的に応えた。なんかこわい。なんだかこわい。

「すぐ済ませますから、そこにいてください。あなたには云いたいこともありますし」
「え、えええと?」

 なんだかわけのわからないことをおっしゃっている。

(おかしいよね? おかしいでしょ、なんであたしをこの場に留めるのっ)

 思わず助けを求めて王を見れば、事態を面白がっている表情で、キーラとアレクセイを見比べている。だめだー。表情を見て悟った。王はキーラを助けてくれそうにない。

 どうしてだ、王族の結婚話なんて最高機密だろう、部外者に漏らしていいものじゃないだろう、と葛藤しながら、それでもあきらめ悪く、そろりそろりと出口に向かう。だが、はっしとアレクセイに腕をつかまれた。後ろ手につかんだようである。なんでだ。

(なんでそこまで、あたしをこの場に留めようとするのよおおっ)

 この、手を放せ、と両手で外そうともがいても、さすがは元傭兵、しぶとい腕力である。

「……立場が不安定なそなたを思いやって、のつもりだったが?」

 やがて含み笑いをしながら王が云えば、静かに溜息をついたアレクセイが応える。

「はっきり云って、今さらでしょう。それに血筋で云うならわたしの替えは存在している。最終的にそちらから養子をもらうなり手を打ちますよ。余計な気は回さないでください」
「対外的に、王妃は必要だぞ? わかっておるのか」
「少なくとも、叔父上が企まれるまま、国外から迎えようとは思いません。これから改革しようと云うときに、国外から想定外の干渉をされては困りますからね。それより、わたしの要求はご理解いただけますか」
「惜しいな。もう少し素直な答えなら聞いてやってもよかったが」
「これ以上素直な答えなんてありませんよ。では、失礼します」

 乱雑に云い終えるなり、アレクセイは動き出した。いつも通りに丁寧な一礼をして、キーラの腕をつかんだまま、部屋を出て行こうとする。寸前、楽しげな笑い声が聞こえた。アレクセイにも聞こえたのだろう、「ち」と忌々しそうに舌打ちする様子を、もはやあきらめの境地でおとなしくなったキーラが、意外に感じながら見上げた。

「どうしたの王子さま。ずいぶん素が出ているようだけど」
「……わたしの立場なら、素が出るくらい苛立つのは当然だと思いませんか」

 まあねえ、と、なんとなくあさっての方向を眺めながら、適当に応えた。
 詳細は不明だが、勝手に伴侶を決められたら、それはたしかに、腹が立つものだろう。

 だが、こう云ってはなんだが、王族の結婚とは庶民とは違って、国情によって決められるものである。本人の意思が入り込む余地など皆無だろう。だからミハイルも、アレクセイとして生きていく以上、そうした婚姻を受け入れるつもりだと考えていたのだが。

 そのあたりをぼそぼそと云い返せば、脱力したようにアレクセイは肩を落とした。

「よく考えてください。わたしには簡単に口外できない事情があるでしょう」
「ええと、」

 きょろきょろ、とまわりを見まわして、侍従以外だれもいない事実を確認する。
 この侍従は事情を知っているんだろうか。とっさに判断ができないから、かかとを上げて、アレクセイの耳にささやきかけた。――――あなたが偽物だってことよね?

「ええ」

 どこかくすぐったげに苦笑し、アレクセイはキーラの動きに合わせて屈めた背を戻した。
 キーラの腕をそっと放し、歩き出しながらアレクセイは憂いた横顔を見せる。

「王族の姫と云うものは、国と国とをつなぐ役割を持って嫁ぐ生き物です。だからこそ、故郷とのつながりを断ち切ることはしない。嫁いだとしても故郷に益をもたらすことを忘れたりはしないんです。そんな生き物がわたしの事情を知って、それでもなお、わたしを支え、この国の王妃としてふるまうことができると思いますか」

 出来ないでしょうね、という答えを、期待されているとわかっていた。

 でもこのときのキーラには、その言葉は云えなかった。なぜなら口では否定的な言葉をつむぎながら、このときのアレクセイが見せた憂い顔が目に焼き付いたからだ。

 なにを憂いているの。なにもかもすっ飛ばして、そう訊ねたくなった。

(ねえ、もしかしたら王子さまには、)

 脳裏にあざやかによみがえった光景は、親しそうなお姫さまと王子さまの様子だ。

(もしかしたら、王子さまにはすでに、伴侶に迎えたい存在がいるんじゃない?)

 そう考えたキーラが沈黙を返せば、アレクセイは不思議そうに振り返る。

「キーラ?」
「あ、――――と、ごめん。ちょっと疲れているから、帰るわ」

 しどろもどろに云い返せば、「ああ」とアレクセイが思い当ったように微笑む。

「そうですね。あなたは少し、休んだほうがいい。顔色、悪いですよ」

 云いながら、指先でキーラの頬に触れる。思いやりに満ちた手つきに、ちょっとぎくりとした。やさしく、やわらかく。大切そうに触れる手つきに、落ち着かない気持ちになる。

 でも温かな感触が気持ちよくも感じられて、ほっと息を吐き出しながら目を伏せた。するとアレクセイの指が止まり、ぎこちない間を置いて、はなれていく。

「――――やっぱり無理をしていますね。休みはちゃんと取ってください。そう云いたかったのですよ、わたしは」

 まぶたを持ち上げて、キーラはにっこりとアレクセイに笑い返した。

「ご心配なく。この後はお休みが待ち受けている予定です」
「本当に?」
「正確には支部長の仕事を終えた後にね。大丈夫よ、王子さま。無茶はしてません」

 キーラは、ぴ、と敬礼しながら応えた。アレクセイは、さらに言葉を重ねようとしたのだろうが、キーラはさえぎって、強引に王子の背中を押した。さっきから別の侍従が報告したそうに待ちかまえていたのだ。しかたなさそうに息を吐いて、侍従に向き直るアレクセイを見届けてから、キーラは歩き出す。

 だが、数歩進んで、そっと振り返った。

 アレクセイはもうキーラを見ていない。仕事をする王子の横顔で、侍従と話している。

 温かな指の名残を探すように頬を撫でて、キーラはちょっと笑ってから歩き出した。