権利を主張できる資格は、とうにない。 (5)

    (ロズリーヌ王女、ありがとうございます)

     心の底から、しみじみと頭が下がる。メグを連れていくために、どういう言葉で説得しようかと躊躇した次の瞬間、怒濤の論理展開でマリアンヌ王女を説得してくれたのだ。柔らかな物腰の王女さまだと甘く見ていたが、なかなか鋭い舌鋒の持ち主でいらっしゃる。

     わたくしにはおねえさまを抑える義務がある、とたしかに云っていたが、半分以上、口実だとしか考えていませんでしたすみません、と、心のなかで謝りながら、キーラは窓の外を見る。

     相変わらず暗闇におおわれた王都に、あざやかにハナビが咲き誇っている。

     とはいえ、ハナビの演出が始まってそれなりに時間が過ぎている。ロズリーヌ王女がにっこり迫力笑顔で姉王女の云い分を論破している途中、天空要塞がたしかに動きを止めているという報告も来た。

     けれど暗闇の魔道が効果を発揮していようとも、いくら珍しい魔道で民の動揺を抑えていようとも、いつまでも続けられるものではない。パストゥスの宝玉たちによる舌戦が終了したあと、いささか急いた口調でアレクセイが口を開く。

    「あともう少しで、ハナビの演出を終えていただきます。それからわたしの式典を続けますが、魔道士ギルド、ルークス支部長に、ルークス次期王として要請いたします。式典のあいだに、精霊王を消滅させ、天空要塞を移動させてください」

     あっさりと、ギルド長に続く、無茶振りがやってきた。とっさにキーラが返す言葉を失えば、「ほう」とフレデリックが意味深につぶやく。

     思わずウムブラ王太子がなにかを云い出すのではと身構えたが、予想外になにも云わない。他の人間たちもだ。みな、引き締まった表情で、キーラの言葉を待っている。

     なぜならこれは、国家による、魔道士ギルドへの正式な要請だからだ。

     これまでの魔道士ギルドは、個人の依頼は受けてきたが、国からの依頼を受けたことはない。かろうじて『灰虎』のような、戦闘集団の依頼を受ける程度だった。だからいま、アレクセイの要請を受ければ、魔道士ギルドとルークス王国のつながりが特別だと示すことになる。魔道士ギルドは正式に、ルークス次期王アレクセイの協力者になるのだ。ウムブラ王太子、パストゥス王女たちへの、立派な牽制となる。

     だからいま、いろいろな思惑が巡らされている事実を感じ取りながら、キーラは唇を固く引き結んでいた。アレクセイに利用されようとしている場面なのに、どうしようもなくこみあげてくる苦笑を抑え込んでいたのだ。まったく、と心のなかでつぶやいた。

     この王子さまは本当に、ひとを追い込むやり口が、お好きだ。

     そもそもの出会いも、人前でひざまずいて職を失わせるというやり口だったよなあ、とついつい思い出してしまった。あのころから、なにも変わっていないんじゃないか、と、さらに考え込んでいると、アレクセイは見事に優美な、だが見るものが見れば嘆息してしまう笑みを浮かべた。

    「あなたにならできる。そう考えたからこその、お願いなんですよ?」

     その言葉を聞いたとたん、まずい、とキーラは考えた。なにもかもがすっ飛んだ。

    (どうしよう、顔がにやける)

     とりあえず「はいはい、かしこまりました」と投げやりな様子で応えた理由は、口を動かさないとにやけそうになる口元が目につくと考えたからだ。だって、嬉しい。

     ルークス次期王の要請を、二国の王族たちの前で了承する意味を、重大性を理解している。すでに紫衣の魔道士全員で決定した魔道士ギルドの総意だから、了承していい場面だった。だが立場を超えて、個人としてのキーラはいま、アレクセイの言葉を喜んでいた。

     アレクセイを支える。彼の味方でいる。キーラの決意は決して一方的な想いではなくて、他でもないアレクセイ自身が頑張る資格を与えてくれてる、という事実が嬉しかったのだ。

     信頼されている、という事実が、――――とても。

     ただ、ひとつだけ残念な事実がある。正装姿のアレクセイを見れば、ちらっと未練が芽生えたが、吹っ切るために頭を軽く振って、ぴ、とアレクセイに向けて敬礼して見せた。

    「殿下の式典を見届けられない事実がとても残念ですが、魔道士ギルド、ルークス支部長キーラ・エーリン、これより天空要塞に乗り込んで、精霊王を消滅させてまいります」

     軽やかな響きで、アレクセイの要請を改めて了承すれば、二国の王族たちは息を呑んだ。

     パストゥスの宝玉たちは驚きを隠さない様子でお互いの顔を見合わせているし、フレデリックは何事か感じ取った様子で目を細めて、キーラを見つめている。

     だがウムブラ王太子の視線などまるっと無視して、キーラはアレクセイの答えを待った。

     優美な美貌を引き立てる、白と金の意匠で彩られた正装をまとったアレクセイは、ゆっくりと笑みを消した。じっとキーラを見つめたまま、短くはない沈黙を落とす。

    (……王子さま?)

     いぶかしく感じ始めたころ、静かに平坦な声で「頼みましたよ」と云われた。

     ようやくうなずいて、キーラは踵を返す。ロジオンとメグが続いて、執務室を出た。
     待ちかまえていた文官たちが、入れ替わりに執務室に入る。アレクセイの次なる指示を得るためだろう。キーラはむちゃくちゃな要請を受けたが、アレクセイもこれから、式典の参列者、王都の民を護るために手を打つのだ。困難に立ち向かう人物はキーラだけではない。

    (王子さまの行く末がかかってる。失敗は許されないわね)

     まず転移の魔道を使うなら、邪魔をされない、広い場所に行ったほうがいい。中庭が適当だろうか、と考えながら、歩き慣れた足取りで王宮を進めば、メグがちょっと笑った。

    「アレクセイ殿下も、きっと残念だと感じてらっしゃるでしょうね」
    「は?」

     なにを云い出したのか、と不審に感じて見つめれば、ロジオンも訳知り顔でうなずく。

    「キーラ。わたしたちは、絶対に、式典が終わるまでに帰ってこなければならないぞ」
    「あたりまえでしょ」

     二人の同行者がなにを考えてそう云い出したのか、まったく不明だが、キーラに応えられる言葉は他にない。王宮廊下をはみ出て中庭に進みながら、さらに言葉を続ける。

    「ルークス次期王が、他国の王族の前で、魔道士ギルドへ下した要請なのよ。必ず成功させる。そうして結果を出して、未来につなげる。でなければ、すべてが揺らぐもの……!」

     固い決意を表明すれば、なぜか二人は、同時にため息をついて、沈黙した。
     水を差された気分になったが、とにかくキーラは、転移の魔道具を発動させた。天空要塞へと。

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