右手が熱い。いちばんはじめに、そう感じた。
 けれどその熱が、まだ鈍くなっていた感覚を引き寄せていく、よすがになってくれた。キーラはゆっくりまばたいて、視界を取り戻した事実に気づいた。視覚だけではなく、聴覚触覚も取り戻している。そうしたら続いて聞こえてきた音は、三人の口論だった。

「ええい、放さぬかおぬしたち! これ以上、王都を攻撃させるわけにはゆかぬ!」
「だからといってキーラを傷つけようとなさらないでくださいませっ。肉体の修復が間に合うとは限りませんのよ!」
「間に合わせるに決まっておろうがっ。とにかくいまは、あのバカ娘をどうにかせねば、」
「ですが傷つけたところで、精霊王を追い出せるとは限りません!」

 メグとギルド長、ギルド長とロジオンがにぎやかに口論している。

 ゆっくり三人を眺めて、いまだ熱くなっている右手を見下ろして、ようやくキーラは状況を察した。さーっと青ざめた。表示板にはこうある。サルワーティオーを攻撃せよ、と。

(まずい)

 いそいで表示板に他の命令を入力した。サルワーティオーの現状を示せ。キーラの動きに反応した三人のうち、いちはやくギルド長が攻撃を仕掛けてきた。大気の力が集まり、風の形を与えられ、キーラに襲いかかる。キーラは無造作に左手を掲げて盾を作った。

「邪魔しないでよ、じいさま」
「おぬしっ。……キーラ、か?」
「はーい。無事に生還しましたー」

 多少言葉を間違えているが、気分的には間違いではない。  食うか食われるか。精霊王と繰り広げた浸食合戦はまさしくそんな感じだった。少なくとも物質的なところで行われた合戦でなくてよかった、でなければずいぶん醜悪な様子になってたもの、とズレた思考を脳内のはずれで抱きながら、表示板への命令を実行する。

 すると味気ない金属で構成されている壁一面が、あざやかに外を映し出した。

 一瞬、どこを映し出したのか、と考えたが、よく似た地形を地図で見ていたから理解できた。王都サルワーティオーを天空要塞から見下ろしたら、きっと、こんな感じになる。北には海があり、東と西と南は街門に囲まれた街だ。ただ、街門の内部はすっぽり暗闇で覆われている。まだ、式典が行われている時間だ、と気づいたが、安心していられない。

「じいさま。天空要塞は王都に攻撃したの?」

 ギルド長を振り返りながら訊ねれば、半信半疑、という様子で答えが返ってくる。

「覚えておらぬのか、知らぬのか? たったいま、おぬしがしたことではないか」
(ああ、やっぱり)

 いっきに泣き出したい気持ちになりながら、琥珀を持ったまま、表示板に命令を入力しようとする。サルワーティオーの被害状況を報告せよ。だが、キーラの動きに逆らって、ぽ、と別の単語に黄金色の光が灯った。ぽ、ぽ、ぽ、と次々と表示板に命令が入力されていく。サルワーティオーを滅ぼせ。黄金色の光はどうやら、今度はそういう命令を入力しようとしているらしい。息を呑んで表示板を見ていたメグが口を開く。

「キーラ、それは!」

 ち、と鋭く舌打ちして、キーラも琥珀を動かして停止の命令を入力する。文字数のおかげか、キーラの動きのほうが早く、黄金色の光による命令を取り消させた。ぽ、と、また黄金色の光が灯る。同じだ。再び停止の命令を入力した。こめかみに汗が流れる。表示板に集中しようとすれば、ばしゅ、という音が響いた。は、と、顔をあげたとき、キーラはギルド長が貼った結界によって守られた。思わずギルド長を見れば、渋い顔をしている。

「防御はわしに任せよ。その代わり、なんとしても王都を護れ!」

 確かにギルド長の云う通りである。キーラはうなずいて、表示板に向き直った。

 何度目の入力だろうか。サルワーティオーを滅ぼせ、という命令を取り消させたころ、そろそろと近づいてきたロジオンがキーラの手元をのぞきこんだ。サルワーティオーを滅ぼせ。まるで狂気の沙汰であるかのように、同じ命令が入力され続ける。キーラはそろそろ、腕が疲れてきた。入力する速度が、明らかに落ちてきている。

(これじゃ、消耗戦ね)

 いち早く気づいたキーラは、「メグ」と呼びかけた。目は表示板から離さない。ロジオンの隣に駆け寄ってきたメグは、「なんでしょう?」と問いかけてきた。

「お願い。表示板の下にある装置を作動させてほしいの」
「装置の動かしかたなんて存じませんわよ?」

 応えながらも素直にメグはしゃがみこむ。彼女は黄衣の魔道士だ。治癒の魔道を得意としているが、同様に、鉱石加工の魔道も得意としている。なぜなら属性が土だからだ。

「透明な水晶の向こうにある、赤い取っ手を引けばいいだけだから」
「わかりましたわ」
《《やめろ!》》

 すると王都を映し出していた壁に、男の顔が映し出された。
 黄金色の光が灯らなくなったから、キーラも動きを止めて男の顔を見た。相手がだれなのか、すでにわかっている。うつくしくもなければ若くもない、平凡な顔立ちの男は、

「ようやく顕現されたのかしら、精霊王?」

 皮肉めいた声音で呼びかければ、その場にいた三人はいっせいに目をみはった。

《《やめろ、やめろ、やめろ! おまえは陛下の御身のみならず、天空要塞すら滅ぼしてしまうつもりか!》》
「キーラ?」

 驚いた様子でロジオンが呼びかけてきたが、キーラは目を細めて精霊王を見据えた。

 どこともしれぬところで。精霊王とキーラ、二人だけの世界で喰らい合ったおかげでいろいろ得た知識がある。天空要塞の自爆装置の存在もそうなら、精霊王とまで呼ばれた男の記憶までもキーラは知ったのだ。だからこそ、冷ややかに告げることができる。

「なにが悪いの? そのための自爆装置じゃないの」

 記憶は、統一帝国時代から現代までの長い歴史に寄り添うものだから、ずいぶん膨大なものだった。それでもひときわ輝かしいものとして、黄金きんの女帝の記憶がある。

「――――それが、あなたの女帝の遺志だったじゃないの」

 かつて大陸を統一した女傑は、築き上げた平和は恒久的なものではないと悟っていた。

 最後の竜族でもあった彼女は、人間という種族に対して相反する感情を抱いていた。極言するなら、尊敬と侮蔑。だからこそ遺言では、特定施設の破壊を命じたのである。

 天空要塞は、破壊を命じられた特定施設の筆頭にあたる。

「あなた、ずいぶん忠臣ぶっておいでだけど、呆れたわよあたし。崇め奉る女帝の遺志を無視して、好き放題にやりたい放題。なにが輝かしい帝国よ、馬鹿馬鹿しい」
《《黙れ。黙れ黙れ黙れっ》》

 壁一面に広がる男の顔は、激しくなっていく声の調子に反して、無表情だ。

 それはそうだろう、なぜならこれはしょせんつくりものの顔、いわば絵画だ。どれだけ精巧であろうと絵画は生きていない。同様に、やはり精霊王も生きていないのだ。

 いくら意識体でも。

(変態的な目的か。……たしかにね)

 スキターリェツの身もふたもない感想を一瞬だけ思い出して、キーラはちいさく笑った。

 だがすぐに思考を切り換えて、「じいさま」とギルド長に呼びかける。返事を待たないで、そのまま精霊王を睨んだまま、キーラはギルド長だから出来るお願いを口にした。

「天空要塞内に倒れている、すべての精霊たちを王都に転移させて。神殿に転移の魔道陣があるから、利用したら楽だと思う」

 そうしてマティアスが唱えてた転移魔道陣を発動する言葉ヴォールズを付け加えた。

「……やれやれ、人使いの荒い孫娘じゃ」

 口ではそう云いながらも、ギルド長は動いてまずはバオを転移させた。ロジオンとメグの視線を感じ取りながら、キーラは精霊王に向かって云い放つ。

「おこがましいことだけど、この世界に生きる人間として云わせてもらうわ。あたしたちに黄金きんの女帝は必要ないし、統一帝国も必要ない。過去の遺物はおとなしく引っ込んでいて、――――いいえ、ここで滅びてしまってちょうだい」
《《な、》》

 さすがに精霊王は言葉を失い、その隙に叩きこむようにキーラは言葉を続ける。

「だって、あたしたちはそれでも、ここまで生きてこられたのよ? 黄金きんの女帝がいなくなっても、統一帝国が滅びてしまっても、なんとか楽しく毎日を暮らせているわ。これ以上なんて、望まない。だから、もう、あなたたちは必要ない」
《《愚かな。愚かだぞ、娘。おまえはあの時代を知らないから、》》
「愚かでけっこう。無知でけっこう。あたしはあたしらしく、のびのびと生きていきたい」

 きっぱり云い放てば、強ばった顔をしていたロジオンがくすりと笑った。
 ちらりと視線を流せば、笑みをきれいに消して、鋭く精霊王を睨む。

「わたしは、どんな理由があったとしても、父を殺害した人物を許すつもりはありません」
《《わたしが殺したわけではないっ、あれは、あれが勝手に!》》
「あなたが原因なのでしょう? ならばわたしにはあなたを許さない理由がある」

 表示板の下部をのぞきこんでいたメグも、にっこりと微笑みながら精霊王に告げた。

「わたくし、あなたとは意見が合いそうにありませんわ。いくら素晴らしい遺跡であったとしても、このように、味気ない内装で満足できるかたとはお話ししようとも思えません」

 家づくりが趣味である、なんともメグらしい言葉なのだが、精霊王は絶句したようだ。

 その間に、さくさくとメグはキーラを見あげる。最後の意思確認だ。キーラがうなずくと、メグは短く詠唱を唱えた。ぐんにゃりと水晶がゆるんで、赤い取っ手が現れる。ためらいもしないで、メグはグイ、と取っ手をつかんで力いっぱい引いた。

 するとたちまち、おおきく耳障りな音が響いた。警告音だ。残りわずかな時間で、天空要塞は自爆する。同時に、天空要塞に寄生している精霊王も消滅するのだ。自爆装置は天空要塞の操作部とは別の系統で動くからこそ、いくら精霊王であっても手出しできない。キーラたちにとって都合の良い構造に関して、もしかしたら、とキーラは考える。

(だれかの暴走を予想したから、女帝はこういう構造にさせたのかもしれないわね)
《《おのれ、おのれ、マティアスがここにおればおまえたちなど……!》》
「マティアス?」

 思いがけない名前だったのだろう、ロジオンがいぶかしげに繰り返した。キーラはかすかに眉を寄せた。精霊王め、最後まで厄介なことを云ってくれる。だがキーラに説明する時間はなかった。唐突に、精霊王の顔が消え去り、表示板に、ぽ、と光が灯ったのだ。

 は、と、気づいて、キーラは表示板に飛びついた。

 サルワーティオーに移動せよ。命令が入力されようとしている。停止の命令を入力しながら、キーラは舌打ちした。どうやら精霊王は最終手段に出たらしい。

「キーラ?」
「自爆まで残り時間が少ない。はやくじいさまのところに行って、転移してもらって!」
「でも、あなたはっ!」
「あたしはここで、停止命令を入力し続ける」
「キーラ!?」

 ロジオンが息を呑み、メグが悲鳴を上げた。それはそうだろう、自爆する天空要塞に留まるとは、自殺行為にも等しい。ただ、キーラに自殺願望はないのだ。ちゃんと勝算はあった。