霊視球探索記

 

空は青く澄み上がり、雲ひとつ浮いていない。温かな陽の光が美しい庭に降り注いでいた。池のまわりに桜や柳が植えられ、池の中の蓮が《外》の季節を無視して紅白の花を咲かせている。

華やかで平和な風景の中に、一人の少年が玻璃で作られた円卓の前に腰かけていた。やや長めの黒髪、鷹のように鋭い目。少年らしいその身体を白い中国服で包んでいる。

少年はすでに空になっている杯から庭へ、そして空へ視線を移した。思わずほっと息をつく。それはまるで自分の体内に蓄積されつつあるものが、ついに形となって現れたもののように少年には思われた。それが何なのか、少年は知っている。不満と云うやつだ。不満と云う表現を用いることには多少の抵抗を覚えるけれど、でもほかにぴたりとした言葉が見つからない。

少年は退屈していた。だから《外》へ……変化が乏しく静かな常春のこの地から、変化と喧騒のあふれる《外》へ行ってみたい。けれど、それはまだ少年にはできないことだった。その理由は少年には納得できるものだったので我慢するしかない。そして欲求不満がたまっていくのだ。円卓に《外》の景色を映して楽しんでいたけど、見るだけだったからすぐ飽きてしまった。

(朱雀のところにでも行くか)

少年は数少ない友人の内の一人を思い浮かべた。たぶん、いつものように訳の分からない本を読んでいるだろうが、かまわないだろう。立ち上がり、歩き出そうとしたのだが、ひとつの声によってその動きは阻まれた。

「白虎」

少年の名を呼んで彼を振り向かせた声を普通の人間が聞いたら、きっと首をかしげただろう。それは決して人間のものではなかった。あえて云うなら、インコの鳴き声のようだった。それを少年が理解できた理由は、その身に宿る《白虎》の力ゆえである。

声の持ち主は玉のようになめらかな肌を持つ素晴らしい美女だった。二十歳くらいに見える。だがやけに背が低い。というよりもとても小さいのだ。桃色の中国服をまとったその身体は十五センチほどしかない。けれど小さいながらもその滑らかな曲線は大人の女性のそれであり、なまめかしく、魅惑的だった。

花魄という精霊である。人が首つりに使った木から生まれると云われている。だが白虎はそんなことは知らない。彼が知っていることはこの美しい精霊は自分がここに来る前からいるということ。それだけだった。

「円卓をのぞいてみるがいい。なかなか面白いものが視られる」
「おもしろいもの?」

白虎は繰り返した。興味が沸き起こり円卓を見る。ちいさくてさまざまな色が集まり、ひとつの像を結んだ。それは一人の少女だった。濡れたような黒い大きな瞳が印象的で、年の頃は十四、五、と云ったところだろう。安っぽい服をさらに汚しながら山中を歩いてくる。外の季節に決して影響されないその風景は、白虎にとって見慣れた場所だった。

「ここへ来ようとしているのか」

白虎の活力にあふれた声に、花魄は鷹揚と肯定した。少し目を伏せ、淡い笑みを浮かべる。

「この地を見えなくしている結界を潜り抜けてくるものは約二百年ぶりのこと。おぬしがこの世に生を受けるよりずっと昔のことじゃ」

まだここに来たばかりだった花魄。花魄を拾った、すでにこの世にいないあの青年。追憶にひたりかけていた花魄は、しかしすぐに我に返り、白虎を見つめた。

「ここへ運んでやるつもりか」
「ああ。反対か」
「いや。少女の身でここまで来たのじゃ。そのくらいはよかろう」

円卓の中の少女が薄れて消えていった。代わりに、白虎は脳裏に少女の姿を映し出した。次の瞬間、少女は白虎たちの目の前に立っていた。

少女は驚いていた。こういうことが起こるとは聞いたことがあったのだが、経験するのは初めてなのだ、無理もない。

目の前に、自分が着ているものよりずっと上質の白い服を着た少年が立っていた。自分より二、三歳年上らしい少年は鋭い目で自分を見つめてくる。その瞳には子供のそれに似た色合いがあると気づいた。純粋に、好奇心だけがある眼差し。

この少年が白虎だ……、この世界の西を守護する《白虎》の代行者。

「おまえはだれだ。どうしてここにきた」
「あたしは春花。霊視球を探して」
「霊視球? そんなものはここにないぞ」

春花ははじかれたように顔を上げ、白虎に詰め寄った。

「じゃあ、どこにあるというの。あたしはそれを探してここまで来たのよ」

云ってから春花は、いまのは少しまずい云い方だったかもしれない、と云うように口をつぐんだ。白虎が気分を害して教えてくれなかったらどうしたらよいのだろう。けれどそれは杞憂で済んだ。白虎は春花から二歩ほど遠ざかり、円卓を振り返って行方を尋ねた。するとインコのような声がそれに応えたようだった。よく見ると小さな大人の女性が円卓の上に立っている。春花は大きな瞳をますます大きくした。

「花魄が云うには」白虎が振り返り、春花に告げた。「南の朱雀が持っているそうだ。おれのなかの《白虎》もそうだと云っている」

南の朱雀……。春花は身体じゅうの力がふわふわ飛んでいきそうな感覚を感じた。ここからどのくらい距離があるのだろう。ここまで来るのにも結構かかったのに。けれど、……いかなくては。

「おれがつれていってやろうか」

春花はうつむきかかっていた顔を白虎に向けた。彼は腕を組んで自分を見ている。本気だろうか。春花の注目を受け、白虎は口を開いた。

「もっとも条件がある。外の話をおれにすること」

春花は再び目を見開いた。変わった条件だ。それだけでいいの、と、聞き返そうとしたとき、あの小さな女性がまたよくわからない声で何か云った。それに対する白虎の受け答えで彼女が反対しているのだとわかったが、白虎の願いを受け入れた彼女の態度を見て少しどきりとした。それは死んだ姉とそっくりなしぐさだったのだ。

「それでいいな?」
「それでいいの?」

白虎の言葉に春花の言葉が続いた。戸惑ったように自分を見下ろす少年に訊ねた。

「それでいいの、本当に? だってとても遠いのよ。ここまでに二年かかったもの」
「それは外を通って行った場合だろう」

白虎が応える。意味が分からず春花は白虎を見直した。

「おれたちは互いの宮に行くとき、直接行き来する。この、与えられた地から出ることはない。さっきおまえを運んだような力を使う。少し方法が違うが」

納得の意味を含んだ沈黙が春花の周りに落ち着き、「それから」とさらに白虎の声が続いた。あれ? と春花は顔を上げた。白虎は顔をわずかにゆがめている。

「おれにはまだ金は必要ない。いまは話だけでいい」

その表情と声音は明らかにくやしそうな代物だった。そして春花は小さな女性が笑みを浮かべたさまを確かに見た。

南を守護する《朱雀》の代行者である若者は、友人の白虎が予想した通り、片肘を円卓の上に置き、その指でこめかみを押さえるようにして本を読んでいた。白虎と同じような中国服を着ているが、色だけが違っている。あでやかな紅で、その色は若者の端麗さを引き立てていた。

朱雀の指が頁をめくる。半ば伏せられた瞳がそこにある字の羅列を読み取っていった。この本は朱雀が《外》へ行ったときに手に入れたものだ。外へ行くたびに数冊ずつ手に入れるから、かなりの速度で書閣の棚が埋まりつつある。もっとも自分がここに来る前からかなりの冊数があったから、この読書好きは《朱雀》の特質かもしれない、と考えたことがある。

頁をめくる手が止まる。自分の宮にだれかが現れた気配を感じたのだ。前触れもなく楽々と入ってくるような人物は一人しか心当たりがない。はたしてその声が聞こえてきた。

「朱雀!」
「元気そうですね、白虎。それに花魄も」

朱雀は本を閉じ、やわらかな微笑を浮かべた。花魄を肩に乗せた白虎と、もう一人。見知らぬ少女が歩み寄ってくる。珍しいことだと驚きながら、少女の肩越しに見える風景に息を呑む。だが朱雀の異変に気づかない白虎が口を開いた。

「またなんだかわからないような難しい本を読んでいるな。そんなに面白いか」

呆れたような、白虎の声だった。朱雀はさっきまで自分が読んでいた本を見下ろした。

「おもしろいですよ。それにこれは、そんなに難しくありません。きみも読んでみますか」
「以前同じセリフで、おまえに借りることを強要された本をおれがまだ返していないという事実を忘れたのか」
「覚えていますよ。きみが読書嫌いであるということも、きちんと」
「性格悪いな、相変わらず。おれより長く生きてまだ治らないのだから、云っても仕方ないとは思うが」
「わたしはきみのことを考えておすすめしているのです。善意からの忠告をゆがんで解釈されるということは哀しいことですね」
「ゆがんだ解釈などしていない。ただ、そこに潜むおまえの企みを」
「二人とも」

白虎の言葉をさえぎって花魄が割って入る。いつの間にか白虎の方の上から円卓の上へと移動していた。腕を組み、二人を見比べる。

「仲が良いことは大変結構だとは思うておるが、そのくらいにしておくことじゃな。特に白虎。おぬしはここへ遊びに来たのか、春花を連れに来たのか」

云って花魄は少女に視線を流した。それで朱雀は少女の名が春花であると知った。白虎は口をつぐみ、春花へ目をやる。旅芸人らしい少女はまっすぐと朱雀を見つめた。

「あたしは春花。霊視球の行方を知りたくて連れて来てもらったの」
「霊視球、……ですか」
「知っているだろう、朱雀」

朱雀はうなずいた。自分の身に宿る《朱雀》の知識が頭の中に流れ込んでくる。それは《白虎》の知識よりずっと豊富で、正確だった。なぜなら話題の霊視球とは《朱雀》に属するものだからである。

青竜、朱雀、白虎、玄武。この世界の四方を守護する四聖獣の力を宿すこの四人は、自由自在に聖獣の力を操ることができる。そして白虎が春花の姿を円卓に映したようなことは他の三人にもできる。だが、《朱雀》の所有する霊視球のようなことはできない。霊視球は、過去、現在、未来――――。どんなときのことでもどんな場所のことでも、あらゆるすべてを知らせる。しかも、まるでそこに実在しているように、だ。

「けれど、春花さん。何のために霊視球を求めているのですか?」

春花は黙り込んだ。朱雀も白虎も花魄も、皆無言である。春花は目的を話し、そしてその目的のために断られることを警戒した。けれど話さないわけにはいかない。無言で春花の答えを待ち続けている三人に、春花は告げた。

「それはねえさんの気持ちをあいつに思い知らせてやるためよ。どんな想いで逝ったのか、どんな苦しみを抱えて胸に短剣を刺したのか、なにもかも」

春花の姉・千花は愛しい男によって他の男に与えられ、そのために自殺したのだと春花は語った。

(つまり敵討ちみたいなものか)

白虎は目の前の少女を見つめた。自分よりも幼い少女なのだが、その眼差しの迫力に圧される。霊視球の行方を自分に問いつめてきたあのときと同じだと白虎は思った。

西を守護する《白虎》の代行者と云っても、いやだからこそ、白虎は世間知らずな少年だった。四歳のとき《白虎》の代行者としてこの地に来てから、白虎に接する者は花魄と他の三人の代行者たちとほんのわずかな護り手だけだからだ。そして白虎の知り合いは皆、このように迫力のある瞳をしたことはない。だから春花の眼差しに白虎は驚きと――――。

そして本人は認めたがらないだろうが、春花の瞳に白虎は少しだけ恐怖を感じた。こんな眼差しをするようになったら、なにか取り返しのつかないような、そんな感じを白虎は掴み取ったのだ。白虎はそれを紛らわせるように、朱雀を振り向いた。

「朱雀。霊視球はどこにある?」

早く霊視球を渡してしまえ。白虎の目がそう云っているのを朱雀は敏感に感じ取ったが、朱雀は否定した。

「それはできません、白虎」

白虎は答えを確かめるように朱雀を見つめて、そして詰問しにかかった。

「なぜだ?」

出来るだけ冷静な声を出そうと努力して、失敗した声で白虎は訊ねた。春花が円卓に近づいてくる気配がする。春花はなにか云おうとしたが、力を失い唇を噛んだ。

「理由を説明しろ」
「それもできません」

白虎の騒がしい独奏に朱雀は完ぺきな無表情で応えた。持ち前の頑固さでぴたりと口をつぐむ。白虎はなんとか説明させようと考えを改めさせようと朱雀に詰め寄る。春花は黙り込んだままだった。

バシン!!

突然の破裂音。春花はびくりとして耳をふさいだ。白虎と朱雀ははっと音のした方向へ目をやった。

「いいかげんにせんか」

花魄である。美しい精霊は養い子とその親友をややうんざりしたように眺めた。その小さな右手からちりちりと小さな炎が零れ落ちた。円卓の上、本の隣に置いてあった杯を花魄が爆発させたのだ。自分の両手ふたつを叩いただけではたいして大きな音が出ないだろうと思案したあげくの行動である。

「そのくらいにしておくのじゃ。何度も同じことを云わせるでない」

白虎と朱雀は何となく黙りこんだ。といっても朱雀は初めから黙り込んだままだったのだが。

「朱雀さん」
沈黙を破り、春花が朱雀に呼びかけた。

「たしかに、……たしかにあたしが霊視球を使う目的は褒められたものじゃない。守護する役目の人としたらとんでもないかもしれないけど、でも」
「春花さん」

朱雀は無表情から優しげなものに表情を改め同じ様子で春花に応えた。春花にほんの僅かの希望を抱かせる程の優しさだった。

「……春花さんはご存じですか。わたしたちがこの地に入る際それまでの名前を捨てるということを」
「知ってる」

朱雀は頷いた。ここまで来ることのできた者なのだ、その位のこと知らない訳がない。

「わたしも十歳のときそれまでの名を捨てました。舜青という名前を。そして同時に親と兄弟も捨てたのです」

捨てたという表現に春花は反発を覚えた。だが名前を捨てるとはどういうことなのか。

「なぜそんなことをするのか。それは《外》とのつながりを断ち切るためです」

世界を守護する四聖獣はその力を世界を守るものにするため制御する者すなわち代行者を選ぶ。たが、四聖獣の干渉はそこまででそれからは代行者の意志によって四聖獣の力はふるわれる。つまり代行者は世界を守護できるほど強大な力を得るのだ。その為彼らに干渉しその力を利用するものを防ぐためこの地には結界がはられ、代行者は名を捨てるという行為によって自らを戒めるのだ。

「だからあなたの願いを叶えるわけにはいかないのです」

あなたが借りたいと願う霊視球はわたしが持つ宝貝の中では珍しく人や物を傷つけないものです。だからあなたの復讐も人を傷つけないものだとわかります。けれどわたしにはあなたの願いを叶えることはできないのです、と朱雀は続けた。

そんなの守り手の人たちは教えてくれなかった。春花はささやかな反論を心のなかで試みた。でも。

春花は守り手たちの、代行者たちが名前を捨てると話したときの寂しげな様子を思い出した。あれは同情だったのだ。たまたま代行者に選ばれてしまったため名前も両親も兄弟もなにもかも失う彼らに対しての。

「朱雀のうそつきめ」

花魄が呟いた。その言葉を理解できない春花の様子に変化はなかったが白虎ははっと花魄を見た。彼が静かだったのは名を捨てるということの意味を知らなかったためと親と兄弟という存在について考えを巡らせていたためであった。

「花魄……」

朱雀はやや困った様子で花魄を呼んだ。

「そんな理由ではなかろう? この少女は結界を乗り越えて来たのじゃぞ。でなければ我らはここまで連れてきたりはせぬ」

白虎が《外》から運び入れたのだと思ったのですという偽りを朱雀は言わなかった。たしかに結界をくぐり抜けてこない者をここまで優遇するということを花魄がさせないという予想は春花を見たときからついていたのだから。

「では花魄。朱雀は春花に霊視球を諦めさせるため嘘をついたのか」

白虎の間いかけに春花ははっと白虎を見つめそれから朱雀を見つめた。

「朱雀さん……」
「嘘はついておらぬ。ただ隠し事をしているだけじゃ。つまり結界をくぐり抜けてきた者に対しては願いをかなえてもよいという。このことをな。白虎、春花に伝えてやるがいい」
「お前、朱雀はうそつきだといったではないか」
「朱雀がうそつきだというのは理由を偽ったその点だけじゃ。その他のことについて名を捨てることの意味などはそのまま本当のことをいっておる」

さあ春花に伝えてやるがいいと花魄は動作で示し白虎が春花の方を向き直ったように花魄も朱雀のほうへと向きを変えた。

「その本当の理由とやらを話せというても無駄であろうな。おぬしは嘘はいわない主義じゃ。それなのにその主張を曲げてまで霊視球を貸さないと定めた理由を隠そうとしたのだから」
「花魄」

朱雀が心底困ったように呟いた。自分のことをなにもかも理解してくれているという存在はありがたいものだがこういう場合はただひたすら困るしかない。

「私はな、おぬしではない。おぬしが嘘をついてまで何を隠そうとしたのか知らぬ。だからいわせてもらうぞ。おぬしは間違っている」

朱雀は花魄の言葉を黙って受け取った。たしかに自分のやったことは間違っているのかもLれない。本当の理由も告げずただ押しつけるように霊視球を諦めさせようとしている。

だがそれを認めても朱雀は何も語ろうとしなかった。あきれたように花魄がいう。

「頑固者が」

沈黙がうまれた。またもや沈黙を破ったのは春花だった。

「朱雀さん。教えて。いったい何を隠してるの」
「……知らないほうがいいということも、あります」

朱雀の言葉で春花はかっとなり朱雀に詰め寄った。

「あたしは気を使ってもらいたくなんかないよ!」

春花の言葉に朱雀の無表情が崩れた。苦笑が浮かぶ。そして苦すぎる気持ちが心の中に芽生えた。

「どうして何も言ってくれないの! あたしはもう子どもしゃない。自分一人で生きていけるほど強いのよ」

小さな拍手が聞こえる。目をやると花魄とかいう女の人が春花に向かって拍手していた。

「春花は偉いな。本当に偉いぞ。――――白虎、これを春花に伝えてくれぬか」
「おれは通訳ではない」
「しかたなかろう。褒め言葉は本人に聞かせるものじゃ。それに今一番暇そうなのはおぬしじゃし」

諦めた白虎がそれを伝えると春花は少し呆れた。そういう場合じゃないと言いたいらしい。だが花魄は構わず春花ににこりと微笑んで見せた。さっき春花が言った言葉は美しい精霊にとって微笑ましいものだったようだ。

「さて――……、朱雀これでも話さぬか」
「春花さんはどうしてもお姉さんの気持ちをその男に思い知らせてやりたいのですか」
「そう。この二年間ずっとそう思ってた。絶対にそれをやりとげると。――――親方はやめろって言った。あいつはそれでもずっといい家の人だったみたいだから。でもだからあたしはやり遂げるって決めたのよ」
「……わかりました」

朱雀は頷いた。「じゃあ」と身を乗り出した春花にもう一度頷いて見せる。

「霊視球をお貸ししましょう。……ただし」
「ただ……し?」
「霊視球はここにはありません。それをあなたが見つけてきたら、お貸ししましょう」
「それってやっぱり……貸せないってこと?」

『代行者の住む霊山も一つの国ぐらいあるじゃろう。わしは行ったことはないがの』

守り手の老人がそう言って笑ったことを春花は思い出していた。それだけ広いところ――――しかも春花はこの地についての知識をほとんど持ってないのだ。霊視球を一人で捜し出すのはとても無理に思えた。先程までの朱雀からの態度を思い出すと遠回しに断わっているとしか思えない。

ひどい、と春花は思った。そういうつもりならばわかったって言わなかったらいいのに。言ってくれないほうがいいのに。

そんな春花の言葉とそこに含められた雰囲気を感じ取り朱雀はわずかに驚いて見せた。

「いえ。ちゃんとお貸しするつもりですが」
「見つけてきたら、でしょ? 見つけて……」

これるとは限らないじゃない……という言葉を春花は飲みこんだ。花魄が春花の方へ手を上げたのだ。まるで言葉をさえぎるように。

「朱雀、あきらめが悪いな」
「花魄。わたしはこれ以上譲るつもりはありませんよ」
「私はただ感想を述べたのみ。おぬしの考えを変えようとは思ってはおらぬ。つまり春花に霊視球を捜させることに賛成しているということじゃ」
「花魄」

白虎が驚いたように呼びかけた。花魄は白虎を見たが白虎に対しては何も言わなかった。

「だが春花は疲れている。その上、霊視球捜しを一人でさせるのは酷であろう。かといって誤解を解き霊視球を借りることができるとわかれば休みなどとろうとするまい」
「春花さんをお気にいりのようですね」
「日頃口ばかり達者な反抗期の少年たちの相手をしているからな。なおさら素直で可愛く見える」
「おれだって可愛いと言われても嬉しくないぞ」

白虎が口を挟んだ。朱雀が苦笑を浮かべる。それは白虎の言葉のためではなく花魄の言葉のためだったようだ。

「それでどうせよと」
「案内する者をつけてやってはどうか」
「しかし適任者はいないのではありませんか」
「いや」

花魄はそこで笑った。白虎は後から「にまりという表現がぴたりとする根性の悪い笑みだったな」と思い出すがそれは少し大袈裟な表現だろう。

「白虎がおる。白虎は先代の朱雀に可愛がられていたので色々とこの地について詳しいゆえ」
「なっ」
「なぜおれがといいたいのか。しかし当然のことであろう。おぬしが私の言葉に耳も貸さずに春花をここに連れてきたのじゃ。責任をとるのじゃな」
「責任……」

白虎が呟くと花魄はにこりと微笑んだ。すると朱雀も花魄に調子を合わせた。顎に手をあてるようにしてまんざら悪くないと感じているようだ。

「そうですね。白虎は春花に霊視球を早く渡してやりたいと思っているようです。異存はないでしょう」
「それは」

さっさと帰って欲しいからだと言おうとしたが本人が側にいることを思い出し口を喋んだ。白虎が春花の様子を見ると彼女は驚いて白虎を見ていた。大人びた印象を持っていた少年が慌てていることもあるが何よりも今の朱雀の言葉のためだろう。白虎は白旗を掲げた。

「わかった。……おれが案内しよう」

「それでどこに保管してあるのか、思い当たるところはあるの。そこへ行きたい」

暖かな緑の光のもとで春花は白虎を見上げた。チ、チと小鳥の鳴き声が遠くで聞こえる。まさに理想郷といっても良いほとの穏やかさだったが春花にとって景色などどうでもよく、ただ霊視球のみがその頭を占めていた。

あの後春花は白虎によって朱雀が本当に霊視球を貸すつもりだということを説明され朱雀に対しての邪推を反省した。そして朱雀によって今いるところに送られてきたのだが。

白虎が黙って辺りを見回し考えこんでしまったので春花はそう切り出したのだ。白虎は「成程」と呟いて何やら納得した様子を見せた。

「朱雀は本当にお前には優しいな。こんなところに連れてくるとは」
「こんなところ?」
「ここから少し歩くと宝貝の倉庫がある。霊視球は宝貝だ。つまり霊視球はそこにあるということだろう」
「つまり」
「朱雀はお前に余り歩かせたくなかったということだ」

その言葉で春花はふと泣きたい気持ちに襲われた。かろうじてそれをこらえて尋ねた。

「どうしてそんなに親切なの」
「朱雀はそういう性格をしているからな」

白虎は朱雀に妹か弟がいたということを他の誰かから聞いたような記憶がある。だがそれを言わなかった。妹を見るように春花を見ていたのだとは思いもしなかったためだ。

「そういえばあなたもそうよね。どうして親切なの」
「《外》の話を訊きたかったからだ」

白虎の言葉はうそではない。そして白虎のことを余りよく知らない春花はカ一杯誤解した。

「じゃあ今話すね。あたしは霊視球を見つけたらさっさとあいつのとこにいくつもりだから」
「休んでいかないのか」

今度の白虎は純粋に春花の体を思って言った。何しろ彼女は自分より年下の弱い少女なのだ。朱雀の宮に泊まらせればいいだろうと考えている。

「休まない。さっさとあいつに復讐するの」
「復讐を終わらせたらなにをするんだ」
「……そうね。また一座に入る。楽しいから」
「そんなに楽しいものか」
「あたしは観るほうじゃなくて魅せるほうだから。……うん楽しいみたい。皆、足を止めて観てくれるしそんなとき楽しそうだから」
「そうか。じゃあ《外》へ行けるようになったら観てみよう」

春花は白虎を見上げた。たしかさっきの朱雀の言葉はうそではないはずだ。それなのに観にきてもいいのだろうか。春花がそれを尋ねると白虎は肯定して説明を補足した。たぶん代行者だと知られなければいいのだろう。それに朱雀は何度も《外》へ行っている、玄武もだ。青龍にはまだ無理だが。白虎はそう語った。

青龍が《外》へ行けない訳を春花は知っていた。《青龍》の代行者はまだ赤ん坊なのだ。行きたいという願いもまだ芽生えていないだろう。

「あれ?それじゃなぜあなたは《外》へ行けないの」

くっと白虎の表情が変わる。前に見たものだ。悔しげな表情。そして同じように悔しげな声音で告げる。

「おれはまだ思ったまま力を使うことがある。《外》へ行って何かの拍子に力を使ったら人を傷つけることもありえるからな。――――いや」

白虎はさっと悔しげな表情を消して思案の顔を浮かべた。自分自身に語りかけるように呟く。

「花魄はそう言ったが人を傷つけるということを避けるためだけではなかったのかもしれないな。代行者だということを隠すためでもあったのかもしれない」

春花は話を続けるべきか迷った。そして少し中断することに決めて白虎と朱雀と花魄が代行者と気付かれないようにして芸を観にくるところを想像した。何だかおかしいような気がする。もしそれが自分の芸だったら? あたしは楽しませることはできるかな、ねえさんみたいに。

……できないと思う。ねえさんは特別だった。
「……でも残念だね。あなたたちはねえさんの芸を観ることはできない」

興味を引かれたように白虎は春花を見下ろした。

「ねえさんの芸はきれいだったよ。造り物の花を使ってたんだけど。それでもきれいだった。ねえさんはね、あたしみたいに炭のような色の髪をしてなかったんだ。少し色が薄いような感じ。でもきれいだった。その色の薄さもかえってきれいに見せてたよ……でももう観れないよ…本当に残念だね……」

春花は唇をかんだ。ぼろぼろと水晶の雫がこぼれる。

白虎は何もしなかった。悲しいとき人は泣くのだということはもちろん知ってるし自分も泣いたことがある。けれど目の前で人が泣くのを見るのははじめてだったのだ。

ふいに白虎は理解できたような気がした。春花の目が少し怖く見えるほど気迫をあふれさせる訳を。

――――それほど好きだったからか。

疑問が突然見つかった。
ではその男に姉の悲しみを思い知らせてやったら春花はあんな怖い目をしなくなるのだろうかと。

しばらく二人は黙ったまま歩いていた。春花は次第に泣くことをやめていった。ぐいと右手の甲をあげて涙をふく。また少し怖い目をしていた。

白虎の後ろに春花はついて行った。調和と美しさをよく考えられて植えられた優しい木々の囲む道を進みやがて二階建ての建物の前にきた。小さな宮殿みたいと春花は思った。白虎が足を止める。

「ここだ」
「ここが、倉庫?」

春花には信じにくいことだった。白虎は春花の問いに答えずに扉を開けた。暗い空間に光が差しこみ《朱雀》の所有する宝貝(秘密兵器)が光に照らされた。

「霊視球は――――どれ?」
「それを見つけるんだろう」

白虎の答えに春花ははっとして頷いた。扉のところで立ち止まったままの白虎の横を通り倉庫の中へ足を踏み入れる。それからしばらくの間自分の情報をまとめた。そしてそれから自分の考えを組み立てていく。霊視球はまるでそこにあるように物を映し出すという。『球』という名前がついているのだから丸いものなのだろう。とりあえず丸いものを捜し出してみよう。

春花は平べったい包みや細長い包みを避けて捜し回った。四角い箱をぱこぱこと開けていく。やがてそれらしき物を見つけた。大きさは春花が両手で抱えねばならないほど大きな物だった。丸い透明な玉に金とも銀ともいえない何やら輝く金属のような物で装飾されている。

これだと春花は感じたがそれから困った。念のため他の箱も開けるとまったく同じものが二つ見つかったのである。少しの違いも見つからない三つの玉を春花はどれが霊視球なのかわからずただじいっと見つめた。まさかこういう風につまづくとは思わなかった。

「霊視球を見つけたか」

白虎が尋ねてきた。春花はぎゅっと唇をかみしめた。

「霊視球は未来、現在、過去の三つを映す」

霊視球の説明を白虎がくり返した。春花は苛立ちのあまりそれくらい知ってると叫び返しそうになった。そしてやめた。ひっかかりを感じたのだ。

(未来、現在、過去の三つを映す)

三つ……目の前の玉もまた三つある。まさかこれすべてが霊視球なのだろうか。まさかと思う。そんな話は聞いたことがない。けれど白虎が暗示するように言った言葉から考えるとそうとしか考えられない。

窓から見える景色はすっぽりと闇に包まれていた。灯りがないためその室内はとても暗かった。闇に慣れた目で見回すととどこかの寝室らしい。

春花はここがどこなのか理解できなかった。だが、

『ここが男のいる家です。《外》は今真夜中ですから』

朱雀が説明した。春花は代行者達の住む地と自分達の住む所の時間の流れが少し違っていることを思い出した。

春花は三つの玉を持って行き春花のカンが当たったことを知った。そしてすぐにでも出て行こうとしたのだが朱雀によって止められた。霊視球は朱雀しか使えないもなのだと。それで朱雀の力で映像を送ることになったのだがその前に春花は男がどうしているのかを見たいと言った。それではと白虎が提案した。

「霊視球を使ってみたらどうだろう」

朱雀以外の者は皆その意見に同意した。その理由といえる心の動きを表現するには三文字の漢字が用いられる。多数決で霊視球を使うことになった。朱雀が三つの玉のうちの一つを取り上げ――――そして突然景色が変わった。

春花は霊視球の説明がその通りであると実感した。まるでその場にいるようだ。

だが春花はすぐに寝台があるらしいと見当をつけた方へ駆けて行った。見てみると布団がふくらんでいた。むくりと動く。春花は思わずどきりとした。長い髪の人間が起き上がったのである。そしてその側に闇にもはっきりとわかる白いものがあった。春花は息を飲み後退りした。がらんとそれが音を立てた。

起き上がったその人影はそれを驚いた様子もなく見下ろした。呟く声が聞こえる。

「起こしてしまいましたわね。旦那様」
『ねえさん!?』

春花は思わずそう呼びかけた。もっとも呼びかけても女には聞こえない。聞こえないはずだった。女ははっと顔を上げ春花の方へ顔をやった。ぎりと激しく凄まじい形相で睨付けてくる。春花が信じられない思いで女を見ているとぐっと春花の細い首に手をかけた。ぐいぐいとしめあげる。春花は息がつまりその女の手をふりほどこうとした。だがふりほどけない。春花はだんだんとぼんやりとしてきた。

そして突然開放された。なにもかも消え代わりに暖かな光の支配する正反対の景色が現れた。春花は座り込み喉を押さえて咳き込んだ。そっと背中をさすってくれている手がある。朱雀だった。

春花はしばらくそのまま座り込んでいたが、やがて朱雀の襟元をつかむように詰め寄った。

「いまのはなに!? 男なんかいなかった。どうして死んだねえさんがいたの!?」

朱雀は言いよどんだ。決して分からないだろうと考えた霊視球を春花か持って帰ってきたとき全て話すしかないとあきらめたのだがそれでも事実を告げることにはまだためらいがある。春花の肩越しに見えた影について、――――だがこの段階に至れば答えないわけにはいかない。
「……今のはあなたのおねえさんが生前住んでいた家です。あの白い骨があなたの復讐相手。そしてその男を殺したのは人の精気を喰らう鬼となったあなたのお姉さんです。つまりあなたはもう復讐する必要はないのです。お姉さんが自分でやり遂げたのだから」
「うそよ。あのねえさんが復讐しようって考えるわけないじゃない。ねえさんはそんなこと考えつくような人じゃないよ。絶対うそに決まってる」
「そうです。けれどお姉さんは未来永劫あの男を自分の側に繋ぎ止めたいと願いました。自殺したのもその為です。こうすれば男は決して自分を忘れないだろうと。そしてその思いが強すぎたためにお姉さんは鬼として蘇ったのです」

強張った笑いを見せて春花は首を振った。心の中から出てこようとするもう一人の自分を必死で押さえた。だが春花は不安に取りつかれていたため十分に押さえ切れなかった。もう一人の自分は冷酷な判断を告げる。

(そうね。ねえさんは誰よりも愛されたがっていた。そして自分を思いつめる人たった。ねえさんならやりかねない。ようやく見つけた愛する人、自分を愛してくれる人を簡単に手放すはずない)

うそよ。力なくつぶやきながら春花は自分の中からわきあがってくる自分を押さえられなかっーーその言葉に流されてしまいそうだった。もう一人の自分の意見は千花の性格を考えに取り入れた、実に納得しやすいものだったからなおさら。

(うそよ。違う。姉さんが人を殺すわけない、ましてや――――あたしを殺そうとするなんて)

春花は心のそこから千花が好きだった。美人で優しくて暖かな雰囲気を凛わせている。それは好きという領域をはみ出し尊敬という領域に足を延ばしていた。その為どうしても認めたくなかった。自分の理想がすっかり変わってしまったとは。そしてその人によって存在を否定されたなんて――――認めたくはなかった。

「それでどうします」

朱雀が言葉を発した。のろのろと春花は顔をあげた。本当ならば上げたくない。なにもしたくないという心境だったのだが、暗い考えからも解放されたかったのだ。

「どうします。お姉さんを解放しますか」
「そんなこと――――出来るの?」

春花は色めきたった。朱雀はそんな彼女を哀れみを浮かべた瞳で見下ろした。

「これを使います」

そういって朱雀が差し出したものは短剣だった。春花はふたたび顔がこわばっていくのを感じた。

「つまりねえさんを殺……せ?」
「そうです」

顔を背けた。黙ってぎゅっと考える。まるで決心を促すかのように、頭の中に千花の生前の姿がよみがえる。それでも春花は決心できなかった。そしてそのあとにまったく千花からかかわりのないこと、これから起こる可能性がある景色が思い浮かんだ。それは春花が踊っていて――――。

春花はきれいな過去より楽しそうな未来を選ぶことに決めた。選択にずきんと激しく訴えてくる痛みを覚えたが、もう考えを変えなかった。

<完>

 

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