09
部下がやってきて、新たに淹れた紅茶を僕たちに出してくれた。ティーカップを持ち上げて一口飲めば、勇者も僕にならう。その仕草だって礼儀作法に則ったものだ。初めて会ったころは、もう少し朴訥なところが目立っていたけれど、修錬の成果だろう。
「……魔王討伐に、旅立つことになりました」
その言葉に、僕は勇者の目的を悟る。そうか、彼は挨拶に来てくれたんだ。
回収した宝箱を提出してくれるたびに、僕は勇者と話していた。わりと親しくしていた自覚がある。そして僕は、早く魔王討伐へと旅立ちたいと願っていた彼を知っている。だからいま、安心したような表情を浮かべている事実には納得したんだけど、どこか心残りがあるような気配を不思議に思った。微妙に複雑な表情になってるんだよね。
だが、無遠慮に触れない。
「そうですか。いよいよですね」
「はい。ようやく旅立ちを許されて、安心しました。不安がないわけではないんですが」
そう言いながら、勇者は僕を見る。ああ、と僕は唐突に理解できた。
勇者は他の冒険者に先んじて、二十五層まで攻略を終えた。にもかかわらず、自分の力量に対して確信がないんだ。彼が最終的に戦う相手は魔王。不安は尽きないだろう。
「大丈夫ですよ。勇者どのなら」
真っ直ぐに勇者を見つめて、僕はそう言った。
勇者の気持ちは理解できる。
でも僕に言わせると、他の冒険者に先んじて、二十五層まで攻略を進めた自分の力量を軽んじるな、というところだ。勇者が迷宮の攻略を始めて、まだ一年半だ。にもかかわらず二十五層を攻略し終えた。戦慄するしかない速度なのだ。
勇者を見つめていると、勇者の表情が変わる。
なにやら喜びを噛み締めているような表情だ。はにかんだように、勇者は言う。
「そう、思っていただけますか」
「はい。勇者どの以外に魔王を倒すことはできない、と僕は確信していますよ」
そう言い切ったとき、背後に立つ秘書どのが身動きする気配を感じた。
大人しく控えていたのに、どうしたのかな。不思議に感じたけれど、勇者がいる今、追及はできない。振り返ることもせず、僕は勇者を見つめ続けた。勇者は頭を下げる。
「ありがとうございます。室長にそう言っていただけて、安心しました」
「相手が相手です。不安になる気持ちはわかりますが、勇者どのには頼りになる仲間もいらっしゃるでしょう。彼らの強さは折り紙つきです。どうか彼らと、彼らとの間に育んだ絆を信じてください。たいていの窮地を切り抜けられるはずですよ」
そう言うと、勇者は顔を上げた。なぜだか苦笑しているけれど、穏やかな表情だ。
ありがとうございます、と、もう一度繰り返して、勇者は辞去の挨拶を告げた。
旅立ちを控えているのだ、さまざまに忙しい状況なんだろう。よくもまあ、そんな時に来てくれたよ。勇者は意外と律儀なんだなあ、と考えながら、僕も勇者にならって立ち上がった。出入り口に向かう彼を見送ろうとすると、勇者は足を止めて僕を振り返る。
「あの、最後にお願いがあるんですが」
「なんでしょう」
これから危地に向かう勇者どのの願いだ。できることをしてやりたいと考えながら促すと、その、と、ためらいを見せながら、勇者どのは言った。
「いってらっしゃい、と言ってもらえますか」
何を言い出すのかと思えば、なんともたあいない内容だった。
僕は気が抜けて、ふにゃりと笑ってしまった。勇者を真っ直ぐに見つめて。
「いってらっしゃい。お気をつけて」
そう言うと、勇者は嬉しそうに笑った。
ちょっと頬が赤い気がする理由は、きっと子どもじみた申し出を恥ずかしく捉えているからだろう。「いってきます」と、そう応えて、勇者は部屋を出ていった。