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目的地の酒場に誘導しながら、僕はご機嫌な様子の貴公子に並ぶ。僕は決して背が低い方ではないんだけど(客観的な事実だ!)貴公子は僕以上に背が高い。ちょっとだけ見上げるような形で、これから向かう酒場について簡単に説明する。友人の料理人が開いた酒場であること、東西南北の質の良い酒を揃えていること、料理が絶品であること。
僕の説明を受けて、貴公子は笑う。
「つまりそなたのお気に入りなんだな?」
「そうです。おすすめです」
「ならば楽しみにしよう。最近は、口に合わぬ食事が多かったものでな」
「それは不幸ですね。人生で楽しめる食事の数は限られてるんです。楽しむべきですよ」
「確かに、道理だな」
そんな会話を続けながら、僕たちは酒場の扉を開いた。
からんからんとベルが高らかに響く。「いらっしゃいませ~」と軽やかな声が響いた。マスターの一人娘、この酒場の看板娘が僕たちをみて、ほがらかに微笑んだ。
「室長さん、いらっしゃい! お仕事おつかれさまです」
「ありがとう。二人なんだけど、大丈夫かな」
「もちろん。ええと、カウンター席でも大丈夫ですか?」
「大丈夫。……問題ありませんよね?」
一応、貴公子の意思も確認すると、にこやかな微笑みが返ってきた。
そのまま案内されたカウンター席に並んで腰掛けると、カウンター内のマスターが軽く会釈してきた。こちらも軽く会釈して、メニュー表を広げた。貴公子がのぞき込む。
「本当にたくさんの酒があるな。あずま酒もあるのか」
「ああ、ご存じなんですね。美味しいですよね、わりと好みです」
「そなたは何を飲む?」
「そうですねえ」
ちょうど看板娘が近寄ってきたから、今日のおすすめメニューを訊ねる。すると子羊のハーブ焼きだと答えが返ってきたから、今日の一杯は決まった。赤ワインにしよう。
すると貴公子も同じものを選んだ。
僕はこれだけで満足なんだけど、貴公子はどうなんだろう。もっとガッツリ食べたいんじゃないだろうか。迷ったときは訊ねどき。他に食べたいものはあるかと訊いてみたところ、ちょっと迷ったあとに、トリッパのトマト煮込みを示した。うん、良い選択だ。
注文を終えたら、貴公子は苦笑した。
「意外に酒飲みなんだな。強いのか?」
「弱くはないと思いますよ。少なくともこれまで、二日酔いになったことがありません」
「ほう。それはかなり強いな」
「そういうあなたも強そうですけど? お酒で失敗したことはないでしょう」
とても気安く付き合ってくれた彼だけど、一見したところ、完璧な貴公子なのだ。
だから、酒に失敗する、といった隙を見せる類の人間ではないと直感していた。そういう教育を受けた人間に共通する気配が漂っている。正体不明といって僕が彼を警戒している理由は、そういう教育を受けた人間は、無意味な行動をしないと理解しているからだ。
とはいっても、相手の意図がわからない以上、開き直るしかないよね。
まもなく届いた赤ワインをすすりながら、僕たちは何気ない会話を続けていた。
正直にいえば、少々、驚きだ。僕と彼、共通する話題はないに等しいのに、会話が途切れることがない。もちろん無難な話題を選んで話した。そんな僕に、向こうが合わせてくれているのかとも考えたけれど、そんな人間に見られる違和感がないのだ。
純粋に、僕との会話を楽しんでいるように感じられる。
やがて注文した料理が届いた。カトラリーを持ち上げて、肉を切り分ける。口に運べば、ハーブの風味とちょうどいい塩味が広がった。うまい。赤ワインを飲む。食べる。
「うまいな」
「でしょう」
それだけの言葉を交わして、僕たちは食べることに集中した。
肉を食べることによって気づく、自分の空腹。今日という日を無事やり過ごしたことへの安心感も出てきて、僕はしみじみとしあわせを感じていた。隣に座る貴公子も、この時間を心地よく感じている事実が伝わってくる。
うん。この酒場は僕のとっておきだけど、誘った人間に間違いはなかったみたいだ。