「ゆかりズム」

    友人に貸していた漫画が返ってきました。

    実はかなり前に貸した漫画だったから、貸した事実を忘れていました。でもね、返ってきたときに読んだら改めて「スキーっ」となったのですね。

    今日はその漫画について書いていこうと思います。

    目次

    ゆかりズムについて。

    発行年月日を見て、「わあ」と感じました。2011年6月に初版発行です。もう10年前に発行された本なのだなあ、と感慨深くなりましたが、Apple Booksでも取り扱いがあり、嬉しくなりました。持ち歩き用に購入しようかなあ。

    まるで見てきたかのように江戸時代の物語を書く17歳の歴史小説家・小早川紫(ゆかり) ある日、彼は学校で立花真秀という少女に出会う。初めてあったはずなのに彼女を知っていると感じて以来、紫は不思議な夢を伴う目眩に襲われて!? (第一巻裏表紙のあらすじより引用)

    そもそもわたしは雑誌を購入しない人間なんです。だから好きな漫画家さんの連載は、書籍になってから購入するタイプ。この漫画も、このシリーズの前に連載されてた漫画を満足のうちに読み終わった後に、「新シリーズが始まった〜!」と大喜びして、いそいそと購入したのでした。

    転生してきた主人公たち。

    この漫画はですね、転生について書かれた物語です。

    転生、って、最近流行している設定でもあるから、もう、説明は不要かな。でも書いておこう。転生とは、肉体が生物学的な死を迎えた後、その中にある魂が違った肉体などを得て新しい存在になる、という哲学的、宗教的な事象(考え?)を指した言葉です。

    でね、この漫画のメインキャラ、主人公をはじめとする登場人物たちは江戸時代から現代日本に生まれ変わった人たちなんですよ。それも深い因縁がある人たちが集まっていて、それはなぜか、というところが最大の謎。物語が進むにつれて、段々とわかってきます。

    わたしはね、読み始めた当初からヒロインの真秀ちゃんが好きなのです。どこにでもいる女の子だと思ってました。や、ちょっとばかり変わっているところもあるけれど、それでも普通の少女らしく、惹かれている存在な主人公の言動に慌てふためいているところが可愛いなあと感じてたんです。

    ところが! その少女にもびっくりな秘密がありました!

    この漫画は四巻で完結しているのですが、始まりと終わりを読み比べた時、とってもびっくりします。そのくらい、みんなが変わってるの。でもそのくらい、漫画で明らかになる謎は大きい存在だったんだなあと考え込んでしまう。

    そもそもその謎だって、みんなが生きてさえいれば、悲しいすれ違いで済んでいた話なんだけどなあ。ささやかなすれ違いが、転生先まで続く因縁になるのだなあ、と気づいてしまえば。だからこそ、ささやかな言葉が救いになるのだと気づいてしまえば、ついつい我が身としても考えざるを得ないのでした。

    転生という事象がわたしの身にも起きる出来事だとして。

    わたしも何度か生まれ変わってきてるのだと仮定して考えてみたところ、わたし自身には不可思議な現象は起きてないなあ、と思い至ります。初めて会った人を懐かしいと感じた記憶もないし、繰り返し見る夢だってない。少なくとも、世間で言われている前世ゆかりの因縁からも、縁がないように思える。

    それってつまり、転生前のわたしって十分に人生を生き切ったことなのかな、と思いつきました。そう気づくと、自分ではない自分に満足します。

    死ぬという現象は圧倒的で、それだけで様々なものを諦めるしかないという強烈さを持っているけれど、その現象が起きてもなお、次の生に持っていこうとする未練がなかったのだとしたら、転生前の自分に「なかなかやるじゃないか」という気持ちになります。

    自分という人間が、ちっぽけだという自覚があるのです。それは生まれ変わっても、生まれる前からも変わらない事実だと思う。

    でもそのちっぽけな存在なりに生きて、次の人生に何も持ち越さないで済むように生き切ったのだとしたら、「それで十分だ」という気持ちになります。

    そしてわたしも、生まれ変わってさらに何かを求めなくても済むよう、この与えられた人生を満喫して、満足しきって死んでやろう、と考えるのでした。

    おわりに。

    いや、本当にね。

    この漫画は、はじめと終わりとで、キャラクターたちが思いきり変わってるから、印象的です。職業変えた人物までいるんだもの。そんなに変わるんだ、と、転生に関して強烈な印象を与えた物語です。

    そして終わりも救いがあったなあ、と久しぶりに読んでしみじみしました。

    すべての人物が新しい目的に向かっているのに、一人だけ、変わることができない人物がいて、その人がどうなるのかと気にかかっていたんだけど、そんな人に手を差し伸べてくれてた人がいるから。等しく変わっていけそうな未来があったから、本当によかった、と感じるハッピーエンドだったのです。

    さて、転生。

    生まれ変わってしまうのならば、わたしはゼロから新しい自分になりたいと願うタイプです。そりゃこの人生で得た知識を持ち越せたら、次の人生も楽になるかな、と考えますよ。知識がなくて苦労したことも、要領がわからなくて苦しんだこともたくさんあるもの。

    でもこの人生で得たものは知識だけではなくて自己嫌悪や無能感、人間的欠点まである。それらはね、嫌だけどもう、わたしから切り離せないものなんです。そういうものまで次の人生に持ち込んで、また同じところをぐるぐる回って悩むなんて嫌だなあ、と感じます。

    新しい自分になったのなら、本当に新しい自分になりたい。
    それがまた、新しい悩みや苦しみに出会うことでも。

    人とのつながりも技や知識も、持っていることが宝ではない。手に入れようともがき苦しむその中で、己を磨いていくことこそが本当の宝となる

    漫画の終盤で登場したセリフです。

    そうだといいなあ、と思います。具体的な知識や技は、死んでしまえば必ず失われます。それってかなり絶望的な事実。でも己を磨く行為自体が宝であるなら、死を乗り越えて生きることに対し、まだ希望を持っていられるでしょう?

    とりあえず、今日も今日とて、精一杯生きますよ〜。
    これに尽きる!

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