文書を飾りましょう。

 

はるかいにしえ、当時はまだ高価だった紙を賜った才気煥発な女性は後世にまで残る随筆を書き記したという。

現代に生きていたときには首をかしげたエピソードだったけど、ここ、ルーナ・トワに流されてから、その気持ちが身に染みてわかるようになった。クリーム色がかった用紙が、この世界ではどれだけ貴重か。よーっくわかるだけに、仕事部屋の書き物机に用紙を広げた瞬間は気持ちが浮き立ってしまう。ペンを持てば、気分は稀代の名文家だ。後世まで残る随筆、ええ、調子に乗って書き上げてしまいましょう、と云う気持ちになる。ううん、文章に凝るだけでは物足りない。もっともっと、たくさんの感覚にも訴えるような、そんな文書を作りたいとわたしは強く願ってしまうのだ。

異世界ルーナ・トワに流れ落ちて、六年。
しがない女子高生だったわたしは現在、辣腕宰相と名高いルーファスの元で書記官を務めている。

「こちらにおいででしたか、ミズキどの」

開けっ放しになっていた扉を軽く叩いて、注意を惹いた騎士が苦笑交じりに呼びかけていた。わたしは記録球体を手に持ち、内に刻まれた記述を読んでいたところだったのだが、思いがけない人物の登場に顔をあげた。意識がそれたためか、脳裏に飛び込んでいた文章がふっと消える。記録球体を台座に戻しながら、扉の近くで待っている騎士に近づいた。わたしにとって顔と名前が珍しく一致している知己である。近衛らしく精悍な美貌が際立つが、誠実で真面目な人物なのだ。近づくと、小柄なわたしに合わせてかがみこみ、ひそひそと耳元に囁きかけた。

「宰相どのがお呼びですよ。午前中に提出された文書についてだそうです」
(おや)

耳打ちされた、思いがけない内容に、にんまりと笑みが浮かんだ。あれか。渾身の力を込めて書き上げた文書を思い出して、たちまちご機嫌になる。「わかった」と告げて、騎士の先を歩き始める。呼び出された理由はよくわからないが、午前中に提出した文書なら良く覚えている。現代日本に生きていたわたしが、あらん限りの知恵を結集して作り上げた文書だ。さっするに、あの文書についてコメントがある、と云うことだろう。るるる、と歌い出したくなったわたしの背後で、なぜか大きなため息が響いた。

いぶかしく感じて振り返れば、わたしに従いながら騎士は生温かい笑みを浮かべていた。首をかしげると、「いえ」と首を振る。気になりはしたが、早歩きのおかげで、あっというまに宰相どのの執務室にたどり着いた。ノックをして名乗れば、冷然とした声が「入れ」と告げる。扉を開けると、窓を背に超絶美形が立っている。長い金髪を三つ編みにまとめた彼こそが、辣腕宰相にしてわたしの拾い主、ルーファスだ。サファイアブルーの瞳が冷ややかに、わたしを見た。

「釈明をしてもらおう」

いきなりの切り口上に首をかしげると、机を回ってルーファスはわたしの前に歩み寄ってきた。そして、ぐい、とわたしのあごを強く、――――そう、いささか強すぎるほどの力でつかんできたのである。

「あららららっ」

口はほとんど動かせなかったが、舌はそれなりに動く。無理矢理にも発声して、盛大に痛みを訴えてみた。ちなみに、あらららっ、とは正確には、あだだだだっ、と云いたかった。舌だけでは濁音発音はむずかしい。

「なんだ? わたしは釈明をしろと云ったが、奇妙な声をあげろとは云っていないぞ?」
「い、いへぇりゅ、わきゃ、……いひゃいいひゃいいひゃい!」
「宰相閣下。おそれながら、いくらミズキどのであっても、その態勢ではなにも云えないのではないかと存じます」

理不尽な云いがかりをつけてくるルーファスに抗っていると、傍に控えていた近衛騎士が控えめに進言してくれた。
すると、「ち」と小さな舌打ちをして、ルーファスはわたしのあごから手を放した。思わず右手であごをさする。あー、痛かった。ほっと息をついたら、「ミズキ」と低い声で呼ばれる。あごを抑え、二、三歩ほどルーファスから離れながら、口を開く。

「釈明って、なんのことですか。いきなり云われてもわかりませんよっ」
「わからない、だと?」

もともと冷ややかだった眼差しが、いっそうの冷気を帯びた。たいそうな迫力に怖気づきそうになったが、六年にもわたる付き合いで、わたしにも耐性はある。む、と眉を寄せて、ルーファスを睨み返した。わたしがなにをしたというんだ。あまりの理不尽さに、こちらだって苛立ちを覚える。

やがてルーファスは息を吐いて、机の上から乱雑なしぐさで用紙を取り上げた。ちらりと見えた文書に、わたしは目を見開く。あれ、午前中に作った文書だ。ぴら、と書面をこちらに向けられたから、間違いない。今日の午前を使って作りこんだ、渾身の力作だ。もっと大切に扱ってほしいと考えていると、ルーファスが口を開いた。

「なんだ、これは?」
「今週末に神殿に奉納する予定の文書ですが」
「これをか!? おまえ、神殿に奉納する文書がどういったものなのか、わかっているんだろうな?」
「なにを失礼な。わかっていますよ、だてに六年、書記官をしていません!」

さて、ここでルーナ・トワにおける特殊事情をお話ししよう。そう、現代とはもっとも異なる、異世界らしい事情を、だ。

この世界で用いられる記録媒体は、さきほどわたしが持っていた球体である。モノリス、と呼ばれる特殊な素材を削って文書や画像、映像を刻み込む。球体となっているUSBメモリを思い浮かべてもらえればイメージが伝わるだろうか。もっともパソコンのように読み取るシステムは必要なく、直接手に持つことによって記録を読み取れる。なかなかエコな記録媒体が主流となっているのだが、その代わり、紙が大変貴重なのである。材料となる植物は絶滅寸前だからだ。なので、紙は特別なときにしか、使わない。そう、今回わたしが書いたように、祈願内容を神殿に奉納するとか、そういうときでなければ使用許可が下りないのだ。

「たしかに奉納文書をまかされたのは、今回が初めてです。でも先輩がたが書いてきた文章形式で王の祈願内容を書き直しました! それのどこが悪いと!?」
「文章形式の問題ではないっ。わたしが云いたいのは、なぜ、奉納文書がここまでにぎやかなものになっているのか、ということだっ」

興奮しているのか、ルーファスはぱんぱん、と手のひらで文書を叩く。
ちょ、それ、かなり高価な用紙だってわかっているのか、と思わずつっこめば、おまえに云われたくない、と云い返された。なんだんだ、いったい。差し出された文書を受け取って、まじまじと見直した。クリーム色の用紙に、丁寧に書いた文章。取り囲むように、色とりどりのマスキングテープやシールを貼った。この世界では貴重なことこのうえない、わたしが現代から持ち込んだ文房具たちを用いた力作だ。

(これのどこに問題が!?)

「……おまえは六年間、書記官をやっていながらその文書の問題点に気づかないのか」

ぐったりと疲れたようにルーファスが呻く。ちょい、と首をかしげて、わたしは云った。

「まあ、ちょっとファンシーかもしれませんが、金銭的価値は天井知らずですよ? なにせマスキングテープもシールもこの世界にありませんから」
「そういう問題ではない」
「なにより、おかげで王の祈願内容が神様にもはっきりわかりやすくなったと思いますし。ほらほら、この赤いシールは心臓を意味するマークなんですよ。豊饒をお願い奉る、という文章近くに貼ると、王の必至加減がより強調されていい感じじゃありません?」
「おまえは神をなんだと思っている」
「神は神以外のなにものでもないでしょう。ただ、わかりやすさはコミュニケートの基本です。世界が変わってもこの理屈は変わりません」
「そうではなくてだな、……もういい。わかった。今回はこれを奉納する」

投げやりにルーファスが云うと、「宰相閣下!?」と驚愕の声が上がる。わずかに非難が混じる声をあげた近衛騎士を振り返って思わず睨んだ。

どういう反応だ、それはいったい。

ルーファスは「しかたないだろう」とだれに向けたものか、言い訳がましい口調で続けた。

「神殿に奉納する用紙は、使用枚数が定められている。今回は、これしか許可が下りていない。くそ、ウェルミスの栽培さえ成功すれば……っ」
「ですが、」

ためらいがちに反論を続けようとした近衛騎士の傍で、にっこり、わたしは笑顔を浮かべて断言した。

「大丈夫です。神様にもきっと、こちらの熱意が伝わるに違いありません。祈願成就、間違いなしです!」

すると男二人はそろって、深い溜息を洩らしたのだった。
ちょ、本当に失礼な。

神の怒りを買うのでは、とか、神殿が冒涜されたと怒り出すのではないか、とか、散々な評価を受けた文書は奉納され。

――――そうして、ルーナ・トワは近年、まれにみる豊饒の季節を迎えた。

そうなると、もう、フキンシンだとかボウトクとは云っていられない。宰相や近衛騎士は頭を抱えていたが、なにせ絶大な効果があったのだ。わたしが作り上げたデコ文書は「異世界渡りの秘法」として有名となり、神殿への奉納文書はきらびやかに装飾をほどこすよう決められたのである。

(随筆ではないけれど、)

間違いなく後世に残る文書を作り上げたわたしは、今日も仕事部屋で広げたクリーム色の用紙を前に、わくわくと考える毎日を送っている。かの女性もこのような気持ちだったのかなあ、と考えれば、不思議な気持ちになる。

さあ、次なる文書はどのように仕上げようか。マスキングテープもシールも、まだまだたくさんあるのだ。

 

 

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